塩野七生の海賊話

 
 “腰痛” を理由(いいわけ?)に、しばらくパソコンを覗く生活から遠ざかっていた代わりに、けっこう本は読んだ。
 その頃、夢中になって読んでいたのは塩野七生さんの『ローマ亡き後の地中海世界』だ。
  
ローマ亡き後下 ローマ亡き後上 
 
 自分は、歴史の中に出てくる「海賊の話」が大好きなので、テーマは願ったり適ったり。
 海賊というと、『パイレーツ・オブ・カリビアン』以降、17世紀のカリブ海賊が有名だけど(…今はソマリアの本物の海賊の方が有名だけど)、7世紀頃から16世紀頃に地中海を暴れ回った海賊たちの話も本当に面白い。
 
 塩野七生さんも、きっとこういう海賊たちに魅せられているのだろう。
 彼らが、罪のない人たちに乱暴狼藉を働くことを道徳的に批判する視点をしっかり持ちながら、そのふてぶてしい大胆さや、組織づくりの巧妙さ、人を食ったような調子の良さを余すところなく生き生きと描き切っている。

 この時代の海賊というのは、主に北アフリカのアルジェ、チュニスあたりを根城にしたイスラム系海賊のことを指すのだが、彼らの襲撃からキリスト教側の住民を守るために構成されたロードス島騎士団なども、イスラム船となると、海賊船、商船のみさかいなく襲って金品を強奪していたというから、どっちもどっちである。

 どちらにも「正しい神の教えを守る」という一神教的な理想主義が背景にある。
 イスラム海賊たちには、自分たちが海賊行為を行うのはイスラム教の布教活動を促進するためだという大義名分があり、キリスト教側にも同じ布教のためという大義名分がある。
 
 「だからバカバカしい」
 と一神教的な偏狭さを断罪するのは簡単だが、海賊の頭目たちともなれば、そういう “大義名分” を題目として唱えながらも、それを巧妙に利用する打算や合理的な現実感覚を身につけており、そのしたたかさに、どうやら塩野さんは面白さを感じているようなのだ。

 どちらの勢力にもスターがいる。
 イスラム海賊側には、「赤ヒゲ」という異名を取るハイレディンをはじめ、その配下のドラグー、さらにウルグ・アリ。
 キリスト教側には、ジェノバ出身の傭兵隊長であるアンドレア・ドーリアやドードス島騎士団を率いたヴァレッテ。
 
 面白いのは、イスラム海賊として名を成した大海賊たちが、みな元はキリスト教徒のヨーロッパ人であったこと。

 ウルグ・アリ(↓)などは、幼い頃にイスラム海賊に拉致されてガレー船の漕ぎ手にされながらも、そこで頭角を表し、イスラム教に改宗してからは数隻の海賊船を率いる頭領にのし上がり、やがてはオスマン・トルコ海軍の提督まで登り詰める。

 当時のオスマン・トルコ帝国というのは、ヨーロッパ型の専制政治などは足元にも及ばないほどスルタンが絶対権力を振るう独裁政権でありながら、庶民でも能力のある者は門地や宗教の壁を超えて、様々な要職に就くことができた。

 貴族階級と庶民との間に立ちふさがる壁が絶対的だったヨーロッパ社会に比べ、トルコ側には世襲に基づく身分差別はなかった。

 塩野さんはマキャベリの書物からよく次のような言葉を引用する。

 「オスマン・トルコでは、スルタン以外の人間は、大臣から羊飼いに至るまですべてスルタンの “奴隷” である。
 しかし、すべてが奴隷であるということは、そこには身分差別がないということだ」

 つまり、当時のオスマン帝国の社会では、自分の才覚ひとつでいくらでも活躍の場をつくり出せる人間がいっぱいいたということになる。 

 ハイレディンもウルグ・アリも、キリスト教の土地に生まれて、そのまま暮らしていたら、今日名が残るような人間にはなっていなかっただろう。

 門地や家柄が「人間」を決めていた当時のヨーロッパ社会のくびきを離れ、海流や風の向きを読むことの巧みさだけを頼りに、自由に地中海を航海していた男たちの話は本当に面白い。
 塩野さんのそのあたりの記述を読んでいると、具体的な描写などほとんどなくても、潮風と陽光にさらされて赤銅色に染まる彼らの精悍な顔つきまで、はっきりと脳裏に浮かんでくる。

 それと同時に、これまた一言も触れられていないけれど、ガレー船に閉じこめられた奴隷たちの糞尿にまみれた不衛生な生活環境まで見えてくる気がする。


 
 塩野さんは、昔からクルーザーなどでよく地中海世界を回っていたというから、海の描写や、海側から描いた町の描写が実にうまい。

 普通のヨーロッパ旅行者が飛行機、バス、鉄道などを通じて陸路から観光地に入るのとは違い、彼女には海から町に入っていく視点がある。
 地中海世界で、沿岸に接した町というのは、飛行機や鉄道が敷設されるまでは、みな海側が「玄関」だったのだ。

 だから、海から町を眺めなければ、その本当の姿は見えない。
 
 ヨーロッパや北アフリカの観光においても、彼女の本を読んでいると新しい見方が生まれそうだ。
 好きな本と出会えるって、本当に幸せだと思う。
  
  
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