幻の町の幻の銭湯

 
 子供がまだ小さかった頃、よく一緒に銭湯に通った。
 もちろん家に風呂もあったのだが、やはり銭湯の広々した空間がもたらす独特の解放感が心地よく思えたからだ。
 
 家の近くの銭湯に行くときは、歩いたり、自転車に乗る。
 少し離れた街の銭湯に行くときは、クルマまで使った。
 ちょっと熱めの湯に浸かり、頭に手ぬぐいなど載せて、富士山などの壁絵を眺める。
 
銭湯の富士山001
 
 銭湯の中には、露天風呂まで備えたところもあり、ちょっとした温泉気分も味わえる。
 身体が温まったら、縁せきの岩の上に座り、夜風に身体をさらす。
 風呂から上がれば、扇風機の前に座り、コーヒー牛乳かヤクルトを飲む。
 それが私と息子の銭湯の楽しみ方だった。
 
 あるとき、隣町の銭湯を探しているとき、偶然にも不思議な一角に出た。
 人気のない静かな住宅街のど真ん中に、古びた銭湯があり、その周辺だけが、小さな町になっていたのだ。
 
 町といっても、5~6軒の商店街を抜けると、そこから先はストンと切って落とされたように、静まり返った家々が濃い闇に包まれて眠っている。住宅街というより、森の感じに近い。
 銭湯の周辺だけが、村の神社の夜祭りにように、わずかな灯りが集まっている。
 銭湯の隣りには、昭和30年代の風情を感じさせる小さなマーケットがあり、店先に野菜や果物、その奥に乾物などを並べられている。
 
 店を照らす蛍光灯がやけに薄暗いために、黄色い裸電球が吊るされているような古めかしさが漂ってくる。
 その隣りには、屋台の焼き鳥屋が店を構えていて、小さなコンロの上に置かれた焼き鳥から、静かに煙が上がっている。
 のれんの陰に顔を隠した店主は、客も来ないのに、ていねいに串をひっくり返している。
 
 「純喫茶」 などという古風な呼び方がふさわしい昔風の喫茶店もある。
 喫茶店の出窓には、ホコリのかかったスパゲティのロウ細工の見本が置かれ、時間が止まったような印象を与える。
 店の窓の奥からは明かりが漏れてくるのだが、中に人がいるのかどうか、定かではない。

 町は全体的に活気が乏しい。
 店の前を横切る人の姿も、影絵のようにぼんやりしている。
 影絵の主人公が、ふと振り向くと、みな猫か狐のような顔をしているのではないかとさえ思えてくる。
 
狐のお面
 
 まるでおとぎ話の世界にさまよいこんだ気分になり、私も息子もその町の珍しさに惹かれ、銭湯に入る前に、その小さな町を一回りしたくらいだった。 
 「 “ここ過ぎて悲しみの町” だね」
 と息子がいう。
 
 昔、淋しい風景の中を一緒にドライブしたとき、私がふと口に出した言葉を覚えていたのだ。
 確か、太宰治の小説の中に出てくるフレーズだったと思う。
 
 この息子は奇妙な小僧で、幼い頃、遊びから帰ってきたときに開口一番、
 「さっき、町外れのおじさんがいたよ」
 などと教えてくれることがある。
 
 “町外れのおじさん” が、どういうおじさんなのか、彼にも説明ができない。
 しかし、その言葉に、なんともいえぬ趣き (おもむき) が込められていて、面白い。
 そういう小僧だから、こういう町は楽しくて仕方がないようだ。 
 
 銭湯の中も不思議な雰囲気だった。
 ちょっと山里の湯治場的な空気が流れている。
 旧家の天井のハリのような木材が、脱衣所の上に覆い被さり、床には、脱衣した着物を入れるための竹を編んだカゴが黒光りした板敷きの上に置かれている。
 湯に浸かってじっとしていると、まるで丸一日かけて、山奥の温泉まで旅してきたような気分になった。
 
つげ義春画01 
 
 私たちは、その銭湯を 「ここ過ぎて悲しみのお風呂」 と名づけ、それから何回か通った。
 もちろん、今はもう行っていない。
 
 それから15~16年ほど経つ。
 おとぎの話の町は、まだ残っているのだろうか。
 

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幻の町の幻の銭湯 への2件のコメント

  1. ムーンライト より:

    お仕事が一区切りついたようですね。
    なかなかのご子息ですね。
    言葉への感性が瑞々しいというか。
    流石、町田さんのご子息です。
    「ここ過ぎて悲しみのお風呂」。
    まさにおとぎの話の町ですね。
    懐かしくてどこか悲しいお風呂。もう行かない方がいいような・・・
    先月「ニュースで英会話」という番組をぼんやり見ていたら、
    deadlineという言葉が出ました。
    dead?line?・・・死線?と思ったら、締め切りなのだそうで。
    そんな~と思って辞書を引いたら、やっぱり「締め切り」。
    町田さんの締め切り前のお仕事ぶりを垣間見て、さもありなんと思いました。
    体調はいかがですか?
    昭和の匂いがするような、趣きのある文章。
    大きなお仕事を終えられ、きっとお元気なのでしょう。
    発売は15日でしたね。
    楽しみです。

  2. 町田 より:

    ムーンライトさん、ようこそ。
    またまたご返事が遅れて申し訳ございません。
    仕事が一区切りついたと思った瞬間は元気だったのですが、その後、少しずつ身体の小さな不調が重なって、GWに入ってからはグタっと横になったばかりになってしまいました。
    その間、ちょっとパソコンを開く元気もなかったので、ブログも “連休” してしまいました。
    でもムーンライトさんのコメントに接すると元気が出てきます。
    いつもありがとうございます。

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