欧州キャンピングカーの深い快楽

 
 キャンピングカーの世界では、国産ビルダーの間で、日本市場を意識した日本的なデザインを追求しようという傾向が強くなってきた。
 ようやく、日本においても、欧米的なキャンピングカー文化とは異なる日本独自のキャンピングカー文化というものが育ちつつある … という感慨を持つ。
 
 しかし、その一方で、輸入車の 「ディープな快楽」 というものを理解する日本人が少しずつ減っていくような寂しさも感じる。
 乗用車もそうだが、キャンピングカーも、それを造った民族の美意識、哲学、価値観などが反映されている。
 それは、ボディや家具を構成する素材や形状を分析しただけでは、見えてこないものだ。
 特にヨーロッパ車のように、長い歴史を通じて形成されてきたものは、文字どおり 「歴史」 を知らないと、本当のことが見えない。
 
 たとえば、本場ヨーロッパの高級キャンピングカーが持つ、あの恐ろしいような 「快楽」 というものを、まだ日本人は知らない。
 … というか、目の前に提示されても、それを理解することができない。
  
 私たちのような、キャンピングカージャーナリズムで生きている人間も、ヨーロッパの高級車を見ると、いとも簡単に 「豪華」 とか 「優美」 とか 「贅沢」 などと形容してしまうが、ふと 「本当の豪華ってものを分かってんの?」 と、自分自身で問うことがある。
 
▼ 欧州トレーラーの贅沢さをたっぷり教えてくれるホビー社の「エクセルシオール」
ホビー内装01
 
 たぶん、自分も十分に理解していないかもしれないが、ヨーロッパ車のゴージャス感というものは、商人資本主義以来の500年の蓄積によってもたらされたものだということぐらいは分かる。
 その場合の 「資本主義」 とは、アフリカの希望峰を超えて東洋の富をあさりに行ったり、大西洋を超えて新大陸から金銀を持ち出すという、ヨーロッパ人たちの 「略奪」 を合法化した重商主義経済のことをいう。
 
 ヨーロッパ先進国というのは、そのような植民地支配を通して、世界の富を強奪するようにかき集め、それによって壮麗な文化を切り開いた。
 それは、けっして誉められたものではないだろう。
 むしろ、被征服者たちの犠牲の上に花開いた “悪の文化” ともいえる。
 
 しかし、そのような文化には、「血を吸った文化」 の猛々しさと眩さ (まばゆさ) があり、触れた者をトロリと誘惑する、熟れた果実のような芳香がある。
 そして、自分を大人と思える …… すなわち 「偽善者」 であることを自覚した人間だけが味わえる、背徳的な悦びが隠されている。
 
ヴェルサイユ宮殿01
 
 このような華麗な資本主義文化を成立させる原動力となったものは、いったい何だったのだろう。
 マックス・ウェーバーの主張した、プロテスタント的な倫理が資本主義の精神を形成したという洞察に異を唱えた学者として、ヴェルナー・ゾンバルトがいるが、彼は、資本主義を発展させた推進力は、「恋愛」 だと唱えた。
 つまり、18世紀になって花開いたフランス宮廷文化における華麗な 「恋愛ごっこ」 が、資本主義の勃興をうながしたというのである。
 
 この時代、パリのヴェルサイユ宮殿を中心に繰り広げられた貴族たちの宴では、貴婦人たちや女官たちの歓心を買うために、男たちはあらんかぎりの豪華な文物を手に入れて、女たちにプレゼントした。
 プレンゼントの品々には、全欧州の金銀細工や宝石のたぐいは言うに及ばず、東洋や新大陸の珍奇で貴重な工芸品など、ありとあらゆる世界の富がかき集められた。
 
 それらの金銀細工や宝石を加工する産業が各地に勃興し、ヨーロッパの製造業は著しく成長した。
 中国や日本の陶器が上流階級の家庭でコレクションされるようになると、それをヒントに、マイセンをはじめ、ヨーロッパ中に磁器工場がつくられるようになった。
 

  
 また、貴族のファッションを構成する素材として、レース製品が欠かせないものとなり、フランドル地方のレース編みは、その緻密さと美しさを評価されて、上流階級の間で飛ぶように売れた。
 
 そのような文物が溢れかえった時代の 「恋愛」 とは、どんなものであったか。
 ヴェルサイユ宮殿で、歴代の王族や貴族の “恋人” として名を馳せた貴婦人たちの呼称を見れば、彼らの恋愛模様というものがよく見えてくる。
 
 「シャトルー公爵夫人」
 「ポンパドゥール侯爵夫人」
 「デュバリー伯爵夫人」
 みな、「夫人」 である。つまり、それぞれ夫を持つ立派な主婦たちである。

 
▲ ポンパドゥール夫人 肖像
 
 彼女たちは、夫を持つ身でありながら、時の権力者たちに取り入るための魅力を存分に発揮して愛人に収まり、夜毎のパーティやサロンを切り盛りして、華麗なる宮廷文化の華を咲かせた。
 
 貴族たちが群集うの宮廷では、「結婚」 というものは何も意味しなかった。
 夫人たちは、それぞれ夫とは別の王侯貴族の愛人となることを当たり前のように求め、男たちは、妻とは別の貴婦人たちを当たり前のように恋人とした。
 「不倫」 という言葉すら、何の意味も持たなかった。

 人々が求めたのは、一瞬のきらめきに、すべてを託す忘我の快楽。
 あでやかな官能。
 ゲームとしての恋。
 

 
 平民の娘でも、美貌と才覚に恵まれれば、時の最高権力者の愛妾にもなれる。
 そういう筋道を、ポンパドゥール夫人がつけてからは、男女の関係は一気にアナーキーになった。
 性愛、富、権力。
 人間が快楽と感じるもののすべてが、この時代に合体した。
 
 フランスを中心とするヨーロッパの恋愛文化には、基本的にこのような精神が息づいている。
 かつて作家の五木寛之は、ヨーロッパ社会の中で 「F1」 というスポーツがどのようなものであるかを、こう書いた。
 
 「F1は、お子様連れで家族ぐるみで楽しみにゆく場ではない。あのエンジン音は、柔らかい幼児の鼓膜には良い影響を与えないはずだ。
 そこは、不倫だの、危険な情事だのと世間から雑音が入ることをものともしない人々が、愛人を連れてゆくような場所なのである」
 
 アンモラルな表現だが、まちがいなく五木寛之は、ヨーロッパ社会の伝統的な恋愛文化を念頭において、これを書いている。
 ヨーロッパのキャンピングカーというのも、こうした流れの中で造り上げられたものだという。
 
 日本オート・キャンプ協会の初代専務理事を務められた故・岡本昌光氏は、著書 『キャンプ夜話』 の中で、イギリス国立自動車博物館に保管されているキャンピングトレーラーの第1号といわれる車両を目にして、こう語る。
 
 「その最古のトレーラーの室内には、貴族の応接間のような格調高い家具が置かれ、窓飾りや、カーテン、壁紙、ジュータンまでもが 『オリエント急行』 のレストランのような豪華な雰囲気を漂わせていた。
 貴族たちは、動く別荘としてキャンピングカーを使い、自分の領地の景色の良い所に置いた。
 彼らはたくさんの召使いや、給仕、料理人を使い、大テーブルには山海の珍味を並べ、美女たちを招待し、最高の酒を味わった」
 
 この記述を読むと、最古のトレーラーといわれるものが、フランスで華開いたロココの精神の延長線上にあることは明らかだ。
 
 その流れは今も続く。
 たとえば、ホビーのエクセルシオールの天井カーブを見ていると、まるでヴェルサイユ宮殿の天井をそのまま縮小したのではないかとすら思えてくる。

  
▲ ヴェルサイユ宮殿(左) /ホビー・エクセルシオール(右)
 
 欧州車デザインのキータームは、「エレガンス」 である。
 これも、貴族文化の流れをくむ言葉だ。
 「優美」 「気品」 「優雅」 … などと訳されるけれど、本来は差別意識の強い言葉だ。
 
 恋をゲームのように遊んだロココの貴族たちは、何よりも野暮ったさを嫌った。
 「まじめな恋や、一途 (いちず) な恋というのは野暮ったい」
 だから、“まじめにならない浮気” こそがエレガントなゲームとなる。
 彼らが使う 「エレガンス」 という言葉には、そういう響きがある。
 
 そのような恋を楽しむ場所として、彼らは、自分たちの暮らすスペースを精いっぱいエレガントな意匠で飾った。
 その 「快楽空間」 というものが、どのようなものであったか。
 映画を例に取れば、ルキノ・ヴィスコンティの描く数々の映画に登場する人物像、その背景となる舞台、扱われる文物などに余すところなく描かれている。
 『イノセント』 や 『ルードヴィヒ』、『山猫』 などという映画には、ヨーロッパ貴族たちが呼吸していた濃密な生活空間の空気が、見事に映像化されている。

 
▲ ヴィスコンティの 『イノセント』

 
▲ ヴィスコンティの 『ルードヴィヒ』
 
 現在のヨーロッパ高級キャンピングカーを見ると、さすがにヴィスコンティの映画に出てきそうなバロック、ロココ的なケバケバしさというものは影を潜めている。
 

  
 内装デザインはモダンになり、中には SF 映画の舞台ともなりそうな未来志向の室内空間を形成しているものもある。
 そして、時代のテーマを忠実に反映したエコロジーコンシャスの装備類や素材などをふんだんに投入し、爽やかで健康に満ちあふれたクルマ造りを志向しているように見える。
 
 

 想定されるユーザー層は、あくまでも健全な家族であり、幸せな老夫婦。
 そこには、遊戯的な愛を交わし合ったロココの愛人たちの姿は見えない。
 

  
 しかしドッコイである。
 彼らは、そう簡単に 「恋愛空間」 としてのキャンピングカーを手放してはいない。
 
 ときめき。
 誘惑の蜜の味。
 吐息の熱さ。
 そいつを、目立たないように、こっそりと、しかし確実に、キャンピングカーに忍び込ませている。
 

  
 それは、時には、女体のくびれを連想させるコンソールボックスのアールかもしれないし、セクシーなデザインを与えられたハイネックのフォーセットかもしれない。
 

  
 それらの形が、見た者をムズムズ … とさせるのは、それを考えたデザイナーにも、営業マンにも、使うユーザーにも、恋愛文化の伝統がもたらす “ムズムズ感” が分かっているからである。
 欧州高級車の 「色気」 というものは、すべてそこから放たれてくるものといえる。
  
 
参考記事 「官能美の正体」
 
 
 

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欧州キャンピングカーの深い快楽 への6件のコメント

  1. TJ より:

    全ての物は長~い歴史に裏付けられた何かが潜んでいるんですよね。日本の江戸時代とレオナルド・ダヴィンチの時代なんかも比較すると『物』『生活様式』・・・etcが現在に通じているものがありますからね。 ヨーロッパのキャンピングカーの「豪華」「エレガンス」「爽やかで健康」 の中に隠された『エロティシズム』を見つけ出すのも1つの文化に触れる楽しみかも・・・笑

  2. solocaravan より:

    そして欧州ならではのエレガンスを醸成した文化の背景には、やはり厳然とした階級社会の存在があることを無視できないでしょう。その特権階級の贅沢は廃れ、やがてアメリカの時代がやってきて大衆サマが社会の主人公に。すると従来の欧州的エレガンスとは趣を異にする、マスデモクラシーを旨とするゼイタクがもてはやされるようになり、戦後になるとそれは日本に上陸、マスデモクラシーここに極まれりといういきおいでウルトラデモクラティックなたぐいのゼイタクがはびこるに至ります。したがい欧州の伝統的贅沢は本質的に日本人のそれとは異質なのではないでしょうか。
    わたしは日本的な大衆民主主義的ゼイタクもけっこう好きですが、それだけでは物足りないものもたしかに感じますね。社会の平等や平和は疑うべくもなく大事な価値ではありますが、一方でそれだけではダメだなという気もします。

  3. 町田 より:

    >TJさん、ようこそ。
    確かに、長い歴史に育まれものというのは、今の時代には見えない何かが秘められていますね。それを探り出していくことは、何かのパズルでも解くような面白さがあります。
    ヨーロッパのキャンピングカーが持っているエロティシズムって何か…。
    今まで気になっていたのですが、岡本昌光さんの本を読んでいて、ふと気づきました。少なくとも、「贅沢」 のケタが違うんだな…って。
    そう思って欧州車を眺めてみると、少し分かったような気分になりました。

  4. 町田 より:

    >solocaravan さん、ようこそ。
    まさに、ご指摘の通りだと思います。
    今の日本人に一番理解しづらいものが、欧州社会にいまだに残滓をとどめている「クラス(階層)」社会でしょうね。イギリスなどにはいまだにそれが厳然と存在していて、それがイギリスの文明に独特の陰影を与えているように思います。
    つまり、クラスからはじき出されている層の方が、音楽ではパンクロックを生み出したりして自分たちの生き様をメッセージ化しているところがあります。
    そういう風土がないと、パンクでも何でも、ただの風俗になっちゃうんでしょうね。
    日本の平等社会ができ上がってきたというのは、たぶん江戸時代の一般庶民の習い事の普及による読み書きのレベルの高さも大いに関係しているように思います。それは誇っていいことなのでしょうね、
    しかし、おっしゃるように、「平等や平和」という大切な価値以外に、人間を突き動かしていく別の価値というものが、確かにこの世には存在します。
    そこが人間の面白いところですね。
    考えるヒントがたくさん散りばめられたコメント、ありがとうございました。

  5. ムーンライト より:

    町田さんらしい、文章ですね。
    不眠不休でのお仕事。お疲れ様でした。
    力強い文章から推察して、心身ともにお元気のようですね。
    きっと、素晴らしい「スーパーガイド」が出来上がったのでしょう。
    発売を楽しみにしております。
    豪華・優美・贅沢・快楽・色気。どれにも縁が無く・・・
    どうも貧乏性なもので、高級ティーカップはしまいこみ、
    思い切って購入した高級時計は滅多に身に付けることが無い。
    無いのならともかく、あるのなら、「高級品」を普段に使うような暮らしをしたいと思っています。
    ルキノ・ヴィスコンティの描く数々の映画!
    学生時代にルキノ・ヴィスコンティ監督の映画は全て見ました。
    「おもしろい」と思ったわけではなかったような。
    兎に角、惹きつけられました。
    『ルードヴィヒ・神々の黄昏』。好きでした。
    ルードヴィヒのノイシュヴァンシュタイン城の見学が含まれていたので、新婚旅行は「ロマンチック街道の旅」を選びました。
    森の中に建ち、湖を望む白亜のお城。
    御伽噺に出てくるような夢のお城でした。
    中に入ったのかどうか、全く覚えていません。
    このお城の前で撮った写真はあるので、行ったことは間違いないのですが、本当に行ったのか。
    全く自分とはかけ離れた豪華で優美で贅沢な空間でした。
    このお城で繰り広げられたであろう快楽や情熱や狂気でさえも、
    自分と異次元の世界だけに魅力的です。

  6. 町田 より:

    >ムーンライトさん、ようこそ。
    昔、イギリスのジェントリー階級 (成り上がり貴族 = ジェントルマン) と本物の貴族の話を聞いたことがあります。
    で、本物の貴族というのは、生まれたときから高級品に囲まれて育っているから、審美眼は備わっていても、その物の価値というものが分からない。
    だから、高価なネクタイに、半熟卵の汁がかかっても頓着しない。
    しかし、ジェントリー階級というのは、いわば 「貴族」 を目指して成り上がろうとしていた人たちですから、高価な物の価値が分かっている。
    だから、食事時も、高価なテーブルクロスを汚さないように、衣服に料理の汁が飛ばないように、徹底的に食事のスタイルを練り上げていった。……それが、今の西洋における食事のマナーになったというんですね。
    そういうことを考えると、われわれ庶民階級の方が、物の価値が分かっているという言い方もできるのかもしれません。
    >「高級ティーカップはしまいこむ。高級時計は身につけない」
    ……それって、案外、物の価値を知る賢者の作法かもしれません。
    ノイシュヴァンシュタイン城っていうのは、不思議な城ですよね。
    あれこそ、テーマパークの走りだったのではないでしょうか。
    庶民に開放するテーマパークではなく、ルードヴィヒ2世1人が楽しむテーマパーク。
    壮麗、耽美だけど、印象に残らないようなはかなさも漂う。
    ディズニーランドのお城のように、夢だけに支えられた 「作り物の城」 。
    そういう存在って、何かとても興味を惹かれます。

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