日産ピーズフィールドクラフトの畑中氏

 
 日産車をベースにしたキャンピングカーで、その存在感を示している 「日産ピーズフィールドクラフト」 の畑中一夫常務。
 
ピーズ畑中氏01
 
 飲み友だちなのである。
 例えば、お台場のキャンピングカーショーでは、会場内で開かれる夕食会にいつも招待してもらい、夜更けまで飲み明かす。
 大阪のショーでは、行きつけの立ち飲み串揚げ屋にくり出し、安焼酎を酌み交わす。
 
 あごヒゲが自慢の、一見 「野人」 。
 宴の席で話す内容も、たいていヨタ話、ホラ話。
 しかし、ふと真面目な話になると、都会的な明晰さと、奥行きの深いインテリジェンスを感じさせる知的な風貌になる。
 不思議な魅力を湛えた人だ。
 
 この人との宴の席は、まぁ最初は、業界の動向に対する情報交換などから始まる。
 業界は、ここ数年、団塊の世代にキャンピングカーの魅力を訴求することに力を注いできた。
 しかし、畑中さんは数年前から、その次の訴求対象を模索して、市場分析を行っていた。
 
 「確実に若い世代の時代が来る! 今の市場調査では、キャンピングカーショーに来る若者の減少や購買欲の低下を嘆いているけれど、その理由を、彼らの所得水準の低下に求めてはならない。
 業界が、彼らにとって、魅力ある商品を創り出していないのではないか。 
 そこで、きっちりとした答を出していけば、この業界は若い世代で溢れかえる可能性がある」
 … というのが彼の持論であって、ライバル社が開発する新車を眺める視線にも、常にそういう意識を絡ませている。
 
 「アトランティス」 というキャブコンまで開発するようになった同社は、今や幅広い年齢層の顧客を対象とする総合的なビルダーとしての道を歩んでいる。
 しかし、畑中氏が常に考えているのは、 「今の時代が終わった後の、その次に来るもの」 。
 
アトランティス外装01
  ▲ アトランティス

 アンテナ感度を研ぎ澄ませて、彼は、キャンピングカー以外のカスタムカーの動向を観察する作業も怠りないし、趣味の釣りやジェットスキーなどのフィールドを観察して、アウトドア人口の動向を探ることにも気を配る。
 
 このような畑中氏の才覚を全面的に信頼して、彼に大きな活躍の場を保証している人物として、同社の田村幸彦社長の存在は大きい。
 田村社長は今のところ、畑中さんの前向きの提案に全面的に信頼を寄せているように思える。
 もちろん、畑中さんも、その信頼を裏切らないように、営業方針の立案においても最大限の注意を払っているように見受けられる。
 
 周りの状況は、決して彼らにとって甘くはない。
 トヨタハイエースをベースにしたバンコンで埋め尽くされる市場の中で、日産キャラバンを売っていくのは、ハタから見ると、まさに 「孤軍奮闘」 といった感じだ。
 
グルーヴィー外装01
 ▲ キャラバン・グルーヴィー
 
 なにしろ、開発されてからだいぶ時間が経ってしまったキャラバンに比べ、後から登場したハイエースは、顧客に与えるインパクトにおいても新鮮さを保っている。
 しかし、畑中氏は、そのへんをまったく気にしていない。
 
 「時代が変わりましたからね。僕らが若い頃は、クルマに注目する視点というのは、まずエンジン出力、ギヤ比、足回りでしたよね。
 だけど、今の人たちは、居住性、ファッション性、使い勝手を重視する。
 つまりね、かつては “付加価値” のようなものとして扱われていた領域が、今の時代では、クルマの “性能” を決める重要なファクターになってきたんですよ。
 要するに、ベース車の機械的な能力よりも、生活空間としての能力が問われる時代になっているんですね。
 そこで勝負するのが、キャンピングカービルダーの仕事だと思いません?」
 
 … だから、モデルチェンジのサイクルが来るごとに、ころころ変わっていくベース車に振り回されるのではなく、ビルダーとして、いかに魅力ある生活空間をデザインして、それをブランド化するが鍵となるという。
 
カノン内装01
 ▲ キャラバン・カノン

 …ってな話が進んでいるうちは、2人ともまだ酔いがあまり回っていない。
 が、少しいい気分になって、仕事に関わる話がメンドォーになると、次第に昔ばなしに移っていく。
 
 この人、キャンピングカーの仕事に関わる前は、モータースポーツの世界で生きていた人なのだ。
 日産プリンスでメカニックをやっているうちにレースの面白さに気づき、プライベートチームを組んで、富士スピードウェイにくり出していたという経歴の持ち主なのである。
 チーム名は 「ランダムカンパニー」 。
 自己主張が強い人間が集まりだったので、いつも統制はバラバラ。
 それが、チーム名の由来になったという。
 
 「だって、どこそこの “頭” やっていたなんていう夜走 (よばしり) が得意なヤツが平気で入ってきたりするんですよ。もうワケが分かんねぇ… (笑) 」
 そのプライベートチームで、畑中氏は、1200ccの 「110サニー」 をチューニングしてスピードを競った。

サニー1200
 
 ライバルは、トヨタのスターレット1200。
 同排気量同士のクルマであっても、スターレット勢からは 「TOM’S (トムス) 」 のようなトヨタの支援を受けるショップが参戦し、サニー勢は苦境に立たされる。
 TOM’S仕様のスターレットは、ほぼフルチューン。
 後にトヨタの耐久マシン (グループCカー) まで開発するようになるTOM’Sは、この頃からすでにセミワークスだった。
 にもかかわらず、好成績を収めたのはたいていサニー勢だった。

 この時代、私は畑中さんとは違った立場からレースの現場を見ていた。
 私の方は、彼とは逆に、仕事の取材を通じて 「TOM’S」 に出入りすることが多く、自然とトヨタ側を応援するようになっていた。

 だから、私が最初に買ったクルマも、スターレットST。
 (そのノーマル車に、ステッカーだけはTOM’Sの “トビウオ” を大仰に貼って走り回っていた)

 そのうち、ラリーやレース、ジムカーナの取材がどんどん増え、”2T-GエンジンをチューンしたTE27レビンなどを操るラリーストやレーサーのところにも足しげく取材に回るようになった。
 ボアアップ、スープアップなどという言葉も覚え、そういう言葉を使って記事を書くことが面白くてたまらなかった。
 
スターレットジムカーナ
 
 今思うと、畑中さんとは、FISCOのピット裏あたりで、すれ違っていたのかもしれない。
 
富士スピードウェイ01
 
 … ってな感じの話になってくると、私と畑中さんとの酒宴は、だいぶ盛り上がってきたことになる。
 プライベートチームでレース活動をしていた畑中さんは、やがてプライベーターの限界を感じ、その後は、グラチャンマシンを整備する日産レーシングチームのエンジニアとして活躍するようになる。
 その頃は、ピットに入るマシンのエンジン音を聞くだけで、あと何回転ぐらい回るかもすぐ察知できたという。
 
 当時、グラチャンのヒーローといえば、日産勢では星野一義、高橋国光、長谷見昌弘。
 「みんな面白いおっちゃんたちでね… (笑) 」
 
 畑中さんは、いまだに彼らと共にピットの中で過ごしているような気分で語る。
 
 「なにしろ、あの頃はキャブレターを替えただけで10馬力アップ、マフラー替えただけで5馬力アップ … そういう世界だからさぁ、クルマとチューナーのレスポンスが密でしたよね。
 あの時代のクルマは、いじれば必ず応えてくれたわけじゃない?
 クルマの鼓動が聞こえてきてさ、そのメッセージを感じて、こっちも応えてやるという、まぁ、人とマシンの交流があったよね」
 
 乾いたマシンの世界にも、人間と同じような “命の躍動” を感じるのが、畑中さんなのである。
 感受性も豊かならば、表現も詩的だ。
 
 そういう時代のクルマを知っている彼からすると、
 「今はみんなコンピューターチューンになったから、いじれるのは一部の専門家だけ。
 今の若者がクルマに魅力を感じなくなってきたというのも、たぶん、クルマとの対話ができなくなったからだろうね」
 …ということになる。
  だから、「対話のできる」 余地をいっぱい残したキャンピングカーの方が、これからは若者の心を惹き付ける、といういつもの持論になっていく。
 
 そんな彼でも、会社の方針に従ってキャンピングカーを売る世界に移ったときは、さすがに面食らったそうだ。
 それまで生きてきた世界とは180度違う世界なので、最初は、何をどうすればいいのか見当も付かなかった。
 しかし、すぐにレースの世界と似ていることに気がついた。
 F1のようなものを別にすれば、レース業界もキャンピングカー業界も、裾野は広くとも、頂上までの層が薄いという。
 
 「広大な裾野を持つ産業というのは、普通は裾野の上にそびえ立つ “峰” も高いんですよ。
 ところが、両方とも峰が形成されずに、すぐフラットなてっぺんに行き着いてしまう」

 そのため、なかなか “うまみ” のある商売にはならない。
 
 「でもね、逆にいうと、この業界では誰もが “天下を取る” チャンスを持っているということなんですね。
 てっぺんまでの距離が短いから、誰が天下を取ってもおかしくはない」

 まさに、戦国時代のようなもの。
 「ビルダーの社長さんたちの顔を最初に見たとき、ホントみな戦国時代の大名に見えましたもの (笑) 」
 いちばん戦国武将の顔つきに近い畑中さんがそう言うのだから、間違いはない。
 
ピーズ畑中氏02
 
 「で、この業界がレースの世界と似ているのはね、社長さんたちがみな一家言を持っていることなんですね。
 レース界では、チューナーたちが、みな自分がこの世界では一番だと思っているんですよ。まさに、ワンパク小僧がそのまま大人になった感じ。キャンピングカー業界もそっくり (笑) 」
 
 そういう “乱世の時代” が、畑中さんにとっては面白くて仕方がないようだ。
 しかし、女性たちを交えた宴の世界で、彼はいつもそんなことを語っているわけではない。
 
 「旦那のウソの見分け方」
 「旦那が朝帰りの言い訳に使うベスト3」
 「思わず旦那が惚れ直す、奥様の会話術」
 
 ……女性週刊誌のネタにでもなりそうな話題をつぎつぎとくり出して、クラブキャンプで焚き火を囲んでいる奥様方の好奇心を、ずばりとワシづかみ。
 女性たちだけでなく、マグカップに焼酎を注いだ男衆も、おもわず身を乗り出して、畑中さんのしゃべりに耳を傾ける。
 ウソがホントか分からぬが、畑中さんの魔術のノリを持った会話術は、酒が回るにつれて、金を取ってもおかしくない 「話芸」 の域まで突き進む。
 
 「私のことをホラ吹きと呼んでください」
 畑中さんはそう広言する。
 
 ウソつきは人を不幸にするけれど、ホラ吹きは、人を楽しませる。
 どうやら、そういうことらしい。
 この業界に、一人のエンターティナーが生まれようとしている。
 

 参考記事 「日産キューブ2ルーム」 
  
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

日産ピーズフィールドクラフトの畑中氏 への4件のコメント

  1. 刀猫 より:

    町田さんはKP-47でブリブリ言わせてたんですね、それもトムス仕様で!
    自分はトムス(と言うかタコスの展示場)の近くの高校に通っていたて、大学時代にTE-47でダートラやってました。
    その当時、トムスにマッドフラップ買いに行ったら舘さんが直接手は渡ししてくれて、とても嬉しかった思い出があります。
    今度、タコキャンあたりでお会いしたら、そんな話も聞かせてください。

  2. 町田 より:

    刀猫さん、ようこそ。
    いやぁ、「ブリブリ言わせていた」 なんて、とてもぉ!
    “TOM’S仕様” というのは、あくまでもステッカーだけの領域で、足もエンジンもド ノーマルでしたからね。
    ただ、舘信秀さんとは、仲良くさせてもらいました。
    それから20年ぐらい経って、偶然井の頭通り沿いの天ぷら屋でお会いして、その時たまたまにもトムスの昔のキーホルダー持っていたんですよ。
    「おお、まだ使ってくれていたのか!」 って感激されてね。
    84年の富士1000kmで、トヨタの84Cが初めて入賞を果たしたとき、私もピットの前まで走り出て、舘さんと一緒に泣きました。
     

  3.  こんにちは、、確かに、色々な若い人と話してると、悪い意味でも良い意味でも、「流行物」に手を出さなくなったみたいで。
     やっぱり、おじさん達はそこで若い人に、「くだんねぇ」って言われない、良い物を作らないといけないんだろうかなあ・・・。

  4. 町田 より:

    >ミペット1号@試作品さん、ようこそ。
    いいことを教えていただきました。若者が 「流行モノ」 に手を出さない。
    ……なるほど、今まで 「流行をつくってきた」 と自負していたオジサンたちの神通力が通用しなくなってきたということなんですね。
    若者だけでなく、世代を超えて 「魅力的な商品とは何か」 という問題が問われる時代が来たということなのかもしれません。
    お返事が遅くなりまして、いつもホントにごめんなさい。
     

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">