「フィールド・オブ・ドリームス」

 
昔の映画の現代的鑑賞法 16
フィールド・オブ・ドリームス (1989年)
 
 トウモロコシ畑の奥に分け入っていくと、そこが別の世界への入口であるかのような気分になる。
 … ということを感じるようになったのは、『フィールド・オブ・ドリームス』 という映画を観てからのことだ。
 
トウモロコシ畑
 
 その映画が公開されてから、今年 (2009年) で20年になる。
 さっきまでBS (衛星第2放送) の放映を観ていて、そのことに気がついた。
 
 良い映画だ。
 ジーンとくる。
 男の子を持ったお父さんだったら、絶対泣けてくる映画だろう。
 
 舞台は、アメリカ・アイオワ州。
 画面には、見渡す限りのトウモロコシ畑が広がる。
 主人公は、その畑を切り盛りする36歳の男 (ケビン・コスナー) 。
 妻と幼い娘がいる。
 
ケビン・コスナー
 
 男は、若い頃に父親と口論し、そのまま家を飛び出してしまう。
 
 野球だけが趣味で、頑固一徹だった父親。
 そんなオヤジの頑迷固陋 (がんめいころう) さを嫌って、思想運動に傾倒していく主人公。
 再会することも叶わぬうちに、息子は父との死別を迎える。
 
 そのことが、いつまでも主人公のメランコリーの種になり、彼の心の空洞には、静かなすきま風が吹いている。
 
フィールド・オブ・ドリームス2
 
 時間も風も静止したようなトウモロコシ畑の上には、午後の日差しだけがギラギラと降り注ぐ。
 
 そんな日が永遠のように続く。
 だが、何も起こらない。
 
 でも、そういう時って、必ず 「何か」 が降りてくるものだ。
 主人公は、自分のトウモロコシ畑の中を歩いているときに、突然 「それを造れば、彼らが来る」 という謎の啓示を受ける。
 
 誰が、どこからそうささやくのかは分からない。
 しかし、彼は啓示に動かされ、何を造ればいいのか分からないのまま、トウモロコシ畑の一部を刈り始める。
 
 男が造ったのは、手づくりの野球グランドだった。
 
 でも、何も起こらない。
 ナイター設備まで整えた無人のグランドの上に、夕暮れの光が降りてきて、グランドを青く照らす。
 それが、いつまでも、いつまでも続く。
 
 ある日、そのグランドに、一人のユニフォーム姿の野球選手が現れる。
 今では見ることもない大昔の不格好なユニフォームを着た選手だ。
 
 その選手が、最初は戸惑いながらも、自分がグランドに立っていることに気づき、グランドの脇に放り出されていたバットやボールを眺め、そして主人公の姿を認めて、話し掛けてくる。
 「ここは天国か?」
 
 選手は、かつて伝説のスタープレイヤーとして知られた、今は亡きシューレス・ジョーだった。
 
シューレス・ジョー
 
 といっても、日本人にはちょっと、その “凄さ” が実感できない。
 あと50年ぐらい経った時代の日本人が、「長嶋茂雄」 のことを思い浮かべると、そんなイメージに近いのかもしれない。
 
 主人公の造ったグランドは、ベースボールを愛し続けながらも、途中で断念せざるを得なかった往年のスタープレイヤーたちを招待する 「天国の球場」 だったのだ。 
 グランドには、やがてシューレス・ジョーの仲間たちが集まってきて、練習に明け暮れるようになる。
 みな、昔 「八百長をした」 という疑惑に翻弄され、野球界を去らざるを得なかった選手たちの幽霊だった。
 
 オカルトともホラーとも取れる設定なのに、ここで描かれる幽霊たちの姿は、どこか明るく、ほのぼのとして、のんびりしている。
 
 最後に、男の造ったグランドに現れたのは、彼の父親だった。
 やはり、野球が好きで、かつてはマイナーリーグでプレーをしたこともある父。
 
 独身時代の若々しい表情を持った父親は、主人公に近づいてきて、こう尋ねる。
 「ここは天国か?」
 
 父親の眼差しは、明るい陽光のもとで、金色に輝く芝生に覆われたグランドに注がれている。
 「ここはアイオワだ」
 と答える主人公。
 
 「美しい。天国のようだ…」
 父親の口からため息がこぼれ出る。
 
 「天国はあるのか?」
 と、今度は主人公が父親に尋ねる。
 
 「あるとも。それは夢が実現する場所のことだ」
 
 トウモロコシ畑の中に消え行こうとする父親の背中に、主人公が叫ぶ。
 「パパ」 
 
 振り返る父。
 見つめ合う 2人。
 やがて、2人の間で、静かにキャッチボールが始まる。
 
フィールド・オブ・ドリームスDVD
 
 この光景を見た世の父親で、男の子にグローブを買ってやろうと思わない親がいるだろうか。
 
 私は買った。
 息子が小学生になったばかりの頃だったろうか。
 その最初の誕生日のプレゼントがグローブだった。
 
 買ったばかりのグローブを息子の手にはめさせ、私たちは、学校の校庭が広がる丘の上に登った。
 
 春休みだったのか、夏休みだったのか。
 女子高校の校庭には人影もなく、夕方の黄色みを帯びた光が、校舎に沿って植えられたポプラ並木の影を、校門の近くまで長く引っ張っていた。
 
 息子をピッチャーに仕立て、私は腰を落として、キャッチャーミットのように自分のグローブを構えた。 
 弱々しくも、意外と素直な球道を描いて、ヤツのボールが自分のグローブに収まったとき、ジーンときた。
 自分の 「フィールド・オブ・ドリームス」 が実現した瞬間だった。
 
 キャッチボールというのは、「男の会話」 なのだ。
 
 相手が取りやすい位置を狙い、神経を研ぎ澄ませて、渾身の一球を送る。
 それがうまく相手のミットに収まれば、相手もまた精魂込めた一球を投げ返す。
 洗練された沈黙に守られた、美しい会話。
 
 ファーストフードとジーンズという文化しか世界に広めることができなかったアメリカが、唯一実現した 「父親の文化」 。
 それがキャッチボールだ。
 
 この 「男と、男の子の文化」 を生み出しただけでも、アメリカは偉大だ。
 

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「フィールド・オブ・ドリームス」 への4件のコメント

  1. とりさん より:

    しばらく前に、この映画を衛星放送で観て感激しました。
    戦後父親手作りのミトンのような布製グローブで、稲刈り終了後の田圃で三角ベースの野球を楽しんだ頃を想い出しました。

  2. 赤の’57 より:

    私も感動した大好きな映画です。
    車が連なっているラストシーンのようにたくさんきてくれたらいいなあ…とカルマン100台ミーティングを準備しているときに、イメージをオーバーラップさせていました。

  3. 町田 より:

    >とりさん様、ようこそ。
    確か、テレビでも何回か放映された映画ですね。
    私は、封切館で観て以来、今回のテレビ放映で2度目の観賞でした。
    やっぱり泣けましたね。
    野球って、どこか “親父”の香りが伝わってくるスポーツですね。お父様の作られた布製のグローブ。とてもうれしかったでしょうね。
    うちの親父は運動神経などからっきしダメだったにもかかわらず、キャッチボールの相手をしてくれました。
    今でも、その不器用にボールを返す親父の姿が目に浮かんできます。
     

  4. 町田 より:

    >赤の’57さん、ようこそ。
    カルマン100台ミーティングの話は、57さんのブログに連載されていたものを拝読していました。
    あれだけの大イベントを、小さなディテールを見逃さずに愛情細やかにフォローされていたブログも滅多にないでしょうね。
    本当の意味で、ホビダスらしい記事でした。
    「フィールド・オブ・ドリームス」 はいい映画です。
    あれは、歳をとっても、男が 「男の子」 になれる映画ですね。
     

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