母とのキャンプ

 
 ひとつ心残りがあるとしたら、母をキャンピングカーの旅に連れて行ったことが、たった1回しかなかったことだ。
 
 最初のキャンピングカーを買った頃、仕事が忙しくて休日も滅多に取れない時代だったから、たまに休みが取れると、まず 「カミさんと子ども」 という組み合わせになる。
 “お祖母さんも一緒” となると、行く場所も、キャンプスタイルも大幅に変る。
 
 当時、母は腸を手術して人工肛門を付けていたから、ケアする医療器具も必要となり、連泊もできない。
 本人もそれを知っていたから、
 「いいよ、いいよ。私はまたの日でいいから」
 と、自分が負担になるのを嫌って、誘いにも応じなかった。

 正直にいうと、それでホッとしたようなところもあった。
 カミさんと子どもだけのキャンプなら気軽だけど、母が一緒となると、家族全員が気をつかう大掛かりなイベントになりそうな気がしたからだ。
 しかし、さすがにそれじゃ可哀想と思い、ある日、カミさん・子ども抜きで、母だけ乗せて日帰りキャンプを試みた。
 
 彼女は、キャンプというものがどんなものか知らない。
 当日迎えに行くと、芝居でも観劇するときのようなピンクのワンピースを着て待っていた。
 高速道路を使って2時間程度の近場のキャンプ場を選び、芝生のフリーサイトの上にキャンピングカーを止め、オーニングの下に椅子とテーブルを広げ、ささやかながらキャンプの真似事をした。
 
 たぶん、母にとっては初めての “アウトドア” だったろう。
 「いいねぇ、ありがたいね。こんな景色のところで過ごせるなんて」
 あいにくの曇り日だったが、芝生の緑が連なる光景が、彼女の目をなごませたのだろう。
 なんだか、後ろめたい気分になった。
 カミさんと子どもだけで、そういう風景を独占していたことに、申し訳ない気がした。

 パーコレーターを使って、コーヒーを煎れた。
 車内のコンロでお湯を沸かせたが、わざわざ2バーナーを持ち出し、盛大に火を焚いた。
 できるだけ、キャンプの雰囲気というものを伝えてやりたかったのだ。

 一緒に座って、コーヒーを飲んでも、ことさら話す話題というものもない。
 それでも、母はうれしそうにマグカップを支え、コーヒーをすすり、周りの景色を眺めていた。
 
 「年取るとね、物がつかめないんだよ。指先の感覚がね、厚い手袋をはめている感じでね…」
 大事そうにカップを抱え込んだのは、そういう事情からなのだろう。
 もっと早く連れてきてやれば良かったな…。
 そう思った。
 
 その母が死んで、今年でちょうど10年になる。
 
 
※ この記事は、2015年にも加筆・修正して収録しています( ↓ )
http://campingcar2.shumilog.com/2015/11/29/%e6%af%8d%e3%81%ae%e5%91%bd%e6%97%a5/
 
 

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母とのキャンプ への20件のコメント

  1. 磯部 より:

    そういうのを「やさしい」って言うんです。
    一度っきりでも、町田さんはお母様にキャンピングカーの楽しさを伝えられたじゃないですか?
    そうした行為って、みんな割とやらないんじゃないかと思います。お母様は一度だけでも満足されていると思いますよ。
    私は、父が死んで3年経ちますが、何もしてあげられなかった自分をいまでも悔いています。

  2. matsumoto より:

    いいお話ですね。写真もいいし。いい思い出ですね。町田さんの文みて、私も両親誘ってみようかなあと思いました。私の両親はまだおかげさまで元気なのですが、最近はちょっとした病気で入院したりしています。悔いが残らないよう一度くらい誘ってみようかなあ。温泉はちょくちょく連れていっているのですが、キャンピングカーのなかでの宿泊となると敷居が高くなるみたいで、「いいよ、いいよ」って遠慮します。心温まるコラム、ありがとうございます。

  3. ムーンライト より:

    ピンクのワンピースのお母様。とっても素敵です。
    嬉しかったのでしょうね。
    アウトドアに、華やかなワンピース。
    緑の中に息子と二人。
    どんなにか、嬉しかったことでしょう。
    鮮やかなピンクに泣きそうになりました。
    私の父は、癌で亡くなってもうじき6年になります。
    駅からさほど遠くない病院に入院していたのですが、本が大好きでして、時々外出許可をもらって本屋さんへ行っていました。
    6年前の丁度今頃だったと思いますが、「3月6日に駅に隣接するビルに大きな本屋さんができるって。一緒に行こうよ」と私は父に言いました。
    父は何も言いませんでした。
    「ねぇ。道内有数の品揃えだってよ」。
    「3月6日か・・・」。
    父はついに「行く」とは言いませんでした。
    自分の病気をよく分かっていたからでしょう。
    全く、「痛い」なんて一言も言わず、激痛に耐えている人でした。
    父はその本屋さんが開店する日を待たず2月に亡くなりました。
    この本屋さんの開店の日を何故覚えているかというと、それは母の誕生日だったからです。
    来月、父がとても可愛がってくれた私の息子の高校入試があります。
    その試験日に見覚えがあると思ったら、それは父の命日だったのです。
    父は幼い孫も「さんずけ」で呼ぶ人でした。
    きっと、入試の日もこう言ってくれるでしょう。
    「○○○しゃん。大丈夫だよ」って。
    町田さんのお母様。とっても綺麗な方だったのですね。
    私から、町田さんのお母様へピンクの花束を・・・

  4. ブタイチ より:

    ドラマのワンシーンのようにステキです。
    ジーンとして涙がでてきました。
    息子の好きな景色の中に入れて
    久しぶりに息子を独占できて
    お母様はさぞかししあわせな一日を過ごされたことでしょうね~。
    人生って…こういう時間を創らないといけませんね!手遅れにならないうちに!
    ピンクのワンピースをお召しになられたお母様を見て、白いスーツに黒いシャツ、白いネクタイを合わせて芸能人気取りの息子がどうして生まれてきたのがよくわかりました(笑)。

  5. 凪子 より:

    お母様、ピンクのお洋服が素敵でかわいいですね。うちの母ちゃんも5年前に亡くなりましたが旅行も何も出来なかったなあ。ダメ息子です。

  6. 町田 より:

    >磯部さん、ようこそ。
    「孝行したい時に親はなし」 という言葉がありますが、すべての子供にとって、それは真実なのかもしれません。
    おそらく、親からすればさんざん孝行をしてもらったと思えるような子供でも、子供からすれば 「何もしれやれなかった」 と思えるものなんでしょうね。
    それでいいんだ…という気もするのです。
    そうやって、「切なさ」 を知るということも、悪いことではないのかもしれない…という気もします。
     

  7. 町田 より:

    >matsumoto さん、ようこそ。
    ぜひ一度、ご両親が元気なうちにキャンピングカーの旅に連れていってあげたらいかがでしょう。
    それが、きっと matsumoto さんにとっても良い思い出になるように思います。
    家よりは狭いキャンピングカーという空間が、逆に、ご自分が幼かった頃のご家族の団らんの雰囲気を思い出させてくれるかもしれません。
    ご両親にとっても、それは懐かしい記憶を呼び覚ますことになるかもしれませんね。
     

  8. 町田 より:

    >ムーンライトさん、ようこそ。
    6年前となると、まだお父様の記憶が鮮明に残っている年月ですね。
    ムーンライトさんと一緒に本屋さんに行くのを何よりも楽しみにされていたのは、当のお父様だったんでしょうね。でも、そのお父様がそれを 「叶わぬ夢」 と自覚されていたとしたら、胸が詰まりそうに思えることでしょう。
    私の母親が亡くなったのは、クリスマスのちょっと後のことでした。
    クリスマスの夜、ベルの形をしたピンク色のオルゴールを買って病室に行ったのですが、すでに意識が混濁していて、耳元でオルゴールを鳴らしても、それが聞こえていたのか、どうか。
    そのオルゴールは、今、自分の部屋の本棚の一角に置いてあります。音が届かなかったのかと思うと、ちょっと悲しくて、未だにオルゴールそのものを鳴らしたことはありません。
    でも、家に戻ったときに、久しぶりにそれを鳴らしてみようかと、今思いました。…10年ぶりに。
    ムーンライトさんから、「ピンクの花束」 をもらい、その勇気を得ることができました。
     

  9. 町田 より:

    >ブタイチさん、ようこそ。
    母が幸せな1日を送ったのではないかという、ブタイチさんの指摘で、とても心が安らぎました。今までずっと 「たった1日しか…」 と悔いるほうが多かったもので。
    このようなブログを書いてみたのも、数日前に、ブタイチさんがお母さんの実家に泊まられたときのことを書いた記事に刺激されたのかもしれませんね。ブタイチさんのお母様の雰囲気が、ちょっと生前の自分の母親に似たようなところがあったもので…。
    確かに、人のドギモを抜くような衣装で着飾ることが好きな母でした。
    まだ、息子の方はその域に達していません。
      

  10. 町田 より:

    >凪子さん、ようこそ。
    本当に息子というのは、いつまで経っても、亡くなった親に対しては “ダメ息子” のままなんだろうと思います。
    おそらく、歴史上の大英雄といわれるような偉人たちだって、亡くなった親を思い出すときは、ダメ息子であることを自覚したのではないでしょうか。
    でも、「親の恩に報いてやれなかった」 という気持ちを持てることは、ある意味で、幸せなことであるようにも思います。
    世の中には、そういう関係すら結べなかった親子も大勢いたことでしょうから。
    凪子さんが、自分をダメ息子だと思うという優しさは、きっと生前のお母様もよくご存知だったのではないかと思います。
     

  11. 凪子 より:

    ありがとうございます。

  12. ムーンライト より:

    ベルの形をしたピンク色のオルゴール。
    その音色は絶対お母様に届いていたと思います。
    町田さんのお気持ちと共に。
    お母様。幸せだったでしょう。
    いつかお二人で出かけたキャンプを思い出しておられたかも知れません。
    父の亡くなる二日前、私は一人で父の病室に泊まりこんでいました。
    いつまでこんな状態が続くか分からない時期で、「とりあえず家族が泊り込み」の初日でした。
    私は感覚が麻痺していたのか、あまり悲しい気持ちもせず、でも何となく父に向かって言ったのです。
    「いろいろ、ありがとね」。
    するとその時、意識など無いと思っていた父の両目からツ~っと涙が流れました。
    点滴のチューブに繋がれ、酸素マスクをした父の目から。
    「ありがとう。お父様」。
    全く、お金には縁がなく、身だしなみに気を使うなど恥とでも思っているような人で。
    日曜日でも研究や仕事で、一度も学芸会や運動会に来てくれたこととてなく。
    偏屈で気難しく、でも、私には優しかった父。
    私は父の膝の上で本を読んでもらうのが大好きでした。
    ベルの形をしたピンク色のオルゴールの音色は、お母様に届いていたのです。
    ピンク色の幸せに包まれて旅立たれたに違いありません。
    いい人生じゃありませんか。

  13. より:

    私も母を5年ほど前に亡くしましたが、一度は一緒に行って「いいねぇ」などと言って欲しかったですね。
    当時はキャンピングカーを持って居らず、連れて行きたかったけど連れて行けない状況でしたが、テントでも何でもできることはあったんですよね。
    人は亡くなるとき死を持って近しい人にいろいろと教えてくれると聞いたことがあります。
    自分も母には健康の大切さや生きているときにこそ周りの人を大事にすることを教わりました。そうやって天国から残った家族の絆を強めてくれてるんだなぁ、と常々思っています。

  14. 町田 より:

    >凪子さん、ようこそ。
    どういたしまして。また一緒に遊んでください。

  15. 町田 より:

    >ムーンライトさん、ようこそ。
    今ムーンライトさんへの返信のコメントを書きながら、オルゴールを聞いております。賛美歌の 『もろびとこぞりて』 という曲でした。そういう曲だったことも忘れておりました。
    母はキリスト教徒でもなく、宗教そのものに無頓着な人間でしたが、クリスマスが好きだっただけに、賛美歌が大好きでした。いつの間にか、自分もそういう曲になじみながら育ってきたように思います。
    ムーンライトさんの 「きっと耳に届いていた」 というご指摘には励まされました。その通りだと思います。
    深夜の病室の看病。
    ムーンライトさんにも、辛い思い出がおありなんですね。
    私も父を亡くしたとき、ムーンライトさんと同じように、病室で父を看病していた記憶があります。
    そのとき、深夜テレビで 『月はどっちに出てている』 という映画をやっていて、その主題歌として憂歌団が歌う 「Woo Child」 という歌が流れておりました。
    結局、その歌が、父と一緒に聞いた最後の歌になりました。
     風が吹く夜は
     いつも目を覚ます
     まるで、お前が、窓を叩くようで
     耳を澄ませば、声が聞こえる
     道に迷って、俺を呼ぶようで
    その歌が、父へのレクイエムになりました。
    そのとき歌詞に歌われた 「お前」 というのが、私には父のことのように思われ、なんとも切ない気持ちになったことがあります。
    (このことは昨年の1月18日のブログでも書きました)
    ムーンライトさんの文面を拝読するかぎり、立派なお父様だったことが伝わってきます。
    親というのは、結局自分の死をもって、ようやく子供に何かを伝えられるのかもしれません。
    そう思うと、ムーンライトさんの生き方の中に、お父様の生命が宿っているように思えます。
     

  16. 町田 より:

    >雷さん、ようこそ。
    誰にも、同じような思いがあるのですね。
    おそらく、そのときキャンピングカーを持っていらしゃって一緒に旅行されても、あるいはロールスロイスに乗せて旅をされても、たぶん何かをやり残したという気分は一生ついてまわるような気もします。
    その気持ちこそ、雷さんがおっしゃるように、「何かを教えてくれている」 ことに気づき、それに耳を傾けようという心をはぐくむのではないか、という風に思っています。
    思えば、こんなに皆さまからのコメントをいただけるとは思っていませんでした。
    母は幸せ者です。
    雷さん、ありがとうございました。
     

  17. ムーンライト より:

    『月はどっちに出ている』ですって!?
    私も見ましたよ。この映画。ずっと前にテレビで。
    昨年の1月18日のブログを拝見しました。
    もしかしたら、町田さんと私が見たのは同じ放送だったのかも知れません。
    こういう主題歌だとは存じませんでした。そうでしたか・・・
    私もこの映画の内容は詳しくは覚えてはいないのです。
    ただ、このタイトル『月はどっちに出ている』を忘れられないのです。
    映画館で公開された際も、このタイトルが気になって「行かねば」とも「見てはならぬ」とも思い、結局、この映画を見たのはテレビで一回だけです。
    14年前だったのかも知れません。
    町田さんのお父様は14年前に亡くなられたのですね・・・
    「言葉」が妙に気になる時があります。
    私は、両親が言葉に厳しかったですし、父は中毒のように本を読んでいる人だったので、中学生の頃はその指導もあり、いくつか読書感想文コンクールで入賞もしました。
    けれど、「書く」ということは自分の身を削ることです。
    私は、次第に辛くなり、書くことも読むこともできなくなりました。
    勉強からも遠ざかり、すっかりエリートコースから外れた私が初めて「手紙を書きたい」と思った相手が「1979年の大木さん」でした。
    今にして思えば、大木さんがラジオで話した「一言」が私の琴線に触れたのでしょう。
    その後、また私は書けなくなり、再び「書きたい」と思った相手は「2005年に再会した大木さん」だったのです。
    母によれば、父は私のことを「読んだり書いたりしなくなった」と嘆いていたそうです。
    母も言います。「本当に、こんなタダの人になちゃうなんて」
    時々、母に私が書いた「レビュー」を見せたいと思いますが、まあ、見せない方がいいでしょうね。
    「タダの人」の方が幸せですから。
    町田さん。
    あなたは、「いい息子さん」ですね。
    ブログとコメントを拝読して「人生、捨てたもんじゃない」と思いました。

  18. 町田 より:

    >ムーンライトさん、ようこそ。
    もし 『月はどっちに出ている』 という映画を深夜テレビで見られたとしたら、同じ日だったのかもしれませんね。何かの縁を感じます。
    コメントを拝読すると、ムーンライトさんのお父様は、相当の文化人であり、教養人であったようにお見受けします。つまり、「読んだり書いたり」 することの楽しさを分かっていらっしゃった方なのでしょうね。
    「楽しいこと」 はやはり子供に伝えてやりたい。
    そう思うのは親の常でしょうね。
    だから、娘が 「書くことをやめてしまった」 ことがとても寂しく感じられたのでしょう。
    しかし、こうして大木トオルさんに対するムーンライトさんのレビューなどを拝読すると、まさにお父様の意志がしっかりと伝わっているように感じます。
    私は、子供には子供の生き方があると思うので、どのように生きていこうが気にとめません。
    しかし、「伝えよう」 と思っていることがあるのなら、それは、絶対伝わっていくものだと思っています。
    それが、親の目指したものとは全く異なっていようとも、子供は子供なりに、親の 「伝えたかったもの」 を別の形に翻訳して血肉化させていくでしょう。
    私が、親にそう育てられたように。
    本当に、ムーンライトさんのおっしゃるとおりです。
    「人生、捨てたもんじゃない」
     

  19. TOMY より:

    キャンピングカーにピンクのワンピース、かっこいいですね。女の人はいくつになっても外出する時は着る物にこだわります。
    80を過ぎている我が母でも未だにちょっとの外出でも服装にこだわっています。それが特に自分の一人息子となればなおさらのことでしょう。
    町田さんは素晴らしい親孝行をしましたね。回数はあまり関係ないと思います。今自分の趣味と生活の糧を実際に母に紹介した訳ですから。
    私などはサラリーマンですから、自分の会社に母を連れてゆくこともままなりません。
    それにしても、親孝行に関する記事への反応はすごいですね。親孝行には皆さん関心があり、色々な形で行っているようで、私も感化されました。

  20. 町田 より:

    >TOMYさん、ようこそ。
    TOMYさんをはじめ皆様に 「いい親孝行をされた」 と言われて、少しほっとしているところです。「親孝行」 というテーマが、それほど多くの方々の関心事であったことには驚くばかりです。
    たぶん、実際にはどんなに孝行しても、まだ報いてあげられないという気持ちが子供にはずっと残されてしまうからでしょうね。
    そこに人間同士の “絆” というものを考えるときの原点があるようにも思います。
     

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