生き残る言葉

 
 たった1年…いや半年の間に、世界がこれほどまでに変わってしまった時代というのは、今まであったのだろうか。
 毎日報道される 「不況の深刻化」 。
 “派遣切り” などに象徴される 「雇用の不安定化」 。
 連日そういうニュースがテレビやら新聞で流れ続けると、もうかなり前から大不況が世を襲っているように思えてしまうのだが、実はわずか半年前ぐらい前、庶民が抱える一番の悩みのタネは 「ガソリンの高騰」 だったのだ。
 
本屋の店内
 
 本屋を回って、棚に並ぶ本の背表紙を眺めていると、世の中の急転直下の変貌ぶりがよく分かる。
 『 トヨタはなぜ強いのか 』
 『 トヨタ式改善の進め方 』
 『 ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか 』
 
 そういう本が、「金融資本主義の崩壊」 を叫ぶ本の嵐にまぎれて、ひっそりと、まだ棚差しになっている。
 もちろん内容的には今でも読むに値することが書かれているのだろうが、少なくともタイトルだけ眺めると、世の中の変化から取り残された本の悲哀が漂ってくる。
 
 たぶんこの急変動を受けて、マスコミのプロジェクトの中には軌道修正を迫られた企画がずいぶんあったに違いない。
 うちでも半年前に企画したものの中には、問題をさらに掘り下げないと使えない状態になってしまったものがある。
 同じテーマを継続しても、より真剣に考えたものにしておかないと、今の不安定な社会の空気を呼吸している人たちには読んでもらえないという危惧がある。
 この時代、どんなに “良いこと” を言っても、書いても、発言者に緊張感がないと受け手の胸に届かない。
 その “緊張感” も、頭の中でこさえたものではなく、自分の身体で感受したものでないと、相手に通じない。
 今ほど、ものを書いたり発言したりする人の 「本当の力」 が問われる時代はないのではなかろうか。
 
 世間で活躍している物書きは、だいたい40歳代から団塊の世代あたりが中心となっているが、同じ時代の空気を吸っているはずなのに、すでに20歳代の人たちとは相当な意識のズレがあるように思える。
 
 たとえば、日本の経済成長と自分の成長が、終始右肩上がりで重なってきた団塊の世代は、この未曾有の危機状況に向けて、「過去の成功体験を捨てて、一から出直そう」 などとよくいう。
 しかし、「失われた10年」 に思春期を迎えた若い世代には、成功体験なるものが最初から存在しない。
 つい10年ほど前は、ニートやフリーター志向の若者が 「自分探し」 をテーマに職を転々とすることを、まだ 「ロマンの追求」 といって温かく見守る人がいた。
 一方、そのような若者傾向を 「甘え」 だと非難し、「辛い仕事に耐えることこそ自分のスキルアップにつながる」 と指摘する大人たちもいた。
 
 しかし、今ではどちらの言い分も古色蒼然としたものになってしまった。
 要するに、多くの物書きがストックしていた現代社会を解釈するための情報や知識は、いま急速に効力を失いつつあるように思う。
 
 こういう時代に、人々の心を支える 「言葉」 を発することできる物書きというのは、どういう人たちなのだろう。
 時代の変化に耐えうる言葉を持っている人。
 身もフタもない言い方をすれば、そういうことになる。
 氾濫する情報の渦に巻き込まれず、自分の頭で考え、自分で答を出してここまで歩いてきた人。
 自分の吐いた言葉を、そのまま自分の生き方として貫いてきた人。
 そして、吐いた言葉の責任をしっかり取ってきた人。
 
 今、緊張感をはらんだ言葉を吐ける人というのは、たぶんそのような人たちだろうし、そういう人でなければ、他者の心も動かせない。
 当然、そういう言葉を吐ける人になるためには、まず自分自身で考える習慣を持っていることが前提となる。
 「情報」 に頼っている限り、そこから導き出されるのは 「分析」 だけとなる。
 「分析」 だけになれば、「情報」 の変化によってころころ立ち位置も変わる。
 「情報屋」 ではなく 「思索家」 が求められる時代になったと思う。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

生き残る言葉 への8件のコメント

  1. スパンキー より:

    やはり事件は現場で起きているんですね!
    司令室にいたんじゃ分からない。アタマで理解できても分からないんですよね。
    戦争も前線にいた人達の感覚が、その真実を知っているのでしょう。だからそれを体感できない人達があれこれ言っても説得力がありません。
    肌で感じたことを思索し、これからのことを考える人は堅いと思います。学者達はそれが分からない。
    「時代なんかぱっと変わる」と言ったのはコピーライターの秋山晶ですが、この方のこの言葉は実体験から生まれた言葉。名コピーだと思います。

  2. ccs福島淳一 より:

    あけましておめでとうございます。
    未熟な私はなんでも自分で試さないと気がすまないんですよ。
    “経験がすべて”
    「親や学校の先生や先輩達、世の中の人々の言っていることが必ずしも正しいとは限らない。」
    これ、わたしが小学生の卒業時にかいた文章です。
    「五感をとぎすまして第六感で判断する!」
    これ、わたしの座右の銘です。
    今年もお会いできるのを楽しみにしています。

  3. くわがた より:

    いろいろあって、なんかもううんざりです。そこで、誰かと脳みそを刺激しあいたくて、このブログの一連の経済の記事を読みながら、自分でもなれない頭で考えてみました。
    よかったら読んでみてください。
    「HIROMITI」というハンドルネームのブログだといえば、わかってもらえるでしょうか。

  4. 町田 より:

    >スパンキーさん、ようこそ。
    「時代の変化」 を感じるのは、確かに 「皮膚」 ですね。比喩的な意味でもそうですが、文字通り、熱い! 冷たい! という五感で得ていくもののような気がします。
    電車に乗って、車内吊り広告の数とか傾向で、消費動向を読むとか、ファミレスに群がるオバちゃんたちの会話から、最近の夫婦観を眺めるとか。
    「時代の空気」 を嗅ぐにはフィールドワークは欠かせません。
    スパンキーさんの本領発揮の時代が来ましたね。
     

  5. 町田 より:

    >CCS福島さん、こちらこそ「明けましておめでとうございます」。
    >「経験がすべて」 という言葉は、タイの山奥でサバイバル生活を営まれた福島さんだからこそ、説得力を持って響いてきます。
    同じように、>「親や学校の先生や先輩たち、世の中の人々が言っていることが正しいとは限らない」 という姿勢も、大手商社の就職試験で、面接官に逆質問をして困らせた福島さんならではの発言と思いました。
    世の中がどう変わるか分からない不透明な時代です。
    福島さんの 「第六感」 が冴え渡る日がやってきましたね。
     

  6. 町田 より:

    >くわがた (HIROMITI) さん、ご無沙汰でございます。
    さっそく、久しぶりにブログ拝読いたしました。
    最新エントリーの内容は、グローバル経済の危機の話から始まり、ユダヤ人問題に移り、ポストモダンに触れ、貨幣の等価交換への疑義へと移るわけですが、鋭くエッジの利いた文章によって、かなり重厚なテーマが展開されているので、まるで万華鏡を見るような思いでした。
    テーマがあまりにも深遠かつ遠大過ぎるため、整理のつかないうちににわかに感想を差し上げるのがためらわれてしまいます。
    ただいえることは、現在 「経済危機」 といわれるものに対して、HIROMITIさんが、直感的ながらも、かなり正確な把握をされているのではないかという気がしたことです。
    特に 「ポストモダンというのは、新しいものではなく、原始的なものなのかもしれない」 というご指摘は、ある意味、慧眼かな…という気がします。
    『動物化するポストモダン』 (東浩紀) とかいう本もあるそうです。未読ですけれど、人間が自己を理性的にコントロールして、思念性を獲得するようになったのが、「近代」 だとすると、ポストモダンというのは、もう一度、人間を有機的な臓器と神経の束に還元して考えるということで、『動物化した…』 という意味になるらしいのですが、詳しいことは分かりません。
    たぶん HIROMITI さんがイメージされているのは、それとは違うのでしょうけれど、「人間の本質は思弁することにある」 という近代的な人間観に異を唱えるという意味では、途中まで同じベクトルを共有しているのかもしれません。
    展開されようとしたエントリー記事のおおむねは、理解できました。
    ただ、今の金融資本主義の基本骨格が、具体性を帯びた1民族によって形成されたと断言できるほど、私には知見もなければ、想像力も及ばないので、そう言い切る自信はありません。したがって判断留保させてください。
    今後のHIROMITI さんの論考が重なって真相に近づくことを待つばかりです。
    とりとめもない感想になったことをお許しください。
    また、機会を見て、お邪魔いたします。
     

  7. ブタイチ より:

    今回のお題はウ~ンと唸って…自分の思ったことを何度も書いては消しということを繰り返してしまいました。大きな世の中の動きに立ち居地がわからなくなった時は、ちっぽけな自分自身の心に問いかけるべく、ゲバラのような旅はできなくとも、バイクで世界を走りたくなりました。

  8. 町田 より:

    >ブタイチさん、ようこそ。
    大きな世の中の動きに対し、自分の立ち居地を定めるというのは、なかなか難しいことですね。
    世の中がどう流れているのか、それ自体が個人の把握できる限度を超えているように思います。
    自分などは、正直にいうと、ホントに何も分からないのです。
    ただ、ブタイチさんがおっしゃるように、こういうときは 「ちっぽけ」 であろうとも、自分自身の心に問いかけるということしかないように思えます。
    きっとブタイチさんの場合は、バイクの旅がそれを可能にしてくれるのでしょうね。
    自分の場合は、散歩とキャンプかな。
    そういう時間が欲しいなぁ…と、今思っています。
      

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">