イノセンス

 
 日本のアニメというのが、芸術作品としてどのくらいのレベルなのか。
 あまり深く考えたこともなかったのだが、深夜テレビで、押井守監督のアニメ『イノセンス (INNOCENCE) 』を観て、ほとんどショックに近い感動を受けた。
 

  
 もうこの歳になると、最近の若い世代を対象としたアニメなどはなかなか観る機会がないし、また積極的に観ようとする情熱も湧かない。
 
 だから正月休みのようなときに、テレビのチャンネルをザッピングしているうちに偶然出合うしかないのだけれど、この『イノセンス』に出合ったのは僥倖(ぎょうこう)だった。
 
 観たのは途中からだったが、上海か香港のような中国系の裏街の情景が出てきた時から、あ…っと目が釘付けになった。
 明らかにアニメの画像とは分かるのだが、実写のような深い奥行きがあって、奇妙なリアリティがある。
 
 そのトーンは、モノクロ時代の「フィルムノワール」といわれた犯罪映画に人工的な着色を施した感じで、暗さと、あいまいさがほどよくブレンドされ、犯罪の匂いの立ち込める裏町の猥雑さと、わびしさと、アンニュイが情感たっぷりに表現されていた。
 
 何なんだ? これは … 。 
 そのまま目を凝らして画面に見入った。
 
イノセンス9
 
 人間と、サイボーグと、ロボットが共存する2032年の世界。
 そこで、人間の愛玩用として開発されたロボットが、持ち主を惨殺するという事件が起こり、サイボーグと化した主人公がその捜査に乗り出すという設定なのだが、とにかく、デジタルコミュニケーションの専門用語がやたら出てくるし、それに輪をかけて、哲学的な会話が頻繁に登場するので、何が起こっているのか半分も理解できず、事件の背後関係がなかなかつかめない。
 
 にもかかわらず、ぐいぐい引き込まれてしまって、途中でオシッコに行くのももったいないという気分になってしまった。
 
イノセンス7
 
 何が凄いのか。
 
 こんな映像は見たことがなかったのだ。
 最近のアニメや 3D ゲームの画像に慣れてしまった人にはどうってことのない映像なのかもしれないけれど、せいぜいディズニーや宮崎駿アニメとポケモン、ドラえもんぐらいしか知らなかった自分にとっては、驚愕の世界だった。
 
 「デカダンス(頽廃)の美学」
 そういう古風な言葉が似合う「世界の終末」の気配。
 自分の知っているアニメの世界で、これまで、そのような映像を見た記憶がない。
 
イノセンス4
 
 驚くべきことは、あらゆる映像が、「引用」に満ちていたこと。
 主人公たちのセリフも、古今東西の文学、聖書、仏典などの引用に満ち溢れているのだが、画像そのものが世界のあらゆる建築物、SF映画の古典、古今東西の名画の膨大な「引用」から成り立っている。
 
イノセンス2
 
 特に、街のカーニバルのシーン。
 街路を練り歩く巨大な山車(だし)は、満艦飾のチャイナデザインに彩られ、そこにヒンズー文化のモチーフが加わり、さらに東南アジアや日本のスパイスが降りかけられ、巧妙なコンピューターテクノロジーによって駆動されるという、まぁ、「アジア古典文化」と「 近未来デジタル文化」が消化不良を起こすほど濃密に溶け合った世界が描かれている。
 
 さらに、主人公たちが、悪の巣窟と化した謎の工業都市に、鳥類を思わせる飛行物体に乗って上空から突入するシーンが凄い。
 
インセンス6
 
 血のような色に染まった夕暮れの中に、モニュメントバレーの奇岩のように建ち並ぶ工場群。
 サイバーテクノロジーを駆使して造られた街並みが、ガン細胞のように自己増殖している様子がものの見事に視覚化されている。
 そこには、限度を超えた文明の進歩は、建物ですら、生きながらにして「廃墟」の寂しさを宿すという逆説が描かれている。 
  
イノセンス12
 
 このシーンにも、様々な先行作品の「引用」がある。
 もちろん『ブレードランナー』の未来都市が真っ先に目に浮かぶ。
 さらに、『エイリアン』の宇宙船。
 あるいは、『ラストエンペラー』で描かれたような爛熟した中華王朝の宮殿。
 そしてヴェルサイユ宮殿に見られるバロック的意匠。江戸のからくり屋敷。
 
 めまいがした。
 同時に「自分は遅れていた … 」という思いも持った。
 
 日本のアニメが「ジャパン・クール」などと呼ばれ、世界中に一大ムーブメントを起こしているという情報は知っていたが、その日本のアニメなるものが、これほどのレベルに達していようとは思ってもいなかった。
 
イノセンス8
 
 ストーリーそのものを追ってもあまり意味のないアニメだ。
 また、そこに流れる「哲学」や「思想」を解明しようという試みも無効のように思う。
 
 確かに、登場人物たちのセリフは、なにやら深遠な哲学性を帯びているように感じられる。
 だから、いくらでも深読みしたくなる。
 
 なにしろ、ロマン・ロランやゴーゴリの小説、ミルトンの詩、マックス・ウエーバーの論文、旧約聖書の詩文、世阿弥の能楽書、孔子の論語、仏陀の経典から、めまぐるしいほどの引用が引かれるわけだから、聞いていると物語の背後に深遠なる「哲学」が秘められているような気になってくる。
 しかし、大事なのは、そのセリフに込められた思想そのものではなく、この “深遠なる” 雰囲気なのだ。
 
イノセンス3
 
 これらの文献的な引用は、たぶんに作者の衒学(げんがく)趣味をみせびらかすものにすぎないと、ネットに飛び交うレビューにおいては評判が悪いようだが、私はそうは思わない。
 
 これらのセリフは、この世には「普通に考えているだけでは簡単に理解できない世界がある」ということを暗示させるための意匠なのだ。つまり、物語の背後に「人智では到達できない世界」が横たわっていることをイメージさせるための「装置」といっていい。
 
イノセンス11
 
 セリフ回しにこだわると、けっこう難解に感じられる作品だが、テーマはいたって簡単。
 「テクノロジーの進化によって誕生したサイボーグもしくはロボットは “人” なのか “機械” なのか?」
 という『ブレードランナー』以来のお定まりの問いが、ここでも繰り返されているだけ。
 
 だから引用される原典にビビらずに聞き逃していれば、けっこう洒落たセリフが多いことに気づく。
 
 「シーザーを理解するためには、シーザーになる必要はない」(マックス・ヴェーバー)。
 「ロバが旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけじゃねぇ」(西洋のことわざ)。
 「自分のツラが曲がっているのに、鏡を責めて何になる?」(ゴーゴリ)。
 
イノセンス5
 
 どれも極上のハードボイルド小説を思わせるセリフだ。
 粋である。
 
 この洒落た感覚が、このアニメに独特の文芸的な香りを忍び込ませることに成功している。
 言ってしまえば、チャンドラーの描くフィリップ・マーロウのような孤独なハードボイルドヒーローが、『ブレードランナー』的な、退廃と憂愁の影に染められた近未来世界をさまよう話だ。
 
 さっそくこのアニメの DVD を求めて街の CD 屋に出向いたが、何軒回っても売切れだった。
 Amazonで買うか…。
 早く、もう一回観たい。 


 
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イノセンス への12件のコメント

  1. 渡部竜生 より:

    前作『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』も是非!

  2. ブタイチ より:

    今年もヨロシクお願いします。
    >今の若い人たちが聞いている音楽や読んでいる本の素晴らしさを、どうやったら自分の感覚に取りこめるようになるのだろうか。
    とおっしゃっていた町田さんが、具体的な対象を見つけられた興奮がこちらにも伝わってきますね~(笑)。これからの町田流分析が楽しみです。

  3. 町田 より:

    >渡部竜生さん、ようこそ。
    渡部さんのようなキャンピングカーを専門に評論されている方から、このようなアニメに関するコメントなど頂けるとは望外の喜びです。
    『 GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 』 に関しては、恥ずかしながら、『イノセンス』 のことをネットで調べているうちに初めて知りました。非常に興味を持っています。
    キャンピングカーの専門知識のみならず、こちらの分野でもいろいろご指導頂ければ幸いです。

  4. 町田 より:

    >ブタイチさん、ようこそ。
    こちらこそ、今年もヨロシクお願い申しあげます。
    確かに、今の自分は、必ずしも若い人たちが関心を持っていることに目が行き届きにくい生活環境におります。そうすると、物事の把握の仕方がどうしても観念的になってしまいますね。
    若者の “志向” というのは、やはり 「今の時代の志向」 という意味ですから、現在進行形の中でしか捉えられないものだと思うのです。
    「今の若者の消費傾向について」 とか、TVとか、ネットとか、新聞、週刊誌からの情報に頼っている限り、情報としては把握できても、現場の臨場感とか空気感というものはキャッチできませんよね。特にアニメ、音楽、ゲームなどという領域は、やはり実物に接しないと分からないように感じます。
    そこんところ、ようやくアニメという一つのジャンルだけ、かろうじて “時代の気分” の一端がつかめたように思います。
     

  5. 磐梯寺 より:

    町田さんのエモーショナルな文章に触れて、目が覚めました。確かに我々の世代(私は還暦間近ですけれど)にとって、若い人たちの文化は盲点になっています。接する機会がないという以上に、感性が弱っているのでしょうね。しかし「イノセンス」というアニメは私もまた観てみたくなりました。町田さんの文章が、今の時代を生きる人々の感性を私のような世代にも通じるように翻訳してくれたからだろうと思います。これからも、異なる世代の翻訳者としての活躍を期待しております。

  6. 町田 より:

    >磐梯寺さん、ようこそ。
    「異なる世代の翻訳者」 などもったいないようなお言葉ありがとうございました。
    私もまた 「若い人たちの文化」 など、まだ何も分かっていないのです。ただ、自分の気に入ったものを採りあげたにすぎません。
    それにもかかわらず、何かを感じていただけたのなら幸いです。
    たぶん磐梯寺さんが、このような文章からでも興味を感じられたとしたら、『イノセンス』 というアニメは、きっと磐梯寺さんの嗜好にも合うように感じます。
     

  7. ボールチェアー より:

    イノセンスは好きな作品の一つです。
    原作の士郎正宗の作品より、劇場版のほうが洒落た感覚が際立っていて良いと思います。
    「GHOST IN THE SHELL」より 町田さん的には「イノセンス」の方が楽しめると思いますが、百聞は一見に… です。
    スカイクロラも良いですよ~

  8. 町田 より:

    >ボールチェア-さん、ようこそ。
    参考になるコメント、とても喜んでおります。
    「GHOST IN THE SHELL」 よりも、「イノセンス」の方が私には合っているというご指摘。面白いですねぇ。
    なんだか 「GHOST IN THE SHELL」 の方にもかえって興味が湧いてきました。
    「スカイクロラ」 も確かテレビ放映中にCMで流されていたと思うのですが、その映像にも興味を感じておりました。
    貴重なご意見ありがとうございます。
     

  9. 渡部竜生 より:

    「ご指導」だなんて、とんでもない。こちらこそ、あの作品の世界をこれほどまで的確に文章に表現できる、町田さんの筆力に感服しています。私なぞ、ただのSF好き、アニメ好きでしかありません。(年代的には『ヲタク』のはしりでしょうか)
    ボールチェアーさんのおっしゃる通り「GHOST IN THE SHELL」は少し物足りないかもしれませんが、「GHOST …」あってこその「イノセンス」という解釈もありかとおもいます。
    「イノセンス」の世界観が面白いと思われるなら、「オルタード・カーボン」(ISBN:4757211295)もお勧めです。かたやジャパニメーション、かたや海外SF書籍とジャンルは異なりますが「普通に考えているだけでは理解できない世界」の一つを示している作品です。

  10. 町田 より:

    >渡部竜生さん、ようこそ。
    アニメやSFものに関して、これほど刺激的な知見を披露されるキャンピングカー評論家がいらっしゃったとは、思いもよりませんでした。とても興味深いコメントを頂いて、少々興奮しております。
    日本のキャンピングカージャーナリズムは、渡部さんの登場で一気に広がりと深みを獲得しそうに思えます。「団塊世代マーケット」 への食い込みも大事ですが、アニメやゲームに関心を抱く “オタク層” にも振り向いてもらえるような広報アプローチも、これからは必要に思えます。
    渡部さんの活躍されるフィールドの広さに期待大です。

  11. s-_-s より:

    大分前の記事に対し失礼致します。

    素晴らしいCGを楽しめる作品としては
    2003年に放送された『LAST EXILE』がお薦めです。

    全26話で残念ながら終盤がイマイチですが、丁寧に作られた世界観や映像美は
    十分鑑賞するに値するものだと思います。
    特に2話までの戦闘シーンは映像史に残るクオリティーだと感じます。
    以降私はこの作品をモノサシに他作品を見るようになりました。

    因みに現在、続編が放送中ですが、そちらは駄作です。

    • 町田 より:

      >s-_-s さん、ようこそ
      こんな昔の記事まで、わざわざお読みいただくなど、うれしい限りです。
      アニメにはそれほど詳しくはないのですが、『イノセンス』 というアニメは本当に気に入った作品でした。

      ご紹介いただいたこの 『LAST EXILE』 も、さっそくYOU TUBEの画像などを検索して見ました。
      ほんと! 確かに美しい映像美をもった作品ですね。すごく興味をそそられました。
      「ジャパンクール」 という現象が世界各国に浸透してきましたが、確かに、そういう風潮を支えるだけの作品を日本人は持っているんですね。
      すごいことだと思います。
       

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