ROOKIES

 
 テレビドラマの再放送 『ROOKIES ルーキーズ』 (TBS) をついつい観てしまった。
 もうずっと泣きっぱなし。
 こういった、無頼の男たちが団結していくって設定に、昔から弱いんだ。
 
 ルーキーズ1
 
 「夢を持つ」
 「ひたむきに生きる」
 「人を信じる」
 そういう単純なことを、これでもか、これでもかって直球一本でグイグイ押していくように訴える熱血教師の話。
 
 その教師の情熱にほだされて、無軌道な生活を繰り返す不良少年たちが、いつしか心をひとつにまとめ、見失った自分たちのテーマに向かって前進していく。(この場合は甲子園の出場ね)
 
ルーキーズ3
 
 もう何度繰り返されたか分からない典型的なワンパターン企画。
 最後は視聴者を “感動の涙” に包んで、予定調和の大団円に収束させるという手垢のついたストーリー展開。
 そう言ってバカにするのは簡単。
 ステレオタイプ化された 「泣きと感動の押しつけ」 って揶揄 (やゆ) するのも簡単。
 そこに 「共同体から逸脱しようとする者たちを矯正して、共同体のルールに従わせようとする思想」 を見つけて批判するのも簡単。
 
 でも、そんなひねくれた見方なんて軽くぶっ飛ぶくらい、なんだかすっごく新鮮だった。
 「みんなが協力しあって、心を一つにして、共通の目的に向かって突き進んでいく」
 そういうストーリーって、ひと昔前だったら、うんざりするコンセプトに思えたはずだ。
 誰もが同じ 「夢」 を共有し合うなんてカッコ悪いことだし、ひたむきさを確認し合うなんて、スマートじゃない。
 
 でも、そういうドラマが新鮮に感じられたというのは、もう世の中に 「みんなの心を一つにまとめる共同体」 みたいなものがなくなってしまったからなんだなぁ … と思う。
 
 昔は 「村」 とか 「町内会」 とかっていう 「地域共同体」 みたいなものが厳然としてあった。
 「共同体」 は助け合う。
 よけいなお世話だったり、鬱陶しがられても、お互いに助け合う。
 そういう中から、「義理」 とか 「人情」 とかいう概念が生まれてくる。
 
 ただ、助け合う代わりに、「共同体」 は横並び一線の平等を尊んだ。
 そういう空気は、会社のような営利追求型の集団の規律とは、本来ならなじまない。
 
 でも、日本の会社は、そういう 「共同体」 的な発想を取り込むことで、戦後の繁栄を築いてきた。
 外国かぶれの日本人なんかからは、「日本の会社はムラだ」 なんて揶揄されたけど、それでも多くの人は、そこそこの平和を楽しむことができた。
 
 しかし、とびっきりの才能を持った人は、“横並びの平等” を嫌って 「共同体」 を飛び出すようになった。
 近代文学というのは、「共同体」 を飛び出す “才能ある人々” を主人公にした文学だ。
 
 才能ある人は 「カッコいい」 。
 だから、いつしか 「共同体」 の拘束から逃れる人たちの方がカッコいいという空気が、現代社会の空気になった。
 そんな空気が、新自由主義的な経済政策にぴったりと合った。
 才能ある人はどんどん自分一人で稼いで、成功者として名乗りを上げた。
 世間は、それを 「良し」 として拍手喝采するようになった。
 
 「共同体」 はどんどん魅力を失い、いつしか、「人を拘束するだけの古い因習」 と見なされるようになった。
 今では 「共同体」 はほとんど壊滅し、残っているのは、同じ目的を遂行するためだけに人を集めた 「組織」 だけになった。
 会社が 「組織」 なのは分かるけれど、今や学校も地域社会も 「組織」 。ひょっとしたら家庭も 「組織」  。
 
 「組織」 というのは、機能と効率を第一義的に追求するものだから、非情で無情。
 その構成員はお互いにライバル同士。
 個人の業績を世に認めてもらうためには、同僚を蹴落とさなければならない。
 それが今の世でいう 「自己実現」 。
 子供も、親も、またその親ぐらいも、今ではそうやって生きている。
 そこに現代社会の哀しみってのが生まれた。
 
 「共同体」 を飛び出した人間はヒーローになれたけど、「組織」 を飛び出した人間は、「落ちこぼれ」 となるしかない。
 今の世界では、集団から脱落してしまった人間は、みな 「落ちこぼれ」 としてあざけりと侮蔑の眼差しで眺められるだけ。
 下手すると、「人間」 としてさえ見てもらえない。
 
 そこで、『ルーキーズ』 である。
 この古臭いドラマが新しいのは、昔風の 「共同体」 が瓦解した世界で、いかにしたら、みんなが助け合って同じ目標を追いかけることができるか、と問うているところである。
 
ルーキーズ2
 
 すでに、「落ちこぼれ」 を排除する視線しか持たない人々には、熱血先生の情熱の意味が分からない。
 そこから様々な軋轢 (あつれき) が生じる。
 熱血先生が、不良になった野球部の生徒たちを叱咤激励しても、最初のうちは 「うぜぇヤローだ」 と相手にしえもらえない。
 学校側でも、校長を筆頭に、不良生徒たちをなんとか追放しようとやっきになるだけ。
 
 そういう中で、熱血先生は人と人の心をつなげるために、自分の肉体を酷使して立ち向かう。
 野球部のために、徹夜でグランドの草むしりを行う。
 かたくなに心を閉ざした生徒にバットを持たせ、バッティングピッチャーよろしく、バケツ一杯に盛ったボールを雨の中で投げ続ける。
 
 結局、「人を動かす力は自分自身を動かすことによって生じる」 という単純な原理を、熱血先生は、文字通り自分の肉体を酷使して実践する。
 
 「共同体」 が崩壊した世界では、お互いに 「身体の痛み」 、「身体の疲れ」 を共有し合うことを通してのみ、「心」 がつながるんだ、というメッセージが伝わってくる。
 
 ドラマの背景には、常に暴力が絡む。
 不良仲間同士のリンチ。
 生徒の先生に対する暴行。
 
 しかし、その中で、許される 「暴力」 と許されない 「暴力」 が描き分けられる。
 仲間を守るためにケンカに向かう生徒たちを、熱血先生は 「部活の範囲」 として認めてしまうのだ。
 「暴力」 もまた、「痛みを共有する」 という意味で、「心のつながり」 を模索する契機になるという思想が、そこから読み取れる。
 
 そういう筋書きだから、予定調和的な結末が、すぐそこにブラさがっているのが分かるというのに、ハラハラドキドキ。
 
 今まで、ケッとばかりに軽蔑していた 「夢を追いかけよう」 という言葉が、今までとは違ったニュアンスで伝わってきた。
 けっこう感動的。
 観ていて、何度も泣いちゃった。
 

カテゴリー: 映画&本   パーマリンク

ROOKIES への6件のコメント

  1. ブタイチ より:

    学園モノは…時間前からTVの前に陣取って…という観方はしません。「こんな世界ないだろう」という気持ちがあって…本当はこういう世界に憧れて教師になったくせに…(笑)…で…見始めると家中で誰よりもハマってしまいます(笑)。
    共同体と組織というわけ方はおもしろいですね。ご指摘のような言葉の広がりと、立ち居地を変えるとどちらにもポジティブでネガティブな要素があるようにも思いました。
    ドラマから得た感動をケッと受け流さず、素直に受け止めて、教員生活も25年を超えてしまっているので、だいぶ緩くなった直球、ヘナチョコカーブ、秘技隠し球…なんでもやって、自前の感動をオレの教室でプロデュースしてやろうと思いました。なんて…ひとり熱くなってコメントしてましたね(笑)!

  2. ムーンライト より:

    ごめんなさい。このドラマ、見たことが無いのです。
    また話がそれて申し訳ないのですが・・・
    「夢を持つ」「ひたむきに生きる」「人を信じる」
    これって、大木トオルさんと同じですね。
    大木トオル・ディナーショーに行ってまいりました。
    今回で私は4回目ですが、最高のショーでした。
    舌を巻くほど上手く、上手さを感じさせないほど観客を乗せ。
    曲は大木さんの40周年記念CDからのものが多く華やかで、会場はSam Cookeの「Having a Party」で最高潮に達しました。
    そうそう、本物のDJ・いく○まひろ○さんもいらしていたようです。
    今回は大木さんとお話はしませんでしたが、ネットだけのお付き合いだった大木さんと親しい方の何人かとお会いすることができました。
    中でも、大木さんのふるさと・人形町の洋食「そときち」さんへ友人として伺うことができたのは大きな喜びでした。
    ミステリアス・ムーンライトと呼ばれた私からミステリアスが消えた日。
    いささか残念でもありましたが、とっても楽しかったです。
    よいお年をお迎えくださいませ。

  3. 町田 より:

    >ブタイチさん、ようこそ。
    今年1年、ブタイチさんのブログを拝読したり、こうやってコメントを頂いたりして、いろいろ考えるヒントを得ることができました。ホントにありがとうございました。
    世代を超えて、通用するメッセージとは何か。
    思えばそんなことをこの1年考えてきたように思います。例えば、自分が若い頃聞いていたり、読んでいたりした音楽とか文学を、今の若い人たちにも「聞いてみたい・読んでみたい」と思わせるようなテキストとして提出することは可能なのだろうか。あるいは逆に、今の若い人たちが聞いている音楽や読んでいる本の素晴らしさを、どうやったら自分の感覚に取りこめるようになるのだろうか。
    音楽にせよ文学にせよ、今残っている 「古典」 というのは、きっとそういう先人たちのトライ&エラーの蓄積の上に成り立っているのではなかろうか。
    時代を超えて残る文化というものには、どういう特徴があるのだろうか。
    自分の粗雑な頭ではうまく考えられないのですけれど、意識のどこかにそんなことが常に引っかかっていたように思います。
    ブタイチさんから頂いたコメントには、常にそれを考えるヒントがあったように思います。たぶん、それはブタイチさんが 「生徒」 と 「先生」 という関係の重さを、日頃から身体を通して感受されていたからだろうと思っています。今回頂いたコメントからも、それを強く感じました。
    いつもいつも示唆的なメッセージをお寄せいただいて、感謝です。
    来年もまたよろしくお願い申し上げます。
     

  4. 町田 より:

    >ムーンライトさん、ようこそ。
    この1年、大木トオルさんを語るムーンライトさんの語り口から、大木さんという存在の大きさに気づくと同時に、それを語ろうとするムーンライトさんの情熱の熱さにいつも勇気づけられました。
    自分の尊敬する人、愛する歌。それをどのようなメッセージに置き換えれば、他者の心に伝わっていくのか。
    その貴重な実験の成果を、常にリアルタイムで体験させていただきました。得るものはとても大きかったように感じます。
    >「4回目で最高のショー。舌を巻くほど上手く、上手さを感じさせないほど観客を乗せ…」
    もう、その表現ひとつで、そのショーを観られなかった自分を 「とても残念だった」 と思わせる力が備わっています。
    この表現力こそが、「ミステリアス・ムーンライト」 のすべてです。素晴らしい表現は、常にすべてを言い尽くしていながら、さらにその先に広がる何かを暗示します。その先に広がっている 「何か」 こそ、ミステリアスの根源です。
    素敵な人とコメントのやりとりができるようになったことを幸せと感じます。
    来年がムーンライトさんにとって幸多かりし年であることをお祈り申し上げます。
     

  5. ムーンライト より:

    町田さん。お返事を拝読してため息をつきました。
    町田さんは実に鋭い感性をお持ちですね。
    コメントはどなたがご覧になるかわからないものですので、不用意な事は書けないのです。
    >常にすべてを言い尽くしていながら、さらにその先に広がる何かを暗示します
    「その先の何か」を感じられたと仰るのですか!?
    私は「最高」と書いたというのに・・・
    6リズム、6ホーン、8ストリングス、3コーラスの総勢23名のバンド。
    甘く切ない歌声。CDより更に磨きぬかれた、その声。
    クリスマスディナーショーとしては最高です。
    観客は全員、酔いしれてお帰りになったに違いありません。
    けれど・・・私はまた来年行かねばなりません。
    大木トオルさんは、もっと歌える。
    もっと凄い歌を歌える。そう思うからです。

  6. 町田 より:

    >ムーンライトさん
    いやぁ、そんなに驚かれなくても。
    >「もっと凄い歌を歌える。そう思うからです」 との一言ですべてが伝わります。それは、現在のこの時点ではまだ存在していない歌かもしれないけれど、ムーンライトさんのイマジネーションの中にはすでに存在している 「歌」 です。
    何もない場所から、心の中にすでに存在している 「歌」 の場所までジャンプするエネルギー。跳躍するときの躍動感。それがムーンライトさんの表現の中に、見事な 「跳躍の軌跡」 として描かれています。
    >「6リズム、6ホーン、8ストリングスに3コーラス」 ですかぁ!
    R&Bサウンドとしては、この上もない編成ですね。
    ますますご覧になられたムーンライトさんをうらやましく思いました。
     

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">