バニングの歴史

 
 今いくつか平行して行っている作業のひとつに、『日本のキャンピングカーの歴史』 という資料の編纂があり、いよいよ 「バニング」 について書く段となった。
  
バニング1
 
 以下、さっきまで書いていた原稿を、ここにてチョコっとご紹介。
 
《 国産バニングの誕生 》
 
 キャンピングカーの歴史の中で、一見低迷期に見えるような70年代。
 しかし、その水面下では着々と、国産キャンピングカーを誕生させるための気運が芽生えていた。
 そのような気運には、二つの流れがあった。
 その一つが、キャンピングカー好きな人間が自分で乗るために作った手作りキャンピングカー、つまりハンドメイド・キャンピングカーであることは今見てきたとおりだが、それとはもうひとつ別の流れがあったのだ。
 それが 「バニング = Vanning」 である。
 
 もともとバニングは、アメリカの若者たちが、サーフィンなどのアウトドアスポーツを楽しむための前線基地として発達してきた。その普及状況をアメリカでつぶさに見学し、日本において、日本の車両を使ってそれを実現しようとした若者たちが登場する。
 バニングが日本で普及してきたのは1970年代の中頃とされるが、その 1 号車がどのようなものであったかは、現在調査中としかいいようがない。
 
 しかし、黎明期のバニングの状況を知らせる貴重な文献がある。トヨタ自動車のPR誌として、当時トヨタ車の販売店から配布されていた 『モーターエイジ』 誌には、かなり初期のバニングについて触れている記事がある。
 1976年 (昭和51年) の9月に発行された同誌では、「バニングって知ってる?」 というタイトルのもとに、トヨタライトエースの改造例が紹介されている。
 写真を見ると、ボディカラーは濃いめのグリーン。窓埋めされたボディ側面には、木目調パネルに木の枝のイラストをあしらったペイントが施され、菱形のカスタムウィンドウがはめ込まれている。
 
 
▲ バン&トラック社のバニングリヤビュー (motor age誌より)
 
 リヤハッチの上側には、大きな目玉のように丸窓が二つ。ルーフには開閉式のサンルーフとトラベル・スコープが装着され、室内には木目の内装材が張られ、ベッド展開できるシートと食器ケースが装着されている。
 その後のバニングの展開を見ると、実に “おとなしげ” な風情だが、外装写真の下には、「道行く人々の10人のうち8人は物珍しそうに振り返っていく」 というキャプションが添えられている。

 
▲ バン&トラック社のバニング (motor age 誌より)
 
 これを製作したのは 「バン&トラック」 社を設立した小椋雅夫さん。
 当時27歳。
 同誌には、「小椋さんはデザイン・アートを勉強するためアメリカに渡ったが、そこで栄華を極める “バン文化” に目を見張る思いを持った」 という記事があり、「なにしろアメリカにはバンの内外装の指導書だけでも20冊以上あり、カスタマイズのアイデアを競うショーが全米で年間24回もあるんですからねぇ」 という本人の談話が紹介され、「帰国後、小椋さんはさっそくライトエースを使ったカスタム・バンの試作第1号に取りかかった」 と報告されている。
 これが、もしかしたら日本のバニング第1号を証言する記事になるのかもしれない。
 
 ……ってな感じで、終電まぎわまで、調子こいてしこしことパソコンに打ち込んでいたわけであります。
 記事中、「黎明期のバニングの状況を知らせる貴重な文献として、トヨタ自動車のPR誌 『モーターエイジ』 がある」 なんて、シレっと他人事のように書いておりますが、それを担当していたのが、この私めでありまして、取材して当の記事を書いた人間こそ、この私であります。
 
motor age
▲ 『MOTOR AGE』 誌
 
 しかし、自分が30年ぐらい前に書いた記事が参考になるとは、今日の今日まで思わなんだ。
 まぁ、現在そんな作業をしているのですが、どなたか 「日本のバニング第1号」 に関する貴重な情報をお持ちの方はいらっしゃいませんか?
 もし、ご存知の方がおられましたら、こちらにご連絡いただければ助かります。
 
 
関連記事 「バニングとは何か」
 

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バニングの歴史 への6件のコメント

  1. 磯部 より:

    当時、学生だった私はニセ・サーファー。
    湘南ではバニングっていうんですか?ガンガン走っておりまして、特長は車体にハワイアン風の派手な絵が描かれておりました。たぶん手法はエア・ブラシだと思います。そして、サーフボードを荷台に突っ込んでいる者もいれば、キャリアに乗せている奴など、多彩でした。
    第1号は分かりませんが。
    それにしても、当時の「モーターエイジ」、懐かしいですね!私も後から関わりましたがとても自由な編集方針、新人の企画大抜擢など、いまでは考えられない雑誌づくりでしたね。
    とても、良い時代。町田さんと知り合えたのも何かの縁と思います。

  2. TJ より:

    記憶では70年代中期から後半にかけて、当時中学生だったTJは国産バニング特集の本買いました。
    その頃の本も探せばあるかも知れません!? 当時は国産ワンボックス車だと日産・キャラバン、ホーミーなどにアメリカンなサイドマフラーやフロントの車高下げてリアの車高あげて内装は場末のBARのようなテーブルにシャギーのシートなどが付いていましたね!!

  3. 町田 より:

    >磯部さん、ようこそ。
    ニセサーファー、けっこういましたね。流行でしたものね。車体に描かれたイラストは、ほとんどエアブラシでしたね。「遠藤モータース」 さん、「オートボディショップたなか」 さん、「ブルーオート」 さんなどのエアブラシが優れていたという話は聞いたことがあります。
    一時期の 「モーターエイジ」 の仕事は本当に面白かったですね。いい時代を経験したと思っています。
    あそこでの蓄積が、今につながっているように思います。もちろん磯部さんのような人脈を得られたのも、あそこでしたからね。
      

  4. 町田 より:

    >TJさん、ようこそ。
    バニングが日本で普及したのは70年代中頃らしいことまでは分かっているのです。ここに紹介した小椋さんのバニングが1976年。専門誌 『カスタムCAR』 の創刊が1978年。だから、だいたい70年代中期という見当はつきますね。
    バニングは80年代に入って、初期の形からどんどん日本独自のスタイルを構築していくんですが、その転回期あたりの取材をしていると本当に面白いです。
    そこからどのようにキャンピングカーというものが育ってきたのか、ちょっとスリリングでもあります。
    いずれ、これはまとまった資料集として刊行するつもりです。でき上がったらTJさんのところにも送らせてください。
     

  5. 赤の’57 より:

    大学生の頃、一緒に住んでいた友達と中古のライトエースを買ってバニングに改造しようと半ば本気でプランニングしていました。
    外装はタバコのキャメルの絵に決めてました。
    内装はフロントシートのみのガランドウに板だけ貼る予定でした。
    車高は前は下げて後ろは上げて…
    プラモデルを改造して完成プランを作りあげましたが、実車は資金的に無理であきらめました!(笑)

  6. 町田 より:

    >赤の’57さん、ようこそ。
    キャラメルデザインのバニングって、素敵ですねぇ。
    それのホットロッド仕様ですか。実現していたら面白かったでしょうね。
    自分も、頭の中の構想だけでしたけれど、当時マリオ・アンドレッティの乗っていたロータスカラー = ブラックボディにゴールドの「JPS」マークを付けたバニングを夢見たことがあります。
    もちろん、叶わぬ夢で、JPSマークのステッカーを自分のスターレットに貼っていただけでしたけれど。
    遅くなりましたが、今年もよろしくお願い申し上げます。
     

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