悪役好き

 
 「月光仮面」 という漫画界のヒーローを知っている人となると、年齢的に50代後半ということになるんだろうな。
 まぁ、私なんかはその年代なんで、「月光仮面」 が 「少年クラブ」 に連載された第 1回目から読んでいる。
 もちろん、テレビドラマの方も欠かさず観ていた。
 
月光仮面
 
 だけど、決して月光仮面のファンではなかったんだ。
 むしろ敵役 (かたきやく) として出てくる悪役の方が好きだった。
 特にお気に入りは、「パラダイ王国の秘宝」 編に出てくる 「サタンの爪」 。

サタンの爪

 ミイラ男がサングラスしているような月光仮面より、断然こっちの方がカッコいいと思っていた。
 「サタンの爪」 には、一流の能面師が精魂込めて打ち込んだ般若面みたいな芸術性が感じられて、そっちを密かに応援している方が、大人の鑑賞法を知っているぐらいのマセた気分だった。
 変なガキだったのである。
 アマノジャクってのか、マイナー志向ってのか、よく分からないけれど、みんなが応援する “正義の味方” なんて、ケッていう感じだったの。

 50年代後半の人たちは、きっと子供の頃 「西部劇」 も観ていただろうと思うけれど、当時の西部劇は、正義の味方の白人と、“悪者” インディアンが戦うという設定が多かった。
 こういうときも、いつも最後にヤラれちゃうインディアンを応援してた。

ネイティブアメリカン乗馬

 後年になって、アメリカ大陸の開拓ってのは、白人が原住民のネイティブアメリカン (インディアン) を虐待して収奪していった過程である…という見方が主流になっていくわけだけど、ガキの頃はそんなこという人は周りにいなくて、こっちもそういう意識で西部劇なんか観ていない。
 インディアンの方が、単純にビジュアル的にカッコよかったのだ。
 駁 (まだら) の裸馬にまたがって、羽飾りをひるがえして、白人の小銃弾をものともせず、弓矢やトマホークで突進していくインディアンの方が、どう見たって、颯爽としていた。
 
インディアン
 
 なんで正義の味方より、敵役としてヤラれちゃう悪役の方が好きなのか。
 あまり深く考えたこともなかったのだけれど、コーエイのパソコンゲームで 『ロイヤルブラッド Ⅱ』 というのを遊んでいたときに、ふと気がついた。
 
ロイヤルブラッドⅡ
 
 『ロイヤルブラッド Ⅱ』 というのは、「光の国」(正義)と「闇の国」(悪) の戦いを描いたゲームなんだけど、ちょっと変っていて、プレイヤーはどちらの側に立つこともできるわけ。
 つまり、ドラクエシリーズでいえばモンスター側の “大魔王” の立場も選べるわけね。
 で、私なんかは 「悪好み」 だから、闇の国の方ばかり選んでプレイしていたわけだけど、そこにビジュアルとして表現されているヘビの頭を持った邪神とか、魔女とか魔導師ってのは、ケルト神話からヒントを得ているわけだったのね。

 そのとき、すごく単純なことに気がついた。
 つまり、人類が一貫して叙事詩とか昔物語に登場させてきた 「悪」 ってのは、結局は 「滅ぼされた民族」 だったというわけ。
 ケルト人というのは、古代ヨーロッパで、ローマ帝国の支配に対抗して戦い抜いた民族なんだけど、宗教体系も文化体系も、ローマ人たちとは違うから、まぁ 「醜い」 わけよ。

 彼らはドルイド教という宗教を持っていて、そこで崇拝される神々の像というのは、まぁミロのビーナスみたいなギリシャ・ローマ的な端正なカッコをしていなくて、いってしまえばヘビの頭を持った半獣神とかさ。

 当然、そういう神々像なんかを崇拝する民族だから、衣装も武器も泥くさいし、不気味だし、要するに 「サタンの爪」 なんだわ。
 滅ぼされた民族が、なぜ禍々しい衣装に身を包んで、暴力的で、戦闘的で、凶悪な顔をして登場するのか。
 歴史は常に 「勝者の記録」 だってよくいわれるけれど、敗者がいつも凶悪に描かれるのは、最終的な勝利を飾った民族が、征服事業がいかに困難であったかを広報するための粉飾に毒々しく彩られているからなんだよね。

 しかし、いかにデフォルメされようが、敵役にさせられた悪役たちの方にも、自分たちの正義もあれば美学もあるわけでね。
 時には主役を圧倒する文化を誇る場合もあったと思う。
 そういう輝きは、どんなに抹殺して変形させようと思っても、すべてを押しつぶすことは、やっぱりできないのね。
 ねじ曲げられ、変形されるという勝者のデフォルメを通しても、なお滲み出てくる敗者の 「正義」 や 「美学」 や 「文化」 というのが、すなわち悪役の魅力なんだと気づいたの。
 西部劇でインディアンがカッコいいのは、やっぱり白人的な美意識でろ過しようともしきれないインディアンの圧倒的な美学があったわけでさ。

 でも、今そういうカッコいい悪役がドラマや映画にいなくなったなぁ。
 というか、最近の漫画なんか見ていても、マッチョな主人公はみんな悪役みたいな顔形しているしさ。
 インディアンの捉え方だって、白人の反省が行き届いておかげで、みんな立派な固有の文化を持った “偉大な民族” になっちゃって…。
 それは正しい認識なんだけど、でも獰猛さが失われて、精悍さが抜け落ちたように思わないでもない。
 う~ん、複雑な時代になってきた。
 
 

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