1998年と現在

 「不況」 「倒産」 「雇用危機」 「失業」…。
 2008年の暮れは、このような言葉で覆われたまま終わろうとしている。
 しかし、この光景は、今はじめて登場したものだろうか。
 すでに、私たちはこのような光景を一度目にしているはずだ。
 ちょうど10年前。
 1998年に出された 『Voice』 (PHP研究所) という雑誌で、文芸評論家の福田和也氏は、「デフレの彼方に見えるもの」 という論文で、次のようなことを書いている。
 「リストラや賃金カットで労働者の購買力が低下したため、需要はさらに縮小し、物が売れない状況に悲鳴をあげた各企業は、労働者の賃金カットやリストラを促進した。その結果、需要はさらに縮小し、物の価格の持続的下落が始まり、“収縮の連鎖”ができあがった」
 これは2008年暮れの現在のことを述べた記事ではない。
 1990年代の半ばにバブル経済が弾け、「失われた10年」 が始まろうとした状況を述べた記事だ。
福田和也氏
 ▲ 福田和也氏
 福田氏は、このような状況を 「デフレスパイラル」 という言葉で説明し、次のようにいう。
 「デフレーションというのは、市場や経済が収縮することである。供給が需要を上回り、モノの価値が減価し、不況が深刻化することをいう」
 そして、それが怖いのは、次々と連鎖反応を呼び、渦巻きのようにすべてを巻き込んで、止まることを知らない状態になってしまうことだという。
 そして、氏は、「古来デフレというのは、歴史を振り返るかぎり戦争への突入や大災害の発生といった事象にしか脱却の道が見出せない」 …と不吉な予言を立てている。
 この1998年当時の日本を襲った大不況の嵐が、きわめて2008年の現在と酷似していることは明白であるが、ただ一点異なることは、当時の日本の全面的経済崩壊を食い止めるのに力のあった 「円安」 の力が失われ、現在は 「円高」 という危機がさらにのしかかっていることだ。
 当時、消費減退の手詰まり感が蔓延する中で、「円安」 は、輸出産業の増収益を確保することにつながり、デフレ傾向を打開する特効薬のように作用した。その時代、1円の円安でトヨタは100億円。ソニーは50億円という収益が見込まれたという。
 ところが、今はまったく逆の現象が起こっている。アメリカのドルの信用下落が生んだ 「円高」 は、日本を支えていた輸出産業に壊滅的な打撃を与えてしまった。
 その一点だけ取り出せば、1998年当時と今の状況はまったく異なる様相を示しているようにも見える。
 しかし、現在日本を覆っている 「日本経済崩壊」 のシナリオは、実はこの 「円安」 時代に、輸出産業の隆盛が生んだものともいえるのだ。
 輸出に活路を見出した日本の主要産業は、その生産性を向上させるために、徹底した合理化を促進することにひたすら邁進した。
 ところが、このような 「生産性の向上」 が、実は経済の収縮を生み、世界経済を崩壊に追い込む危険性を高めることになると、福田氏はいう。
 彼は、アメリカの文明批評家ジェレミー・リフキンという人が書いた 『ザ・エンド・オブ・ワーク』 (大失業時代) という本を引用し、その仕組みを次のように解明する。
 生産性の向上というのは、今までと同じ投資や時間内により多くの物が大量に作られることを意味する。
 当然、市場にはたくさんの商品が溢れるようになる。ところが、たいていの場合、それは 「供給の過剰」 につながる。視点を変えれば 「需要の縮小」 が起こってしまう。
 また、生産性の向上により、新しい設備や生産法などが導入されてくると、その帰結として労働力の省力化が図られ、労働者のリストラが始まる。
 どんな職場でも固定費の縮小が至上命題だから、固定費のもっともかさむ人件費を減らすことが一番の収益率につながる。
 このような省力化を1990年代の情報化産業の急激な隆盛が支えた。
 情報化産業の目指すものは、人の仕事をコンピューターに代行させようということだから、それによって人の仕事がどんどん奪われることになっていく。
 アメリカでは、その頃からホワイトカラー、中産階級といわれていた層の仕事が激減し、それまで聖域といわれている専門職、たとえば医師、弁護士、教師などという職業が情報化の進展にともない余剰となり、中産階級の凋落が進行していた。
 ところが、当時のアメリカでは、このような雇用の縮小が、失業率の上昇という形では現れなかった。新しい雇用も積極的につくられていたからだ。
 ただし、その雇用の3分の2は、賃金体系の最底辺に属する単純労働であり、結局は貧富の差を増大させただけのことだった。
 このように考えると、アメリカという国はサブプライムローンの崩壊、リーマンブラザースの破綻によって大不況を招いたわけではないことが分かる。空前の好景気に沸いていた90年代から2000年代の初頭にかけて、すでにアメリカでは今の不況が到来するタネが宿されていたのだ。
 アメリカ経済の内部崩壊が始まっていたのに、それが顕在化したかったのは理由がある。
 ヘッジファンドに代表されるような、国際投資信託がアメリカの個人富裕層の資産運用として発展し、それが巨大な利益を次々と生み出していたからである。
 ここから生まれた株式、債権、通貨、金利、為替、先物などのデリバティブ (金融派生商品) は、手持ちの資金の数倍から10倍以上の多額の取り引きを可能にした。
 当時、年利回り20~30パーセントの運用実績を上げるヘッジファンドも多く、それに手を染めた人々を一夜にして“億万長者”にした。
 これらの金融派生商品を大量に創出するために、アメリカでは 「ファイナンシャル・エンジニアリング (金融工学) 」 が未曾有の発展を遂げた。
 この金融工学を進めたのは、最初のうちはNASAやアメリカの軍需産業を辞めたロケット技術者たちであったが、それでも追いつかなくなり、後に素粒子を学んだ特殊の人々すら関わるようになる。
 ところが、このように肥大化した金融工学は、「35歳以上は理解不可能」 といわれるほど高度な数式を用いる難解な学問となり、やがて、それを統括的にコントロールするパースペクティブを持った人間が世界中に誰もいないといわれている時代を迎えることになった。つまり世界経済そのものが、先行き不透明な未曾有の混乱期に突入していったわけだ。
 1日のうちにコンピューターのキーを数個押すだけで、何10億ドルという巨額な資金がバーチャルなサイバー空間を瞬時に駆け回るという金融社会が、どのように不安定なものであったかは、言うまでもないと思う。
 サブプライムローンの崩壊、リーマンブラザースの破綻というのは、このような不安定な金融社会が、その負の素顔をさらしたということに過ぎない。
 合理的に運用されていたかのように見えた金融工学というのは、実は、実体経済とは異なる非合理の世界を生み出していた。それは、実体経済を離れたヴァーチャルな幻想経済といってよかった。
 80年代から頭角を現し、ヘッジファンドの代表的な投資家であり、かつ理論家と見なされるようになったジョージ・ソロスは、90年代になって次のように言う。
 「市場とは、合理的な数学理論で把握できない世界なのだ。マーケットというのは論理的でも自然に均衡するものでもなく、極端な乱高下を繰り返す “混沌” に過ぎない。そして、その混沌の中心にあるのは理論ではなく、大衆の群集心理だ」
 アメリカで進行していた金融社会崩壊の危機は、当時の日本には見えなかった。
 むしろ、時のアメリカ政府が勧める “ビッグバン” (金融自由化政策) を受け入れ、規制緩和によって外国系金融機関が上陸することに備えて、国内の不良債権処理に邁進した。
 それは、確かに国内経済の立て直しには貢献したが、その結果、日本の社会構造と日本人の精神構造に大きな変化をもたらすことになった。
 ビッグバンとは、政府の規制なしに金融の徹底した自由化を推進するものであったため、激しい競争原理の世界に日本の金融業を巻き込んだ。日本の各金融機関は、自己資本率を上げるために、融資額を圧縮するようになり、同時に、貸し出し先を厳しく吟味 (貸し渋り) するようになった。
 その結果、各企業は融資を受けるために、容赦のない合理化を徹底的に行ない、その流れの中で、「終身雇用」 といった日本的制度も崩壊して、「弱肉強食」 社会が誕生することになった。
 このように考えると、現在の 「雇用危機」 や 「派遣切り」 「失業」 という社会問題は、実は、輸出産業が日本経済をけん引して、日本が不況を脱したと沸いていた時代に、すでに生まれていたということができる。
 福田和也氏は、このような 「弱肉強食的」 な自由競争がイギリス、アメリカで容認されてきた背景には、彼らの根強いプロテスタント信仰の伝統があり、利潤追求の精神が強化されても、人心の荒廃を招かない文化的チェック機能が働いているからだという。しかし、それは他のアジア諸国には当てはまらないとも指摘する。
 福田氏がこのような指摘を行っていた1990年代の後期、浅田彰氏は、柄谷行人氏との 『文學界』 における対談 (再びマルクスの可能性の中心を問う) で、グローバル・スタンダードがもたらす新しい市場世界が、実はマルクスの予言した古典的状況に似てきたことを指摘している。
 「グローバルな電子情報網に支えられて巨大な資金が世界中を駆け回るようになった時代というのは、80年代のサッチャー=レーガン型の新自由主義を国家の側が認めてしまった結果としてもたらされたものだ。
 世界の各企業は、このグローバルなメガ・コンペティションに勝ち抜くためには、弱者は切り捨てていくほかはないと割り切ることができるようになった。
 これはいわば資本主義の野蛮な先祖返りである。
 その結果、文字どおりの世界資本主義が成立し、一方における過剰資金の蓄積と、他方における窮乏化が同時に進行するという矛盾が世界規模で見えるようになった。
 そういう意味で、マルクスの予言した古典的状況に似てきていると思う」
 このような福田和也氏や浅田彰氏の分析が、1990年代後期にすでになされていたということは瞠目に値する。
 なぜ、このような予言が拾い上げられることなく、日本は今の社会・経済状況に突入してしまったのだろう。
 いま私たちは 「世界恐慌」 のトバ口に立ったような不安に怯えているが、昔からこのような問題を真剣に考えていいた人たちは存在していた。
 人類がかつて経験したことのない未曾有の混乱期に入ったことは確かだが、そこから脱出するヒントは、過去に積み重ねられた英知の中に埋もれているかもしれない。
 それらを見出す作業も、いま必要なことだと思う。

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1998年と現在 への6件のコメント

  1. スパンキー より:

    とても興味深く、かつ重厚な考察と思います。幾重にも複合的に、現在の危機はすでに着々と迫っていたのですね。
    こうなると資本主義の限界がみえてきたとも言えますかね?
    市場の拡大と生産性の向上など、成長のみでしか語れない現在の市場経済システムは真っ当に考えればおしかな事だらけと言うことは、結構皆さん薄々分かっていたのではないのでしょうか?
    私が思い描く理想の生活は、海の近くに住んで、裏山に畑をつくり、後はパソコンで生計を立てるというモノです。このスタイルの基本は自給自足。後は地味にネットで何か売ろうかなと。
    ダメですかね?
    しかし、ここのサーバーは重いですね!

  2. 町田 より:

    >スパンキーさん、ようこそ。
    サーバー重いの、ごめんなさい。自分でも苛立つこと多いです。
    海辺の自給自足生活いいですねぇ! 資本主義の経済システムにすべて頼れないということになってくると、そういう自給自足的な部分も確保している人が強いかもしれないですね。
    基本的に思うのは、やっぱり今までのアメリカの経済システムはちょっとおかしかったな…ということなんです。それを 「グローバルスタンダード」 だと押し切ったところに、今の八方手詰まりのアメリカがあるように思います。
    旅すると、いい人たちばかりなんですけどねぇ、あの国は…。

  3. Yama より:

    経済の話になったので私も一言。日本の「失われた10年」と米国発の足元の先進国不況は、並列的に考えるより、連続的に捉えるのも可。90年初頭の内需拡大低金利政策での日本金余りが土地バブルを。米国の投資バブルは2003年の米国低金利の金余りが金融工学で暴発したとみるのが並列的、一般的ですが、80年代からの米国紙幣の世界ばらまきにそもそもの金余りの原因がある。いまその過剰流動性の修正時期に米国内も先進国も入っている。その修正は金持ちが金を失う形で決着するのですが、其の過程で経済的弱者もとばっちりをうけると。過剰流動性の修正局面という観点からは日本の「失われた10年」は「先行する10年」だったと。なんとかソフトランディング(なつかしい言葉ですね)してもらいたいと思いますが。

  4. 町田 より:

    >Yamaさん、ようこそ。
    専門的な視点からの適切なるご指導ありがとうございます。
    とても勉強させていただきました。
    日本の 「失われた10年」 が、実は過剰流動性の修正を行うための 「先行する10年」 であったというのは、確かにそういう意見もありますね。
    最近よく耳にするのは 「10年の期間をかけることによってバブル崩壊の筋道を分析し、体質改善を図ってきた日本企業は、この難局を乗り切るだけの力を持っている」 というもの。今度は世界がまた 「日本型経営」 を見直す番だという人も多くいます。
    ただ、Yamaさんもご指摘されているとおり、過剰流動性の修正の過程で 「金持ちが金を失うという決着によって、経済的弱者がとばっちりを受ける」 というのは、やっぱりゆゆしきことだと思います。
    そこで問題となるのは、どのような形ならば、経済的弱者がとばっちりを受けることを軽減できるのか。
    かつての 「日本型経営」 いわれるものの中には、人材育成、人材教育を企業も負担するという組織文化があって、そこが 「経済的弱者」 が蔓延する歯止めにもつながっていたと思うのですが、今 「先行する10年」 を生きる日本企業にはそういうパースペクティブがあるのかどうか。
    Yamaさんがおっしゃるように、ソフトランディングへの筋道をはっきり描ける人が出てきて、しっかりした指導力を発揮してほしいと思います。
     

  5. ccs福島 より:

    おじゃまします。
    巨大なものはいつか滅びる・・・リスクも大きいですね・・・
    A・トフラー著「第3の波」を思い出しました。
    A・トフラー氏にとってはいまの世界情勢は想定の範囲なのでしょう。
    であれば、予言のとおり小型・家族的な「顔の見える真心経営」へ移るのでしょうか・・・現にインターネットの普及により地方の原産者から直接、個人⇔個人という新しい水脈が生まれています。 “顔の見える直接取引”が安心を生みます。直接取引という武器を使いこなせなければリスクの小さいミニマム経営のほうが強いのではないでしょうか?

  6. 町田 より:

    >CCS福島さん、ようこそ。
    アルビン・トフラーという人は、工業社会の到来といわれた1970年代に、すでにその先に訪れる 「情報化社会」 を予想していた方ですよね。『第3の波』 は今でこそ説得力を発揮する書物なのかもしれませんね。
    で、福島さんのおっしゃるように 「顔の見える真心経営」 というものが、今こそ大切に思える時代というのはないように感じます。大企業のリストラ、派遣切りなんてのは、個々人の 「顔」 など見えなくて、「経営」 しか見えない発想なんであって、そもそも何のための商品開発か? っていう根本的な部分が見失われている考え方だと思います。
    CCS、頑張ってください。この業界はまさに “顔の見える直接取引き” が機能している業界です。
    福島さんのいらっしゃるCCSの今後のさらなる発展を祈念いたします。
     

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