バグダッドカフェ

《 昔の映画の現代的観賞法 11 》
 
「バグダッド・カフェ 」

 
 雨の日曜日。
 出かける予定もなく、オリンピックも終わって観るべきテレビもない。
 こういうときこそ、買いだめしているDVDの中から面白そうなものを引っぱり出して観るというのが、わが家の休日の過ごし方。
 今回は 『バグダッド・カフェ』 。
 公開当時 (1987年) から、映画好きの仲間内では評判だった映画だが、リアルタイムでは見損なっていた。
 今年になって、ツタヤの中古品コーナーで入手したものだ。
 
バクダッドカフェDVD1
 
 映画の舞台は、ラスベガス近郊の街道沿いにあるカフェ。
 モーテルとガソリンスタンドを兼ねている店なのだが、客の姿は皆無で、常連客が挨拶に顔を出すぐらいの怖ろしいさびれようだ。
 看板も店内も部屋もボロボロ。
 砂埃が舞い上がる乾いた大地にポツンとたたずみ、まるで朽ちていくのを静かに待っている廃虚のようだ。
  
 でも、なんだかそういう光景を観ると、とても懐かしい。
 つい3ヶ月ほどまで、そんな景色を眺めながらアメリカを走ってきたからだ。
 
 褐色の大地を貫く直線路に沿って、どこまでも続く電信柱。
 その下を猛スピードで走り抜ける長距離トラック。
 ホコリの舞い上がる大地の果てに広がる殺風景な山並み。
 その山に向かってトロトロ走る長い貨物列車。
 そして、名もない町の片隅にひっそりとたたずむ古びたモーテルやカフェ。
 アメリカ旅行では、そういう景色をフロントガラス越しに眺めながら走ったが、沿道で暮らす人々の生活までじっくり観察することはできなかった。
 
 しかし、この映画を観て、旅の途中でモーテルに立ち寄り、しばらく暮らしたような気分になった。
 ネタバレごめんで、ある程度話の筋を明かしてしまう。
 
 物語は、砂漠の中でケンカする夫婦のシーンから始まる。
 夫婦は、昔の貴族の館で繰り広げられるパーティに参加するようなクラシカルな衣裳に身を包んでいる。
 ドイツ人のお金持ち家族なのだ。
 2人は、ディズニーランドに観光に来た帰りらしい。
 彼らの時代錯誤的なファッションが、すでに、この映画がアメリカ社会から浮き上がった “異界” の人たちの話であることを暗示している。
 
 夫に愛想を尽かしたドイツ婦人は自分の荷物をまとめ、夫の運転するクルマを下りて、砂漠の道をとぼとぼと歩き出す。
 そして、沿道に見えたモーテル 「バグダッド・カフェ」 までたどり着き、まずは一休み。
 
 ところが、店はどこもボロボロ。
 定員たちはやる気なし。
 おまけに、その女主人は恒常的ヒステリー状態で、夫にも家族にも従業員にも八つ当たりばかりしている。
 風景も人間関係も、まさに風化寸前のカサカサ状態。
 
 主人公のドイツ女性はその状態を見かねて、店の掃除からメニューの選択まで、そっと従業員たちの手助けを始める。
 ところが、これが万年ヒステリー状態の女主人の逆鱗に触れる。
 「いったい何の目的があるのよ? 私の店なのだから、勝手なマネをしたら許さないよ」
 と、きつく主人公のドイツ女性を責める。
 
バグダッドカフェDVD2
 
 しかし、主人公のふるまいが、徐々にそのモーテルの家族や従業員の乾いていた心に 「水を与える」 ことになり、人間そのものに不感症になっていた人々の意識に “うるおい” がよみがえっていく。
 
 それきっかけで、立ち寄ったお客に対する彼らのサービスにも心がこもるようになり、モーテルは次第に活気を取り戻す。
 異界から来た “旅人” の出現により、地域住民に意識変革がもたらされ、そのことによって住民たちが新しい価値を手に入れる…という、昔からある 「物語」 の基本構造を忠実になぞるストーリーなので、ある段階まで来るとその先が読めてしまう。
 
 しかし、こういう映画は先が読めた方が楽しい。
 「ハッピーエンドの方程式」 というものがあって、前半が波瀾万丈であればあるほど、観客は、むしろ定型にハマったハッピーエンドの形を強く求めるようになる。
 冒険活劇ではないので、「波瀾万丈」 だからといって、人の生き死に関わるアクションシーンが展開するわけではない。
 
 でも、「このカフェ本当に大丈夫なの?」 と、観客がハラハラドキドキするぐらい、やる気のない従業員たちとヒステリー女主人の荒廃ぶりが見せつけられる。
 
 カウンター係のネィティブアメリカンの青年は、お客が来ても平気でハンモックに揺られたまま昼寝している。
 女主人の長男は、生まれたばかりの赤子の世話もせず、赤ん坊が動き出さないように、椅子に縛り付けたままピアノの練習をしている。
 女主人は、やたらと家族や従業員をどなり散らすだけで、店をどのように運営したら集客できるのか…といった問題などには、知恵を使う素振りも見せない。
 
 ところが、主人公のドイツ女性が出現したおかげで、ピアノ好きの長男は、自分の弾く音楽に関心を示してくれる人間にはじめて出会うことになる。
 モーテルの女主人の娘は、若い子特有のファッションや行動を、けなさずに温かい目で見守ってくれる大人の存在をはじめて知る。
 人間の心がうるおっていく 「きっかけ」 というものを、映画はひとつひとつ丁寧に描いていく。
 
 朝焼けに彩られる銀色のエアストリーム (この車内で映画では重要人物の1人が暮らしている) 。
 モーテルの沿道を走り抜けていくモーターホーム。
 画面には、さりげなくアメリカ人のキャンピングカーライフが描き込まれている。
 観ていて、アメリカモーターホームの旅がむしょうに懐かしく思えた。
 
 

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