最後の本屋

 会社の裏に、地元の商店街が連なった細い道路がある。
 一度、暇にまかせて歩き続けたことがある。
 並行して走る私鉄の駅を四つまで数えたところで、疲れた。
 そこから私鉄に乗って、戻った。
 道は、まだその先に続いていた。
 いったいどこまで続いているのか。
 一説によると、その道の果ては京都の三条大橋だということになっている。
 昔は本当にそうだったらしいが、今もそうなのかどうか、よく分からない。
 
 ただ、どことなく、時の流れに取り残された道という雰囲気だけは残っている。
 一歩わき道にそれると、もうそこは迷路。
 突然、道の真ん中に井戸が出てきたりする。
井戸
 この商店街を昼飯のときなどぶらぶら歩くことを繰り返して、いつの間にか30年経った。
 地元の消費者だけを頼りにしているような町なので、あまり大きな発展がない。
 むしろ、時の経過とともに、商い (あきない) をやめる店が増えている。
 櫛の歯が抜けるように、1年に1~2軒の割で、シャッターを下ろしたままの建物が目立っていく。
 まれに、大手企業が経営するフードショップのフランチャイズ店になって、活気を呈する店もあるが、その分、街の景色は個性を失って、日本のどこにでもあるような平凡な町になっていく。 
 この15日に、一軒の本屋が店を閉じた。
 専門書などを探すには向かない小さな店だったが、それでも店主がよく研究しているのか、時のベストセラーなどは、すかさず仕入れて店頭に並べていた。
 『女性の品格』
 『バカの壁』
 『ハリー・ポッター』
 大規模書店では平積みになる、そのような本が、たいてい1冊だけ、ときどきホコリを被って、ひっそりと顔をのぞかせている様子は、時として寂しげにも見えることもあったが、それでも店主の心意気を感じさせた。
 
 それらの本を求める読者が、その店に足を運んだかどうかは分からない。
 店の売れ筋は、コミックと雑誌だったろう。
 それでも、入り口近くに、そのような話題のベストセラー書が置いてあれば、ぶらりと入ったお客には、時代の流れに取り残されていない本屋であることが分かる。
 店の 粋がりだったかもしれない。
 病院に入院し、退院してから、その本屋が店を閉じたことを知った。
 店舗の敷地はどうなるのか。
 店の主人夫妻はどう暮らすのか。
 気にするほどのこともあるまいと思うのだが、少しは気になる。
 人々の本離れが進行しているなどと言われる昨今、確かに書店の営業は厳しいのかもしれない。
 欲しい情報は、ネットで検索して、コピー&ペーストで取り込むか、プリントアウトすればいいという時代。書籍が 「情報源」 となるという感覚は、人々の意識から急速に遠ざかりつつある。
 通勤中に文庫本やビジネス書を読もうとするサラリーマンが多い駅周辺の本屋さんはまだ生き残れるだろう。
 幼稚園の子供をクルマで送り迎えするようなママさんが寄る大きな駐車場を控えた郊外型の書店さんも大丈夫だ。
 しかし、サラリーマン層や主婦層、学生たちのいない地域の町の小さな本屋さんなどには、今や、よほどのことがないと人の影を見ることがない。
 一時は、その通りに4軒の書店があった。
 その最後の一軒が店を閉じた。

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