平和な家

 会社に泊まりこむような生活が長く続き、久しぶりに家に戻った。
 なんとなく、リビングの雰囲気が違う。
 マッサージ椅子の位置が変だ。
 この椅子は、昨年暮れに、カミさんの実家で使わなくなっていたものを運び込んだもので、たまに家に戻ったとき、凝った肩などをほぐす時にとても重宝していた。
 当然、今まで “激務” に励んでいた者が使う権利があると思い込んでいた私なのだが、そういう常識が通じる家風ではない。
 いつもは壁際に寄せられていた椅子が、堂々とテレビの前に進み出ている。
 テレビ横には、うずたかく積まれた韓流ドラマのDVDの山。
 「どうしたの? こんなに早く戻るなんて…」
 視線をドラマに集中させたカミさんが、振り向くことなく、こともなげに話し掛けてくる。
 「なんとか仕事が一段落ついたので」
 「良かったわね」
 ちっとも良さそうじゃない。
 「あなたが会社に泊まっている間、水道代が半分に減ったのよ」
 いきなり何の話だ?
 それじゃ、何かい?
 水道代を節約するために、もっと会社に泊まっておれ、…という意味かい?
 とりあえず、テーブルの前に座って、一緒に画面を眺める。
 若い男女が、本屋の中で会話している。
 「 『罪と罰』 なんて、読むの?」
 ドラマのヒロインらしき女性が男に話し掛けている。
 「ああ、法律の本だと勘違いして買ったんだ」
 ハハハハ….
 カミさん大喜び。
 …そんなに笑えるネタか?
 「なんか食べるものある?」
 と、さりげなく尋ねてみた。
 「何も食べてこなかったの? 夕ご飯食べたいのならもっと早く電話でもくれなくちゃ。何もないわよ」
 「メシは食ったけど、なんか小腹がすいて…」
 「糖尿病なんだからやめておきなさい」
 …で、終わり。
 ドラマに熱中しているときにいちいち話し掛けるな、という風情だ。
 私としては、なんとかカミさんの座っているマッサージ椅子がほしい。
 でも、とても言い出せる雰囲気ではない。
 しかたなく、グルグル首を回して、さも 「凝っている」 という信号をカミさんに送る。
 そのシグナルが、さも “うるさい” と感じたのか、カミさん、
 「急に首を回すと、血管が切れるわよ」
 「そうだね」
 と、やんわりと受けて、今度は背筋を後ろに逸らせて、「背中が凝っている」  というシグナルに切り替える。
 「退屈なら、お風呂に入るか、ブログでも書くかしたら」
 どうやらこっちの意志は通じているらしい。
 しかし、マッサージ椅子だけは何が何でも死守するという決意があることだけははっきりした。
 「じゃ、風呂が沸くまで一眠りするかな」
 「それがいいわよ。そうしたら」
 「そのドラマが終わるころ起きるよ」
 「当分終わらないわよ。疲れているんでしょ。朝まで寝たら」
 なんとなく、会社に戻って仕事をしたくなってしまった。
 ま、家が平和なのがなによりだ。

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