一店一品主義

 
 自慢じゃないが、外食に関しては 「一店一品主義」 を貫いている。

 何のことか。
 近所の料理店に行く場合は、たいてい一つの店で食べる料理が決まっているということだ。
 たとえば、同じ中華料理でも、餃子を食べる店とラーメンを食べる店は異なるのだ。
 近所の料理屋の例をとると、餃子ライスだったら 「風神」 。
 ラーメンなら、駅前のオープンキッチン (別名屋台) の「鳳」 。
 皿うどんだったら、「登龍」 ということになる。

 そんなことを自慢して何になる?
 何にもならないと思う。
 私も、私以外に 「一店一品主義」 などを自慢している人間に会ったことがないし、仮にそういうことを自慢げに吹聴している人間と会ったところで、私はそいつを尊敬しないだろう。

 だけど、そういってしまえば終わってしまうので、なぜ、私がそういう主義を貫いているかという理由を述べれば、それはひとえに、卑しいからである。
 食い意地が張っているに過ぎない。
 早い話、その店で一番 「おいしいもの」 と、自分で思い込んでいるものを食べているつもりなのである。

 しかし、世の中はよくしたもので、そいつを 「こだわり」 などと称して持ち上げる風潮がある。
 ありがたいことだ。

 で、今日の昼休みは 「登龍」 に皿うどんを食いに行った。 
 こいつは無類にうまくて、量があって、しかもコストパフォーマンス (550円) に優れているという三冠王状態にいる。
 これを食べると、1日中幸せだ。 
 舌に残った味を少しでも長い時間反すうしたくて、その後2時間ほどは水も飲まないし、煙草も吸わない。
 こんなにうまい皿うどんがあるというのに、なんで他の人はチャーハンや中華丼や焼肉定食を食べているのか、不思議に思う。

 でも、それは他人の勝手なので、相席になった人には一度も、「なぜ皿うどんを食べないのですか?」 などと尋ねたことはない。
 そもそも皿うどんという料理は、微妙に 「時間」 と勝負する食べ物だ。
 味が、時間の経過とともに、刻々と変化する。
 あれは、そもそも油で揚げた麺に熱いタレをかける食い物で、タレに侵食されて、麺がシナシナになっていく状況を楽しむ料理なのである。

 そういった意味で、揚げ麺にあんかけをかける固焼きソバに似ている。
 最初はカリッとしたセンベイ状態で麺が出てくる。
 こいつを、かりかりと音を立てて食べるのがうまい。
 しかし、そのうちタレに浸ったところから、どんどん柔らかくなる。
 柔らかくなると、やっと野菜や豚肉やキクラゲなどといった食材とのマッチングがよくなる。
 これはこれでうまい。

 途中から違った料理になるので、一皿で二度おいしい。
 ぼやぼやしていると、このタイミングを失する。
 のんびりしていると、麺がセンベイ状態でいるときのカリカリ感を堪能できなくなる。
 かといって、あんまり急ぎすぎると、今度は麺がしっとりしていく途中の微妙な食感を逃してしまう。
 あわてず、遅れず、タイミングを慎重に見計らいながら、整然と食べる必要がある。
 この料理を上手に食べる人は、きっと時間管理がうまいはずだ。

 

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