映画「スターリングラード」

《 昔の映画の現代的観賞法 6 》
「 スターリングラード」

 この世で、もっとも「非人間的な組織」。
 それが軍隊である。
 第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍とソ連軍によって戦われたスターリングラード攻防戦は、凄惨を極めた。
 「祖国を守る」 という名目で、にわかに駆り出されたソ連の新兵たちは、最初の戦場で、軍隊という組織が、いかに非人間的な組織であるかという冷厳な事実に直面する。

 この映画は、ソ連兵によるスターリングラード突入シーンから始まる。

スターリングラードパンフ

 新兵たちは、小舟にぎっしり詰め込まれて、対岸のドイツ軍陣地に向かう。
 ドイツ軍の砲撃や、戦闘機による機銃掃射が繰り返されても、小舟の中で揺られる新兵たちは、なすすべがない。
 身動きの取れない小舟の中では、行き場もなく、身を守るものもないからだ。
 あれよ、あれよという間に、初めて軍服に手を通したような若者たちが、次々と命を落としていく。

 その修羅場の中で、ソ連軍の指揮官が、ハンドマイクを片手に怒鳴る。
 祖国の母たちからのメッセージだ。お前たちよく聞け!
 「勇敢な息子たちよ、命を犠牲にしても祖国を守れ」
 お前たちの母は、そう叫んでいる。
 新兵の母たちが、ソ連のために彼らが死ぬことを願っているというのである。

 ウソに決まっている。
 軍隊という組織が、家族の絆を絶ちきることによって成立するという事実が、このシーンでは象徴的に語られている。
 命を落とさず、ようやく上陸した新兵たちにも、次の試練が待ちかまえている。
 供給される銃が、2人に1挺という貧しさなのだ。

 またしても、上官がハンドマイクで指令を出す。
 「前の者が倒されたら、後ろの者が、その銃を拾って使え」
 銃を手にできない兵士は、丸腰で突入せよ、といっているわけだ。
 「退却する臆病者は、射殺する」
 若者たちの背中に、さらに上官の声が追い討ちをかける。

 そして実際に、逃げ帰ってくる自軍の兵士に対しては、“貴重なはず”の弾丸が容赦なく浴びせられる。
 ソ連赤軍の本性…というより、戦争というものの本質が、この冒頭のスターリングラード突入シーンで象徴的に描かれている。

 この、人間を「戦闘マシーン」としてしか見ない軍隊の中に、一人だけ異能を発揮する青年がいた。
 主人公ヴァーシリ(ジュード・ロー)だ。
 牧畜業を営んでいる平凡な若者にすぎない。
 ただ射撃だけが、天才的にうまい。
 彼の常人ならざる射撃の腕を、ソ連共産党の宣伝部に属する記者が、発見する。
 「こいつを、ドイツ軍の指揮官だけを暗殺するスナイパー(狙撃兵)に育てよう」
 ヴァーシリは、ソ連軍司令部の判断により、非人間的な組織の一員として生きるしかすべのない新兵グループから抜擢され、「スペシャリスト」としての待遇を受ける。
 
 ナチスの将校たちを確実に暗殺していけば、やがてドイツ軍の指揮系統は乱れ、彼らの戦意も低下する。
 そのことをソ連の新聞で報道していけば、味方の士気は高まり、国民の意気も上がる。
 そう判断したソ連軍上層部の命を受けて、ヴァーシリの “仕事” が始まる。
 彼は卓越した射撃術を駆使して、ナチス将校を一人ずつ、しかし確実に血祭りにあげていく。
 その結果が、連日『プラウダ』紙のトップを飾り、ソ連側の士気は日増しに高まり、逆にドイツ軍はパニックに陥る。

 物陰に潜み、望遠レンズ付きのライフルを構えて、じっとドイツ軍陣地を見張るヴァーシリの表情には、一兵卒としてドイツ軍の砲撃にさらされていた時の怯えも戸惑いも、浮かんでいない。
 純朴なロシア青年は姿を消し、魔界を仕切る「憂鬱な魔王」がとって代わる。

スターリングラード1

 この映画のなかに、「組織」対「個人」の対立図式を見出したのは、パンフレットの解説を書いた粉川哲夫氏である。
 彼はいう。
 「戦争は、徹頭徹尾システムによる作業である。そこでは司令部の描いた戦略・戦術を機械のように正確にトレースする人間だけが存在を許される。
 兵士が “個人” として、自由に判断したり対処したりすることは、戦争全体の中では無駄なことであり、むしろ危険なことだ。
 100パーセント自分を殺し、司令部の意図する方針を無批判に遂行すること。
 それが、戦場で人間に要求される役割だ」

 粉川氏はさらに続ける。
 「それに対して、スナイパー (狙撃兵)だけが、戦場において、自分だけの判断に頼り、自分だけの行動を許され、そして自分だけが (失敗の) 責任を負う。
 戦争マシンの歯車としてしか存在しない兵士たちのなかで、スナイパーだけが自由な “個人” を獲得する」
 「その証拠に…」
 と、粉川氏は例を出す。
 「主人公がナチス将校を射殺するという殺伐たるシーンが、なぜ観客に爽やかな印象を与えるのか?」
 それは、「非人間的な組織の中で、狙撃者だけが個人としての力量を最大限に試され、そしてその行為が成功した瞬間を、主人公と観客が一体となって共有するからだ」 という。
 異論はあろうが、卓越した見方である。

 ヴァーシリにライバルが登場する。
 連日将校クラスを狙撃されたドイツ側も、黙ってはいない。
 本国から、主人公を上回るほどの腕を持ったプロフェッショナルな狙撃兵が乗り込んでくることになる。
 ケーニッヒ少佐 (エド・ハリス)だ。

スターリングラード2

 登場の仕方がいい。
 敗残兵のみすぼらしさを漂わせてきたドイツ兵たちが見守るなかを、彼は、白いテーブルクロスを敷いた専用列車にひとりだけ座り、優雅にワインを飲みながら任地にやってくる。
 そこに注がれる、羨望と、好奇心と、憎しみをたたえたドイツ兵たちの視線。
 列車の中を覗き込むドイツ兵の顔が並ぶと、ケーニッヒ少佐は、おもむろに窓のカーテンを引き、憂鬱な顔つきで、金の吸い口のついたシガレットに火を付ける。
 その優雅な物腰から、彼が貴族出身の高級官僚であることが分かる。

 いかにも典型的なドイツ将校を思わせる、重厚で丹精な顔立ち。
 感情を表に出さない冷静な思索家の雰囲気。
 観客には、それがヴァーシリと対決するドイツ側のスナイパーであるとは、その場では分からない。そのうちヴァーシリに撃たれてしまうナチスの大物ぐらいにしか思わない。
 だから、彼が優雅な立ち居振る舞いを捨て、汚い身なりで地に潜み、泥にまみれながら、建物の影に隠れてヴァーシリを狙い始めたときに、観客は衝撃を受けることになる。

 主人公ヴァーシリには、彼に憧れ、いつも後をついて回る靴磨きの少年の友達がいる。
 策略家のケーニッヒ少佐は、この靴磨きのロシア人少年を、ベーコンやチョコレートで篭絡し、ヴァーシリの行動パターンや性格などを聞き出そうとする。
 スナイパー同士の戦いは、相手の趣味やクセまで分析する情報戦としてスタートするわけだ。
 ケーニッヒは、スパイをさせていた少年が、実は逆スパイとして、自分の情報をヴァーシリ側に漏らしているのではないかと疑念を抱く。
 疑念を持ちながらも、それを承知で彼は戦いに赴くわけだが、最後に少年にこう誓わせる。
 「よいな。俺がこれから(狙撃のために)潜む場所は、お前を信じてお前だけに教えたものだ。
 だから誰にも言ってはいけないよ。約束できるね。
 そして、もうひとつ約束がある。明日はぜったいに家から出るんじゃないよ」

 少年は、「うん」と頷くが、当然ヴァーシリにとっておきの情報を知らせたくて、狙撃者同士が戦おうとしている現場の下見にやってくる。
 それを捕まえたケーニッヒ少佐。
 「可愛いサーシャ。でもやっぱり裏切ったね」

 画面は変わり、少年の死体が戦場の瓦礫の柱に吊るされるていシーンが映しだされる。
 観客は、少佐の冷酷非情な一面を知ることになる。
 このような、無垢な少年を騙して利用しようとするケーニッヒ少佐の冷徹ぶりに、映画のパンフレットの論調は、みな 「冷酷なドイツ将校」 という表現を与えている。

 だが、エド・ハリスの演技はなかなかどうして、冷たさのなかにふと見せる優しさ、詩人のような憂愁、戦士としての潔さなど表現して、単なる冷酷非情な人間を超えた人間的な魅力をまきちらす。
 そもそも逆スパイと分かっていた少年に、少佐はなぜ、「明日は家を離れるな」と、言ったのか。
 それは、少年を殺したくなかったからではないか。

 最後の戦いに臨む前。
 ケーニッヒ少佐は、今まで胸に付けていた金ピカのカギ十字勲章を外し、代わりに、鉄サビの浮いたみすぼらしい十字勲章を胸につける。
 それは、このスターリングラードの戦場で命を落とした、自分の息子がつけていた勲章だった。
 観客は、何も語らぬケーニッヒ少佐の胸に秘めた悲しい過去を、そこで知ることになる。
 ヴァーシリとケーニッヒ少佐の、知謀と射撃術を駆使した死闘が始まる。
 互いに相手を欺きながら、自分の射撃が有利になる場所を探す2人。
 プロとプロの、秘術を尽くした騙し合いに観客は息を呑む。

 謀略戦を勝ち抜いたのは、ヴァーシリだった。
 ヴァーシリが、撃たれたように装ってケーニッヒを罠にかけたのだ。
 相手をしとめたと錯覚した少佐が、潜んでいた場所から、用心深く姿を現す。
 だが、彼の視線はすぐに、あとは引き金を引く瞬間を待っているだけのヴァーシリの姿を捉える。

 勝負は決まった。
 ヴァーシリの銃弾を避けるすべはないことを悟った少佐は、ゆっくりとヴァーシリに向き直り、まるで挨拶を送るように、帽子を脱ぎかける。
 その少佐の額に、ヴァーシリの銃弾が穴をあける。
 撃たれる直前の、ケーニッヒ少佐の表情が素晴らしい。
 秘術を尽くした戦いに破れた悔しさと、自分の作戦をしのいだヴァーシリに対する敬意、そして同じスナイパーとしての苦しみを共有したという友情に近い共感。
 その万感こもごもの感情が、無言の表情にすべて語られていた。

エド・ハリス画像

 エド・ハリスはうまい役者だなぁ、とつくづく感心した。
 この映画の主役は、エド・ハリスの演じたケーニッヒ少佐だと思う。

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映画「スターリングラード」 への4件のコメント

  1. ボールチェアー より:

    エド・ハリスの演じたケーニッヒ少佐もカッコよかったですね。
    ジョセフ・ファインズ の ダニロフも好きです。えーーっと言われますが…
    彼もいないと話が成り立たないかと。

  2. 町田 より:

    >ボールチェアーさん
    ジョセフ・ファインズのダニロフ。>「えーーっ」なんていいません! 確かに話がなりたちませんものね。
    ジョセフ・ファインズも好きな俳優さんです。特に『恋に落ちたシェークスピア』 のシェークスピア役が好きでした。
    ちょっとおっちょこちょいで、剣技もこなしてしまうシェークスピア。
    そういういかがわしさも、ジョセフ・ファンズが演じるとけっこうサマになっていました。
    でも、この映画のエド・ハリス、やっぱカッコよかったですね。

  3. 赤の’57 より:

    ライトスタッフやアポロ13でのエド・ハリスも印象的でした。
    本物のジョン・グレンにとても似ていました。
    この映画は観ていないのですが、断然観たくなりました!
    ストーリーを知ってしまっても面白そうです!

  4. 町田 より:

    >赤の’57さん
    すいません…ネタばれみたいな記事しか書けなくて。
    本当に上手な映画紹介というのは、あらすじをバラさなくても、観たくなるような書き方のことをいうのでしょうね。
    昨日、ある週刊誌でリドリー・スコットの新作「アメリカン・ギャングスター」の紹介が出ていたのですが、筋をバラさなくても、観たくなる書き方だったんですね。
    そういうふうにしなくちゃな…と思っていたところでした。
    でも、この「スターリングラード」、DVDで観てください! 赤の’57さんならきっと楽しめるはずです。

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