Woo Child

 
 小さな病院の狭い病室で、親父は息を吐いていた。
 すでに、喉の筋肉が衰え、溜まったタンを一人で吐き出すことができない。
 
 先生の勧めで、喉に穴を開けた。
 そこから管を差し込み、タンを吸い取ってビーカーに移す。
 通常は20分から30分おきに、その作業を繰り返す。
 しかし、タンの量が多くて、喉が苦しそうに鳴るときは、その作業が10分間隔に縮まる。
  
 穴を開けたところに異物を直接突っ込むのだから、神経が正常であれば痛いに違いない。
 でも、その痛さを訴える声が、もう親父の喉から出ない。
 
 夜間、付き添いで世話をしてくれている女性の看護人が、その日はさすがに応援を求めてきた。
 ここ3日ほど、ほとんど寝ていないらしい。
 タンを取らなければならない時間が、刻々と短くなっているという。
 
 会社から戻って、風呂に入ることもなく、病院まで自転車をとばした。
 寒気が強まり、空気が澄み渡ってきたせいか、月が凍って見える。
 
 病院に人影はなかった。
 ナースセンターのドアから明かりが漏れているが、物音はしない。
 
 病室に入ると、看護人が疲れた微笑を浮かべて、
 「深夜なのにありがとう」といった。
 
 「お礼をいうのはこちらの方ですよ。ずいぶん面倒をおかけしたみたいで…」
 「今日は少し落ち着いているの。タンが収まってくれれば、本人も眠れると思うわ」
 「仮眠をとってください。後は僕がタンを引きますから」
 「そうさせてもらうわね」
 
 ベッドの横に敷いたマットに横たわり、彼女はすぐにイビキをかき始めた。
 
 親父は目をつぶっている。
 声をかけても、答はない。
 寝ているのか、起きているのか、意識があるのか、それも分からない。
 
 開けた喉の穴から、タンが絡まるかすかな音だけが響いてくる。
 覚えたばかりの方法で、その穴に管を刺し込み、タンを引く。
 瞬間、眉間にしわが寄る。
 痛いのだろう。
 でも、タンを取り除かなければ窒息してしまう。
 
 ある程度取り終わると、少し安らかな顔に戻った。
 
 その作業が終わると、さしあたりすることがなかった。
 テレビをつけて、深夜映画を観た。


 
 岸谷五朗がタクシーの運転手を演じている。
 在日韓国人のドラマらしい。
 音量を大きくできないので、会話はほとんど聞き取れない。
 話の筋も、よく分からない。
 でも、不思議な雰囲気に満たされた空気がブラウン管の中を流れていく。 
 
 放映が終わって、エンドタイトルが流れる。
 催洋一監督の『月はどっちに出ている』という映画だった。
 
 出演者のクレジットが流れる画面に、憂歌団の歌がかぶさった。
 木村充揮が独特のだみ声で、内田勘太郎のギターに合わせてバラードを歌っていた。
 
   風が吹く夜は
   いつも目を覚ます
   まるで、お前が、窓を叩くようで
   耳を澄ませば、声が聞こえる
   道に迷って、俺を呼ぶようで
   Woo Child 泣かないで
   Woo Child きっといつか
   Woo Child 逢えるから
   Woo Chird 風の中で
 
  
 歌が終わって、画面が布団メーカーのコマーシャルに変ってからも、歌が頭の中に鳴り響いた。
 
 なんで、この歌がこんなに身に沁みてくるのか、よく分からない。
 たぶん、もうじき一人の人間の生命が終わるという感慨が、どこかで神経を刺激していたのだろう。
 
 結局それが、親父と “一緒に聞いた” 最後の歌になった。
 数日して親父は、その歌のように、そのまま風になって去った。
 憂歌団の『ウー・チャイルド』は、私が親父を思い出すときの歌になった。
 
 だから、風が吹く夜は、いつも目を覚ます。
 親父が、窓を叩いているような気がする。
 耳を澄ますと、親父の呼ぶ声が聞こえるようにも思える。
 でも、きっといつか逢える。
 
 親父が亡くなって、今日で13年目になる。
 
▼ 憂歌団 WOO CHILD  『月はどっちに出ている』予告編より。 1分18秒ぐらいからこの曲が少しだけ流れる。


   
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Woo Child への2件のコメント

  1. 磯部 より:

    心に染みいるような町田さんの想いが、こちらにひたひたと伝わったきます。
    私は2日前、仕事を抜け出し、横浜の父の墓前にいました。
    正月に行けなかったので、遅れて親父に挨拶。
    父が亡くなったのは3年前の夏。眠るような最後でした。
    肉親の死といのは、生涯忘れないでしょう。
    蝉が鳴く頃になると、私も父を思い出します。
    この頃、年のせいでしょうか?私もよく感慨に浸ることがあります。
    合掌

  2. 町田 より:

    >磯部さん
    ありがとうございます。
    私も、親父を失ったときの途方もない喪失感をいまだに覚えています。
    病院で療養中、痩せて、背が丸くなって、体も縮こまって、言葉もしゃべれず、まるで赤子のようでした。
    それでもデカいんですね、親父って。不思議なものです。

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