ハードボイルド研究ノート 1

《 ハードボイルドをリサイクルする 》

 「ハードボイルド」という言葉は、今はもう死語に近い。
 かろうじて “老人医療施設” の片隅のような場所で、ひっそりと生きながらえていたとしても、誤解と偏見に満たされた言葉であることは間違いない。
 
 最近では、ハードボイルドの大御所レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ(長いお別れ)』 が、村上春樹の新訳を得て評判になったけれど、その表紙や帯には、「ハードボイルド」という言葉が表4の帯に、小さくたった一言出てくるだけである。
 村上春樹は、「ハードボイルド」という古い先入観で自分の翻訳が偏見にさらされるのを嫌ったのだろう。
 
村上ロンググッバイ
 
 かつて「ハードボイルド」という言葉が、カッコいい男の生き様を表現していた時代があった。
 しかし、その響きに、どこか「マッチョ」な匂いが立ち込めていたため、マッチョ文化が廃れるとともに、「ハードボイルド」もフェイドアウトしていった。
 今、もうこの言葉は、ギャグとしても使われないようだ。
 
 でも、ハードボイルドの誤解を解いてやらなければならない。
 それは、ある意味で、今の時代に失われてしまった「大人の文化」を取り戻すことにもなるかもしれないからだ。
 ハードボイルドは、マッチョとも、男根主義 … ごめん! 男権主義とも、家父長制などとも無縁な思想だ。
 自分の行動の責任を自分で取る、というだけの思想である。
 
 でも、そいつが今の時代には見失われている。
 新しい思想は、案外、見捨てられたクズかごの中に、ひっそりと眠っていることが多い。
 リサイクルの時代だ。
 クズかごの中に、ごそごそと手を突っ込んで、「ハードボイルド」を取り出し、そこにつもったホコリをていねいに取り除いてやろう。
 とびとびの連載になると思うが、興味ある人だけに読んでほしい。
 
《 ハードボイルドって何だ? 》
 
 ハードボイルドという言葉は、その全盛時代には、次のようなイメージで見られていた。
 クールでタフな主人公が、暴力的なアクションを駆使して事件を解決していく探偵小説(もしくは映画)。
 あるいは、女々しいセンチメンタリズムをポーカーフェイスにくるんで、強がってみせる男が登場する推理小説(もしくは映画)。
 
 ま、かつては、そんなところが「ハードボイルド」という言葉から普通の人々が連想するイメージだった。
 …と、ここまで書いてきて、じゃ、そうじゃない「ハードボイルド」って何だ? と言われてしまうと、実はよく分からない。テヘヘ…なのである。
 
 とりあえず、文献をひもとくことにする。
 アンチョコ本は、早川書房の『ミステリ・ハンドブック』と『レイモンド・チャンドラー読本』 … 等々である。
 「ハードボイルド研究」など大上段に構えると、実は恥ずかしい。ほとんど “抜き書き” だからだ。
 ただ、それらの本の中の“おいしい部分”を拾いつつ、若干だが、私見も添えている。
 
《まず初歩的なことから》
 
 ハードボイルドとは、まず「文体」のことを指す。
 この言葉に特別の愛着を感じている人々は、すぐトレンチコートを着たハンフリー・ボガートのたたずまいや、ソフト帽をあみだに被ったロバート・ミッチャムなどを連想してしまうが、そういうファッションやら、「男の生き様」的なライフスタイルをいうわけではない。
 
ボギーphoto1  さらば1
 
 そのようなハードボイルド風俗が誕生してきたのは、まず、それがカッコいいと感じさせる小説としての「文体」が誕生してからだ。
 その文体とは何か。
 多くは、登場人物の心理を、一人称の記述によって、セリフと行動だけで描写していく手法で、元祖はヘミングウェイだということになっている。
 
ヘミング ウェイ
 
 アメリカ文学の研究者である佐伯彰一氏は、次のように言う。
 「ハードボイルド派の、あの寡黙で、しかも切れ味の鋭い文体は、ヘミングウェイという見事な先例がもたらしたものであり、口語的、俗語的ダイアローグ(対話)の絶妙な巧さも、ヘミングウェイを抜きにしては語れない。
 ハードボイルド派とヘミングウェイに共通するものは、主人公たちの、一種ストイックな寡黙ぶりで、彼らは辛いこと、苦しいことに唇を結んで耐えしのび、決して、泣き言をもらさない」
 
 う~む。まぁ、かつては、こういうのが「男らしい」といわれたわけだ。
 男でも「感動にむせび泣く」時代となった現代では、ちょっと通用しない考え方かもしれない。
 早くも自信を失いかけたが、あきらめず、もう少し行ってみる。
 
《 「ハードボイルド」の語源 》
 
 ハードボイルドという言葉の意味は、“固ゆで” である。
 「ゆで玉子は、ハードボイルド(固ゆで)にしてくれ」 … なんて使うようだ。
 
 それが、「タフでクールな人物」を指すようになったのは、アメリカ軍の新兵訓練にネを上げた兵士たちが、その冷酷非情なシゴキを行う下士官の服の白い襟を見て、その白さが卵の殻を連想させるため、「ハードボイルド・エッグ」と呼んで、忌み嫌ったことに由来する(… とか)。
 そういう説が有力だが、本当のことは分からない。
 
《最初のハードボイルド小説》
 
 このヘミングウェイ・チックな文体を、いちばん最初に推理小説に採用したのは、ダシール・ハメットである(…らしい)。
 1923年(ぐらい)に、ハメットが書いた『放火罪および』という短編、ならびに1929年の『血の収穫』という長編には、コンチネンタル・オプという私立探偵が登場する。
 その主人公の叙述が、きびきびしていて、無駄がなく、スラングを多用していたために、後にハードボイルドの元祖といわれることになる。
 
 ちなみに、このコンチネンタル・オプというのは、主人公の名前ではなく、コンチネンタル探偵社のサンフランシスコ支局に勤める、雇われ探偵(オプ)という意味。
 デブの中年男だそうだ。
 ハメットが、この探偵に名前をつけてやらなかった理由は今も分からない。

 マル タ鷹本
 
 ダシール・ハメットの名声を確立したのは、1930年刊行の『マルタの鷹』で、ここで彼は、サム・スペードなるタフでクールな私立探偵を登場させる。
 このサム・スペードこそ、史上最初に登場したハードボイルド野郎ということになる。
 映画では、ハンフリー・ボガードが好演している。
 
マ ルタボギー
 
《 チャンドラーの登場 》
 
 このハメットとともに、ハードボイルド小説の元祖と並び称されるのが、有名なレイモンド・チャンドラー。
 作家デビューは1933年の『脅迫者は射たない』という短編らしいが、フィリップ・マーロウなる私立探偵が登場する『大いなる眠り』(1939年)で、チャンドラーの名前はブレイクする。
 
チ ャンドラー肖像1
 
 その後マーロウが主役を務める『さらば愛しき女(ひと)よ』(1940年)、『長いお別れ』(1953年)が大ヒットし、チャンドラーはハードボイルドの大御所という名声を確立していく。
 
 彼の一連の作品は、みな会話が粋だ。
 大人の会話である。
 もちろん、日常生活で使えるような言葉ではない。
 しかし、去っていく女の後ろ姿を見つめながら、また、宙を舞うハズレ馬券を眺めながら、ボソっと独り言をいうときにはピッタリ!
 声として発しなくても、心の片隅にとどめておくだけで豊かな気分になる。
 
 実は、その会話の雰囲気を紹介したいがために、これを書き始めたようなところがある。
 でも、それは後のお楽しみ。
 もう少し、学術論文を続けたい。
 
《主人公たちの職業と、活躍する場所》
 
 ハードボイルド小説の主人公は、ほとんどの場合私立探偵だが、新聞記者、弁護士、保険調査員などが加わることがある。
 小説の舞台は、大多数がカリフォルニアであり、ハナの差でニューヨークが並び、第3位にシカゴが続いている(… とか)。
 
摩天楼1
 
《 文体の特徴 》
 
 先ほどの「文体」の話を少し詳しく述べる。
 ハードボイルドといわれる小説の文体は、次のように言われることが多い。
 
① 作者は、主人公の行動と会話だけで、読者が知らなくてはならないことを全て伝える。
 立ち止まって、登場人物の考えを説明したり、動機を分析したりせずに、めまぐるしい一連の出来事を、ただ彼らに経験させる。(パトリシア・ハイスミス)
 
② ハメットにおけるハードボイルドの骨格は、まず第一に心理描写を排すこと。それはとりもなおさず、人間の行動をいったん動物行動学の次元に置き換えることに他ならない。
 そのため暴力が克明に描写されることになるのだが、人間の営為のうち、暴力行動こそが動物に近いものだという判断が、ハメットのなかでは働いていたのだろう。(船戸与一)
 
③ チャンドラーは、精密な描写の上に、苦い自嘲や鋭い皮肉、つまり微苦笑を含んだ大人の視点を文章に盛り込む。
 それが、簡潔な文体や巧妙なレトリックによってぴたりとキマっている。(小泉喜美子)
 
 これらの人々の指摘を総合すると、どうやらハードボイルド文体というのは、1に「簡潔」。2に「乾いている」。3に「登場人物の心理描写をしない」ということがいえそうだ。 
 
 これらをまとめていうと、
 「カメラ・アイのように … 」
 という表現が適切かもしれない。
 
 つまり、レンズに写るものを選り好みしないカメラのように、画面に写ったものだけを切り取っていくという手法だ。
 ちょうど説得力のある写真が、キャプションなしでもメッセージを伝えることができるように、適切なハードボイルド表現は、作者の思想をことさら言語化しなくても、十分読者に伝えられるというわけだ。
 
カメラ1
 
 そういった意味で、ハードボイルド小説は、カメラがこの世に登場した「近代」の文学であり、絵画と連動していた古典文学と一線を画するものなのかもしれない。
  
 
 (続く)

    

カテゴリー: 映画&本   パーマリンク

ハードボイルド研究ノート 1 への2件のコメント

  1. ブタイチ より:

    今日は『だめんずうぉーかー』を本屋に探しに行ってきました。
    で…今度はハードボイルドですか?(笑)
    楽しいですね~!
    期待しています。

  2. 町田 より:

    >ブタイチさん
    テヘヘ…ですね。ブタイチさんのようなアメリカ文学のエキスパートに期待されちゃうと、こういうテーマはち
    ょっとプレッシャーですね。
    どこかで足を踏み外していたら、叱ってください。
    倉田真由美さん、面白いでしょ!

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">