ホラーの時代

 
 昔から、自分の好きな小説のジャンルに 「ホラー」 がある。
 「ホラー」 というと、幽霊や、怪物や、性格異常者が登場し、不可解で残酷きわまりない怪事件がたくさん起こるというイメージを持たれている人は多いと思う。
 事実そのとおりなのだが、ただ、昔のホラーと比べると、最近のホラーは、恐怖を運んでくる主体が確実に変わっている。
 
 昔のホラーは、その恐怖の根源となる役目は、だいたい 「幽霊」 が負っていた。
 そして、その幽霊が、なぜその場に登場するのかという因果関係も、だいたいはっきりと読者に伝えられていた。
 恨みをはらすためにせよ、呪いをかけるためにせよ、恋慕したにせよ、幽霊が出てくるのは、「この世に残した未練」 のせいであり、その未練が、出現の 「動機」 である限り、幽霊の存在には (非科学的だけど)合理性が貫かれていた。
 
 ところが、だんだん、なぜ出現してくるのか分からない 「幽霊」 が増えてきた。
 というか、それが幽霊なのかどうかも分からなくなってきた。
 
 たとえば、貴志祐介がよく描くところの “怪物” たちは、生物学的には人間であることが多いのだが、その思考や行動や様相が 「人間」 ではない。人間を逸脱して、別の生命体となった “何か” なのだ。
 
 岩井志麻子の小説に登場する “怪物” も、貴志祐介の路線と似ているが、その出世作である 『ぼっけぇ、きょうてぇ』 に出てくる謎の人物は、もう生命体なのか幽霊なのかも分からない存在になっている。
 

 
 そういう傾向が顕著になってきたのは、日本では1990年代に入ってからだという。
 (※ 「ホラー小説」 という言葉が生まれたのもその頃で、それ以前の 「怪談」 に近い物語は、「恐怖小説」 などと呼ばれていた) 。
 
 そして、この新しいホラー小説は、長らくエンターティメントとしての読書を支えてきたのはミステリー(推理小説) に、今や取って代わろうという勢いだという。
 
 このような、娯楽小説における主役交代の舞台裏では、いったい何が起こったのだろう?
 それを知るには、まず最初にミステリーという文学を支えている 「思想」 を解明してみると面白い。
 
 ミステリーにも様々なジャンルがあるが、その頂点に立つとされているものは 「本格派」 と呼ばれるものだ。
 本格派では、人間がまったく入ることのできない密室で、なぜ殺人事件が起こったのか? …という感じの、それこそパズルを解くのに似た知的ゲームの面白さが追求される。
 
 そういう小説を支えているものは、因果律に対する盲目的な信頼である。
 「起きた事件は必ず解決される」
 「逃げた犯人は必ず逮捕される」
 
 つまり、事件にはすべて原因があり、原因があるかぎりは、結果 (事件の解決) が必ず訪れる。
 そして、結果をつぶさに調べることによって、隠された原因にさかのぼることもできる。
 このような 「因果律への盲目的な信頼」 は、まさに近代合理主義の精神そのものがもたらしたものといっていい。
 
 近代合理主義というのは、物事の 「原因」 と 「結果」 には、「必ず科学的な因果関係がある」 とする考え方である。
 それまでの、「火山の爆発は神様の怒りだ」 とするような考え方に変わり、近代合理主義以降は、「火山の爆発は地殻変動による地下のマグマの噴出だ」 という解釈に変わった。
 
 そして、このような近代合理主義の旗印が掲げられた世界では、
 「時代が進めば進むほど、世の中の謎は解明され、人々の暮らしをおびやかしていた迷妄・迷信は払拭されていく」
 と信じられた。
 
 そういう思想の流れを決定づけたのは、ダーウィンの 『進化論』 だった。
 『進化論』 は、単なる生物学上の進化を説明したのみならず、そのように人間の社会も進化するものだというイデオロギーとして機能し、近代合理主義思想の根幹を成した。
 
 本格派ミステリーというのは、こういう近代合理主義イデオロギーを前提として生まれたエンターティメントであり、それが娯楽文学の上位にいるかぎり、非科学的な怪談においても、幽霊が出現する要因として因果関係が語られねばならなかったのだ。
 
 ところが、20世紀が終わろうとする頃から、近代合理主義的な考え方では、どうしても理解できないような、さまざまな事件が起こるようになってくる。
 政治や経済が、予測不能な動き方をするようになってきたのだ。
 
 そういう傾向が顕著に現れてきたのは、「冷戦」 が終わった頃からだった。
 面白いことに、その時期が、日本で近代ホラー小説が誕生してきたといわれる1990年頃と重なる。
 
 世界的に見ると、1989年の11月に冷戦時代の象徴として君臨してきたベルリンの壁が崩壊する。
 それからほぼ 2年後の1991年12月に、ソビエト連邦が崩壊し、冷戦は資本主義の勝利に終わる。
 
 ところが、これらの世界史的な転換は、大方の予想に反して、「明るく自由な資本主義」 の時代が来たことを意味しなかった。
 むしろ、「理念なきカネ儲け競争」 の幕開けだった。
 
 規制緩和、保護政策撤廃、資本の自由化などの美名のもとに、どろどろした人間のナマの欲望が、歯止めなく泳ぎ回る時代が訪れたわけだ。
 
 それを可能にしたのは、80年代から急速に巨大化した国際通貨市場だった。
 この時代、1 日の取引高は約 1 兆ドルといわれているが、その 8 割が投機的資金だった。
 コンピューターのキーを数個押すだけで、何10億ドルという巨額な資金が瞬時に国境を駆けめぐり、一瞬にして、一国の経済に大打撃を与えるような事態が発生するようになった。
 
 金融市場の構造というのは、多くの人にとって、合理的な因果関係の世界に属するように見える。
 しかし、実態は違う。
 むしろ、合理的な数学理論で把握できない世界といっていい。
 
 1990年代の終わりに、神憑りの投機家として名を挙げたジョージ・ソロスはこういう。
 「マーケットというのは、論理的でも自然に均衡するものでもなく、極端な乱高下を繰り返す“混沌”だ。そして、その混沌の中心にあるのは理論ではなく、群衆心理だ」
 
 このように、地球規模にまで拡大した金融市場の底流においては、実は、合理的な因果律が崩れたカオス(混沌) が出現していたわけだ。
 そして、それがホラー小説の興隆とシンクロしていたというのは、実に興味深いことのように思える。
 
 1990年代に入り、日本はアメリカのグローバリゼーションを受け入れることによって、バブルの恩恵に属し、そしてすぐに、その反動を受けて奈落の底に転落する。
 
 経済の崩壊は、人間社会の崩壊をも意味した。
 かつて日本社会が持っていた、
 「人々の和を大事にして、団結して事に当たる」
 「弱者の立場を尊重する」
 などという精神は、バブルの膨張による拝金主義の蔓延によって、すでに跡形もなくなっていた。
 
 年功序列や終身雇用制度といった日本的なセーフティネットに対する考え方は、グローバリズムを妨げるものとして既に切り捨てられてしまっていた。
 
 ちょうどその頃から、奇妙な事件が日本の各地で起こり始める。
 その第一弾は、1990年のはじめに起きた宮崎勤事件だった。
 幼女を何のためらいもなく惨殺し、その理由を 「ネズミの頭をした人間たちが示唆したから」 と供述した宮崎勤という青年の存在は、日本中を震撼させた。
 
 「従来は、犯人逮捕によって事件は解決され、終わりがやってきたにもかかわらず、宮崎勤事件では、むしろ犯人逮捕によって事件が始まり、かえって終わりも解決も見えない世界が現れたように感じられた」
 『ホラー小説でめぐる 「現代文学論」 』 (宝島社新書) の著者である高橋敏夫氏は、その本でそう述懐する。
 

 
 高橋氏は、
 「ホラー的なものが文学において突出してきたのは1995年からである」
 と書く。
 
 「1995年という年は、バブル崩壊のあとまだわずかに残っていた余裕を、私たちから最終的に奪い去った年であった。阪神淡路大震災は、都市と最新技術への信頼を消滅させ、オウム真理教事件は人を救うための宗教という神話を葬り去り、薬害エイズ問題は、高級官僚の大ウソを暴き出した。
 “常識” の根幹が無効になり、その結果、現実は “なんだかわからないもの” の塊と化した。
 家庭が、子供が、主婦が、集団が、社会が、そして経済が “なんだかわからないもの” へと止めどなく変形(怪物化) していき、最後にとどめを刺すように、97年、神戸児童連続殺傷事件=酒鬼薔薇聖斗事件が起こった」
 
 高橋氏はこう記した後に、それまでの 「解決可能性」 を信じられた時代が崩壊し、代わりに 「解決不可能性」 が突出してきた時代が訪れたという。
 そして、この世の中に漂い出した 「解決不可能性」 という時代の気分が、ミステリーからホラーへの橋渡しを行ったと結論づける。
 
 モダンホラーでは、まずハッピーエンドが訪れない。
 だからといって、形のはっきりしたカタルシスが描かれることもまれだ。
 「夢から醒めたら、また夢の中 …」
 というように、永遠に続く悪夢を示唆するがごとく、静かにフェイドアウトしていくものが多い。
 
 それは、この世に起こるすべての事件はもう金輪際、解決することがないのかもしれないという、「解決不可能性」 の時代にハマってしまったわれわれの心細さを暗示している。
 
 ところが、氏の論考がユニークなのは、その 「解決不可能性」 を提示したホラーにこそ、人類救済の大きな可能性があると読みとったことだ。
 
 長くなるので、一例を挙げるにとどめる。
 「1990年代をとおして、学校は、いじめに現れる関係崩壊、ついでに学級崩壊、そして学校崩壊へ至る内部の自壊がもっともはっきりと現れた場所だった。
 そのような自壊してしまった場所から、子供たちが逃げ出しはじめ、それが登校拒否や不登校となった。それは子供たちによる “緊急避難” だった。
 ところが2001年頃から、大阪の池田小学校で、小学校に進入して男が多数の小学生を殺傷する事件が起こり、その反動として、学校が “聖域化” され、内部の崩壊などないものとされた。
 このことが、どれだけ子供たちの精神をさらに崩壊に追いやったか想像に難くない。
 1999年に高見広春が書いた 『バトルロワイヤル』 は、そのような遮蔽された聖域で何か起こっているのかを暴く “レポート” となった。
 中学生たちが、閉じこめられた小さな空間で殺し合いを強いられる物語は、アンモラルだと非難されようと、その切迫感は、現に中学生たちが日常感じていたものそのものであるし、何よりも、現在の学校内部の崩壊、そして社会内部の崩壊を世間に知らしめる情報として機能した」
 
 ちょっと意訳になってしまったが、高橋氏の主張の一端は、上の文章から読みとれると思う。
 小説 『バトルロワイヤル』 の影響で生徒たちが暴力的になったのではなく、学校の荒廃が、『バトルロワイヤル』 という表現になって、世に出ることを求めたのだ。

 
 
 ホラーが蔓延してきたことは、逆に、時代が 「何を隠蔽しようとしているか」 を暴きだすことも意味している。
 それを、高橋敏夫氏的に表現すると、たぶんこうなるはずだ。
 
 人間は、他人に絶対言えないようなことを、たくさん抱えている。憎悪、嫉妬、虚栄心、孤独感、異常な性的関心、破壊欲 …。ときには 「犯罪」 に近接するような欲望がこみ上げてくることがあるかもしれない。
 
 そのような、自分の内にざわめく危険な 「悪」 を、堂々と見据える力をつけさせてくれるものが 「文学」 だった。
 ところが、グローバリズムの時代が訪れることによって、世の中の価値判断は、経済効率から導き出された「有用」 か 「無用」 かの二元論で語られるようになり、「文学」 はカネを生み出す価値の低いものとして、「無用」 の領域に押しやられていった。
 
 その二元論の構造では、「悪」 もまた 「無用」 の代名詞に格下げされた。
 格下げされた 「悪」 は軽くなり、同時に、悪に染まることの 「罪悪感」 も軽くなった。
 
 しかし、「悪」 は、単なる 「無用」 ではない。
 「有用」 と 「無用」 という二元論を超越した、絶対的な輝きを放つものだ。
 
 だから、悪を克服する力は、悪の強さや魅力から、一歩も退くことなく向き合うことからしか生まれない。
 優れたホラーの多くは、そのことを教えてくれる。
  
 

カテゴリー: 映画&本   パーマリンク

ホラーの時代 への4件のコメント

  1. Taku. より:

    最近本屋さんに寄ってもやたらとホラー系の文庫本が多いとは感じていたのですが、そういう事情があったんですね。世の中がホラー化してきたということなのでしょうか。そういえば、スピリチュアルブームもそうですし、UFO問題を国会議員さんたちも口にするようになりましたし、世の中全体がオカルト色に染め上げられてきたように感じます。こういう流れはいいのでしょうか、それともよくない兆候なのでしょうか。なんとも複雑な気持ちになります。

  2. 磐梯寺 より:

     コメント差し上げるのは初めてですが、以前より面白いブログだなと注目させて頂いておりました。
     最近は、新刊書の紹介なども多く、読書を趣味としている私などはとても参考になります。高橋敏夫先生は講義も面白い方です。その著作の要点をよく短く、かつ面白くまとめられていると、その手腕には敬服いたしました。
     これからも有意義な新刊書紹介を期待しております。

  3. 町田 より:

    >Taku.さん
    確かに、いま日本は「先行き不透明感」みたいな空気が漂っていますね。そういう時代には、整合性のある小説よりも、荒唐無稽のホラーの方が、かえって馴染みやすいということなのでしょうか。
    >「こういう流れがいいのか、よくない兆候なのか」、私にもよく分からないのです。
    ただ、最近は面白いホラー小説が多いので楽しんでいます。

  4. 町田 より:

    >磐梯寺さん
    はじめまして。つたない感想文に過分なご評価をいただき恐縮しております。
    >「新刊書の紹介に期待…」していただくことはとてもうれしいのですが、実は、たまたま新刊書紹介が重なっただけで、いつもは古めの本しか読んでおりません。
    時間があれば、また近刊のものも読んで、感想文など書くこともあるかもしれませんが、いつのことになるやら分からないので、お許しください。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">