伝説の麻雀師

 
 最近はとんとマージャンを打っていない。
 最後に遊んだのが、2ヶ月ほど前。それですら4~5年ぶりという感じ。

 いちばん遊んだのは学生時代。
 当時、今ほど娯楽がない時代だったので、仲間同士の遊びといえば、友人のアパートに転がり込んで、ギターなど弾きながら酒を飲むか、マージャンだった。
 
 その頃、いつもマージャンを打っていたメンバーのなかで、忘れられない人物が一人いる。
 名前を「ジョージ(丈二)」という。
 彼だけが、学生ではなかった。
 私の小学校の時の友人で、中学に行ってからは、その学校で「番を張っていた」という人間だ。
  
 もちろん、彼の通っていた中学というのは、私の中学とは違っていたので、番長時代の彼の姿を見たことはない。
 しかし、聞くところによると、彼は他校の不良たちから、自分の中学の生徒たちを守り、相手がどんなに多くとも、必ず自分ひとりで立ち向かっていったという。
 「あの頃のジョージさん、立派だったですよ」
 小学校時代の別の友人から、そんな話を聞いたこともある。
 
 中学を卒業したジョージは、進学することもなく、そのまま旋盤工への道を進んだ。 
 ある日、彼がひょっこり、私のいる学校のキャンパスを訪ねてきた。
 
 「おお、町田。ヒマそうだな」
 いきなり声をかけられてビックリした。
 「ジョージ、今日は仕事はないの?」
 「今日は休みなんだ。前の仕事は辞めて、今ドカチンなんだよ。だからいつも仕事があるとは限らねぇんだ」
 「で、何の用?」
 「マージャンやらねぇか」

 私も、そのときメンバーを募ろうとしていたときだから、異存はなかった。
 しばらくベンチに座っているだけで、いつものメンバーがすぐに集まる。

 「レートはどうする?」
 一応 “社会人” であるジョージを交え、雀荘に入ってから、私たちは多少緊張した。
 「俺たちが普段やっているのは、3か5なんだけど…」
 ひとりの学生が、おずおずとジョージに言う。

 「そりゃ今どきの高校生のレートでしょ。学生さんだったら都心じゃピンですよ」
 この一言で、すでに勝負は決まったようなものだった。
 いわゆる “呑まれてしまう” というヤツ。
 日頃経験しない高レートというだけで、普段のマージャンはできなくなる。

 マージャンは技量や経験以上に、パフォーマンスの差で勝負が決まることが多い。
 その点ジョージは、キャンパスの仲間同士しか知らない学生たちよりは、多少世間を知っていた。
 まずリーパイしない。
 ハイパイ後、しばらくは手の内を整理している学生たちをもどかしそうに眺めながら、彼は牌を伏せたまま、憂鬱な顔で待っている。
 
 やがて、それに気づいた学生たちがリーパイしないジョージを見て恐怖心を抱く。
 その段階でジョージはもう何馬身か先を走っているわけだ。

 リーチ前の演出が、また華麗だ。
 「見てろよ、次の牌でテンパイだからな。絶対来るぞォ」
そして思いっきり思わせぶりな動作でツモる。
 「来た! リーチ」

 すでにテンパイ状態のまま、テンパイ牌を引いたという “演技” をしただけかもしれない。
 しかし、そんなことが度重なると、対戦相手から見れば神憑りの勢いがあるように思えてくる。

 「一発ツモォ!」
 いざツモったとなると、上手投げのピッチャーが全力で振りかぶったようなモーションで、卓にツモ牌が叩きつけられる。
 そのとき、腰は競馬のジョッキーのように、椅子から浮き上がっている。
 「引きの強さじゃ、誰もオレには勝てないって。6千オール!」
 ニコリともしない傲然とした顔つきで、くわえ煙草のジョージが吠える。
 そして、グローブのような大きな手が卓の上に開かれ、有無をいわさずみんなの点棒が要求される。

 パフォーマンスは野蛮だが、相手のテンパイを推理するときなどは、ジョージはいちおう理論的な口舌を披露した。
 「3順目の7筒の切れからして、5-8筒、6-9筒は薄いよな。8筒が枯れているから9筒はワンチャンス…」
 「ピンフってどういうのだっけ?」
 というレベルの学生に対しては、この程度で立派な “雀士” だった。

 ジョージの打ち方は、未熟な学生たちからは嫌われたが、腕に自信を持つグループの興味をそそったらしく、やがて雀荘で知り合った他の学生グループたちとも卓を囲むようになった。

 2~3ヵ月経った頃は、私ですら口を利いたこともないヨソのクラスのメンバーと、ジョージは旧知の知り合いといった感じでマージャンを打つようになっていた。
 「マージャン学生選手権」で優勝するようなメンツに混じって打っていたこともあったが、負けたという噂を聞いていないので、そこそこの戦いを展開していたのだと思う。
 このマージャン仲間として、後に直木賞作家となる桐野夏生氏も卓に加わることもあった。
 後にニュースキャスターとしてテレビのレギュラー番組にも出るようになった作家・コラムニストである亀和田武氏も、ジョージと卓を囲んだことがあったと聞く。 

 こんなことがあった。
 私たちが “たまり” にしていた雀荘で、たまたま隣りが社会人の卓だったときがある。
 地元の商店街のオヤジたちという風情だった。
 ただ、普通の商売より少しだけ金づかいの荒い仕事をやっている連中かもしれない。どことなく目に剣があり、立ち居振る舞いがヤクザっぽかった。

 学生のマージャンは、周囲に遠慮がない。
 人がいようがいまいが、些細なことで罵声や高笑が渦巻く。
 その日も騒がしいマージャンだった。

 突然、
 「ここは幼稚園かよ、誰か先生を呼んできてくれよ」
 と、オヤジたちの卓から、挑発的な言葉が飛んできた。
 振り向くと、4人の男が牌を積む手を休めて、一斉にこちらをにらんでいる。
 私たちの牌を積む手も止まった。

 しかし、どう対応して良いのか、こういう場に不慣れな学生たちは困惑するばかりだ。
 ケンカを受けて立つほど度胸はないが、かといって素直にワビを入れる気もさらさらない。

 謝るタイミングを失って、無言のにらみ合いに入った。

 そのとき、退屈そうに牌を弄んでいたジョージが、にわかに鎌首…まさに、蛇が鎌首をもたげたという感じで首を回し、
 「何ですか」
 と、一言だけ応じた。

 この低く抑揚のない
 「何ですか」
 は、このとき千万の怒号より凄みが利いていた。

 おとなしい言葉づかいながら、底に無数の刃(やいば)を隠した持った響きだったのだ。
 それをいうジョージの表情には、怒りも怯えも浮かんでいなかった。
 とてつもなく無表情で、人間の顔というより「物」に近かった。それこそ顔自体が一つの「凶器」になっていた。
 
 オヤジたちの視線がバラバラと宙をさまよいだし、一呼吸置いて、どちらの卓でも無言のうちにゲームが再開された。

 私は、それから30年以上経った今も、そのときのジョージの表情を忘れことができない。
 勝負に挑む男たちを描いた映画やドラマもさんざん見たが、鬼気迫るという意味で、あれほどの「勝負師」の表情を作れる役者を見たことがない。

 彼の晩年は、淋しかった。
 一緒に遊んでいた学生たちは、やがて自分たちの就職先を見つけ、それぞれの家庭を営んだりしたが、彼だけはその後定職もないような生活を続け、最後は自殺なのか、事故なのかわからない謎の死を遂げた。

 しかし、あのときのジョージの顔は、私の記憶の中に鮮明に生き続けている。
 そして、それを思い出すたびに、なんだか、マージャンというゲームが、とても神聖なゲームのように思えることがあるのだ。
 
 
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