中野京子 著『怖い絵』


 
 怖いでしょ? この絵。
 これは中野京子さんという方が書かれた『怖い絵』(朝日出版社)という本の表紙です。
 ラ・トゥールという画家の描いた『いかさま師』という絵の一部なんですね。
 
 なんといったって印象的なのは、この女性のすさまじい目つき。
 何か悪いことを企んでいる人間の表情を、これほど克明に描いた絵はなかなかありません。
 冷酷非情で、計算高くて、人間の善意も優しさも、いとも簡単に踏みにじりそうな表情です。
 どんな俳優の名演技ですら及ばない、まさに絵画ならではの迫真性があります。
 
 画面の左隅には、この女主人に酒を注ぐ給仕の女性が描かれています。 
 この女性の目も怖い。
 女主人と気脈を合わせ、悪巧みの片棒を担ごうとしている人間の目です。
 
 実はこの絵、『いかさま師』というタイトルから分かるように、トランプ賭博でいかさまを仕掛け、善良な若者を罠にかけて、大金を巻き上げようとしている瞬間を捉えた絵なんですね。
 だから、この表紙からは見えませんが、この絵の右端には、仕掛けられた罠にも気づかず、自分の手だけにほれ込んで勝負に出ようとしている若者の姿が描かれています。
 
 もし、その若者が、自分の手ばかりに気をとられていないで、ふとこの女主人の目つきを眺めたら、即座に自分の危うい立場を察知したことでしょう。
 
 でも、若者はそれを見逃しています。
 だから、この絵は怖いのです。
 
 そして、やはりここには見えませんが、この絵の左側には、カードをこっそりすり替えて、インチキの大勝負に出ようとしている男の姿も描かれています。
 何も知らない若者をインチキ賭博に引きずり込み、最初はわざと負けたりして若者を調子に乗らせ、最後に身ぐるみ剥ぎ取ろうとするいかさま師たちの悪巧みの瞬間が、ここにはストップモーションのように凍結されています。

▼ 全体画

 
 おお、こわ!
 この『怖い絵』という本は、そのような身の毛もよだつ絵ばかりを集め、それを物語のように解説してくれる本です。
 
 集められた絵画は、全部で20点。
 いずれも、一度はどこかで見たような名画ばかり。
 
 しかし、なかには「なんでこの絵が怖いの?」と、最初はその意味がよく伝わらないような絵もあります。
 一見、平和そうに見える田園風景を描いた絵(ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」)、バレリーナの見事な踊りを描いた絵 (ドガ「エトワール、または舞台の上の踊り子」 。
 
 しかし、解説を読み、最初に見たときには見落としていた細部に注目していくと、
 ややや! 
 にわかに、背筋に凍るくらいゾクゾクとしてきちゃいます。
 だから、本文を読みながら、その文の最初に掲げられたグラビアを何度も何度も見ることになります。
 
 解説そのものが、とても面白い物語になっていて、取り上げられた絵も超一流。
 絵画と解説の見事なコラボレーションによって、映像と物語が巧妙に溶け合った一級品のエンターティメントに仕上がっています。
 
 絵というと、「芸術」という言葉と結びついていて、何やら堅苦しそうな印象がありますが、絵には「娯楽」という側面もあります。
 
 一級品の絵は、「芸術」であると同時に、わくわくする「エンターティメント」としても機能します。
 絵から「エンターティメント」の要素が薄らいでいったのは、映画やテレビという映像文化が発達してきてからのことでしょう。
 しかし、映画やテレビのなかった時代。
 一つの絵が、それを眺めた人たちを、どれだけ驚かせ、感嘆させ、また恐怖の底に引きずり込んだか。
 
 視覚的な刺激の多すぎる現代社会では、逆に、一つの映像から受けるインパクトもかえって薄れがち。
 しかし、映画やテレビのない時代には、絵画の魅力や魔力に取りつかれて、人生そのものを大きく変えていった人々も、きっといっぱいいたことでしょう。
 そんなことを想像するのも、たまにはいいかもしれません。
 
 絵を本当に楽しむには、それなりの解説が必要なこともあります。
 この『怖い絵』という本は、
 「絵というものをどう味わえばいいの?」
 と思った人が、絵画の鑑賞をゲームのように楽しもうとしたとき、なかなか貴重な解説書になってくれます。
    
  

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