石原千秋 著『謎とき村上春樹』

 
 村上春樹について書かれた評論がどれだけあるのか知らない。しかし、書店をめぐると、そういう書籍がやたらと目にとまる。
 あまり手に取ったことがない。
 しかし、ついに1冊買った。
 石原千秋 著『謎とき村上春樹』(光文社新書) 。


 
 何気なく手に取って目次を開いたとき、そこに採りあげられていた小説が、すべて私のお気に入りだったからだ。
 第1章 「風の歌を聴け」
 第2章 「1973年のピンボール」
 第3章 「羊をめぐる冒険」
 第4章 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
 第5章 「ノルウェイの森」

 駅前のアートコーヒーに入り、窓際のストゥールに腰を落として、おもむろにページを開いた。
 一気に引き込まれた。
 かなり興奮した。
 本を読んで、これほど興奮したことは、ここしばらくなかった。
 
 ながらく、村上春樹の小説は、読んで堪能するだけでよく、それを解説したものなど読む必要がないと思っていた。
 しかし、この評論は村上春樹のオリジナル小説と同じくらい面白い。もしかしたら、それ以上に面白いところもある。

 何が面白いかというと、村上春樹が文字として残した「物語」の裏にひそむもう一つの「物語」を暴き出しているからだ。
 作者の “深層心理” などを詮索しているのではない。
 文字どおり、作者が計算して書き込みながら、読者には教えないつもりで巧妙に隠した「裏のストーリー」が明るみに出されているのだ。

 石原氏は、それをシャーロック・ホームズよろしく、登場人物の会話、情景描写、使われる小道具などを解析しながら、表には浮かんでこない「別の物語」の姿をあぶり出す。

 石原氏は、こう書く。

 「小説を読むということは、謎ときをすることだ。もしすべての謎がとかれたら、それは小説の死である。
 だから、小説家は一番書きたいことを隠しておく。優れた小説家は、そうやって読者の謎ときを誘いながら、同時に読者の謎ときから自分の小説を守ろうとする」

 石原氏によると、
 「一番書きたいことを書く小説家はいない」のだそうだ。
 最初は、何のことを言っているのか、よく分からなかった。
 しかし、読み進んでいくうちに、その意味が次第に分かっていく。

 第1章は、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』が扱われている。
 この話は、恋人を自殺させてしまった主人公の「僕」が、悲しみを胸の奥底に秘めたまま、夏休みに故郷の町へ帰ったときの記録だ。
 「僕」は小さなバーで、親友の「鼠」と毎日ビールを酌み交わすような生活を続ける。
 
 ある日、「僕」は、その店のトイレで泥酔して倒れていた「小指の欠けた女の子」を介抱したことがきっかけで、口をきき合うようになる。
 「僕」とその女の子は、恋愛関係に陥ることもなく、当然セックスすることもなく、ただ抱き合ったまま過ごす一夜を迎える。
 やがて、夏休みが終わり、「僕」は故郷の町を離れ、東京に戻っていく。

 それだけの話だ。
 もちろん多くの読者も、そういうストーリーだと納得した。
 そして、その単純なストーリーを彩る村上春樹的なファッショナブルな言語感覚と、乾いたセンチメンタリズムに酔いしれた。
 しかし、石原氏は、一見何事もなく進行しているそのストーリーが、ふと見せるかすかなほころびを見逃さなかった。
 
 なぜ、前節の記述と次の節の記述に、1週間のズレが生じているのだろうか?
 なぜ、はじめて知り合ったはずの2人が、旧知の間柄でなければ使わないような言葉を使ってしまったのか?

 この「発見」の感覚が白眉だ。
 小粋で、お洒落な都会小説が、にわかに、荒涼たる荒野を背後に控えた別の小説に見え始めてくる。
 それこそ、「優れた小説家が読者に見破られないように、こっそりと秘めた別の物語」が顔を現す瞬間だ。
 
 この小説に隠された裏のストーリーをかぎわけたのは、石原氏が最初ではないらしい。すでに平野芳信と斎藤美奈子という2人の文芸評論家が見破っていたという。
 
 しかし、この小説のからくりを解き明かすために、登場人物たちの会話の一語一語、一挙手一投足を丹念に分析したことでは、石原氏の作業がもっとも徹底していたのだろう。
 
 だから、ページを繰る手がふるえだすほど、その展開はスリリングだ。
 隠れた「物語」が少しずつ正体を見せることによって、この『風の歌を聴け』というファッショナブルで叙情的な話は、次第に不吉な暗さと、絶望的な悲しみに染めあげられていく。
 そして、この評論を読み終えた読者は、『風の歌を聴け』という小説が、自分の思っていたものとはまったく異なる小説に変ってしまったことを知る。
 
 それは、作者の村上春樹が、読者に最も読んでもらいたかった部分でもあったにもかかわらず、最も読まれたくなかった部分なのかもしれない。
 ( もし、この評論を読もうとする方がいらっしゃったら、絶対村上春樹の原作の方を先に読まれることをお勧めする )
 
 一つの小説に、こっそりと別の話を忍び込ませるという手の込んだことを、なぜ村上春樹は思い立ったのか。
 石原氏は、「物語は、隠されることで神話化される」と説明する。
 
 神話とは、抑圧された物語が回帰するときに変身する状態をいう。
 隠された物語は、自らの生きる場所を求めて、何度もよみがえろうとする。
 そのよみがえろうとする「力」が、文学の「強度」を生む。
 そのとき、時代の制約から逃れることのできない「物語」が、永遠性を付与された「神話」に生まれ変る。
 
 人類の財産といわれる古典文学は、みな「神話」だといってもかまわない。
 それは、何十年、何百年読まれ続けようと、常に新しい解釈が可能になることを意味する。
 それをシンプルにいえば、「深み」とか「奥行き」という言葉になる。
 つまり、この『風の歌を聴け』に隠された裏の物語は、表の物語に奥行きと深みを与えるための技巧的な戦略ともいえる。
 ちょっと単純化してしまったが、石原氏が言わんとしたところと、そう隔たってはいないだろう。
 
 で、面白いのは、たとえ石原氏がそう解釈したとても、さらにそれと違った読み方も可能になるということだ。
 推理小説の真犯人は、特定されたらそこで話も幕を閉じるが、小説の真相は、ひとつの解釈が、また別の解釈を生んでいく。
 
 結果的に、謎がとかれる日は永遠にこない。
 実は、この評論集はまだ全部を読んでいない。
 今のところ読み終えたのは、第1章の『風の歌を聴け』と第2章の『1973年のピンボール』だけ。
 しかし、それだけでも、私がなぜ村上春樹的な世界に惹かれるのかが十分に理解できたような気になった。
 
 『1973年のピンボール』という小説では、主人公の「僕」が奇妙な双子の女の子たちと同棲するという設定になっている。
 この双子の女の子たちは、「僕」にとって “空気” のような存在だ。女性としての生々しい生理を持っておらず、まるで羽根の見えない天使たちのように思える。
 次第に周囲から人の気配が希薄になっていく「僕」にとって、その2人が唯一の “仲間” のような存在になる。
 
 しかし、ラストが近づくと、彼女たちは、唐突に現れたときと同じように、唐突に去っていく。
 そのシーンは、こんなふうだ。
 
 「バスのドアがパタンと閉まり、双子が窓から手を振った。
 僕は一人同じ道を戻り、秋の光が溢れる部屋の中で双子の残していった『ラバー・ソウル』を聴き、コーヒーを入れた。
 そして一日、窓の外を通り過ぎていく11月の日曜日を眺めた。何もかもがすきとおってしまいそうなほどの11月の静かな日曜日だった」
 
 ここには、透きとおるような「光」しかない。
 すでに主人公の意識には、「時間」も「空間」もない。
 この虚無感覚。
 暗闇に閉ざされた虚無ではなく、「光」に満ちた虚無。
 ここには、(私のような)世俗のアカにまみれた俗人の魂を浄化させる清々しい虚無がある。
  
 

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石原千秋 著『謎とき村上春樹』 への5件のコメント

  1. Taku. より:

    素晴らしい感想文です。また村上春樹を読み直そうと思いました。石原さんの本も面白そうです。ぜひ買いに行こうと思います。「風の歌を聴け」の謎解きも面白いですが、私には「1973年のピンボール」の双子の女の子たちが別れた後の文章を引用した町田さんのセンスに心惹かれます。「光」に満ちた虚無というのは言いえて妙です。村上文学の核心に触れたような気もします。

  2. 町田 より:

    >Taku.さん
    なんだか、面映いようなコメントをいただき、少し照れてしまいます。Taku.さんもきっと村上春樹がお好きなんですね。よく分かります。
    村上春樹は、文学に関心のある人は、一度は触れてみたいテーマなのでしょうね。それは、彼の小説が様々な「謎」を秘めているからなのだと思います。「謎」こそが、人間の好奇心をいつまでもとどめ続ける最良の力になっているのかと…ついこの本を読んで思った次第です。またコメントをお寄せください。

  3. ブタイチ より:

    村上春樹デビューをはたしました。
    自分は天邪鬼なところがあって…流行っていると少し距離を置いてしまい、「いいよ~!」という声を聞くたびに気にはなってはいたのですが、町田さんのブログで紹介されていたのを機に…
    「風の歌を聴け」を読んで石原さんの謎解きを読みました。
    感想を気の利いた言葉にまとめられないのですが、
    「小説家は一番書きたいことを隠しておく。」
    という言葉にハッと納得はしながらも…
    自分はワトソン君だな~と気づきました(笑)。
    この一年、町田さんのブログで色々勉強させてもらいました。これからもヨロシクお願いします。

  4. 町田 より:

    >ブタイチさん
    村上春樹に対するスタンスが、いかにもブタイチさんらしくて好いですねぇ。そういう“天邪鬼”は大歓迎です。
    >「ハッと納得しながらも…」という文の後ろの「…」(3点リーダー)が絶妙ですね。その含みのなかに、ブタイチさんの知性が光っているように思えます。
    個人的な所感なのですが、村上春樹は初期の方が好きですねぇ。「物語」を放棄しているような雰囲気があって。
    「物語」の構築に向かってしまうと、村上春樹でなくてもできる仕事のような気もしてしまいます。
    個人的な所感ですけれど…。
    ブタイチさんのコメントは刺激に満ちていて、いつもとても面白く拝読させていただいてます。
    こちらこそ、これからもよろしくお願い申し上げます。

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