久しぶりの麻雀

 
 土曜日の午後、久しぶりのマージャン。
 メンバーは、かつて同じ職場にいた同僚たちだが、マージャンそのものが久しぶりなら、会うのも久しぶり。
 

 
 当然、雀荘というのが久しぶりなので、何事も戸惑うことばかり。
 まず、卓が自動卓になっている … ということぐらいは以前から知っていたけれど、最近の自動卓というのは、サイコロすら使わない。
 親を1回決めると、後は勝手にツモ牌が卓の下から自分の前にせりあがってきて、ドラ牌まで勝手にひっくり返っている。
 
 点棒箱も、万点棒、千点棒の重みを自動的に計算する仕組みになっていて、自分が現在所有している点棒のみならず、対局者全員の点数が瞬時に把握できるようになっている。
 しばらくマージャン牌などというものを握っていない間に、マージャンの世界はとんでもないことになっていたことを知って、愕然とした。
 
 自動卓になって、積むのも機械、サイコロを振るのも機械になってしまえば、イカサマなど遠い世界。
 詰め込みの技術などを誇っていた昔風のイカサマ氏など、まったく活躍する場がなくなってしまったわけだ。
 阿佐田哲也の 「麻雀放浪記」 を読んでも、その世界を理解できない人たちも増えたと思う。
 
 日本のマージャン人口が増えているのか、減っているのか知らないけれど、街を歩いていても、雀荘の姿をあまり見なくなったところを見ると、遊ぶ人の数は減っているのだろう。
 
 なにしろ、マージャンをやるためには、4人のメンバーを集めなければならない。
 これがけっこう大変だ。
 声をかけあってすぐ集まれるのは、よっぽどヒマな学生か老人か、ということになるが、遊びのアイテムに恵まれた若者たちが、マージャンだけにうつつを抜かすとは考えにくく、結局は、ゲートボールみたいにジジイの遊びになっていくのだろう。
 
 しかし、ゲームとしては、マージャンは実によくできたゲームだと思う。
 なによりも、「人間観察」 の場を提供してくれる。
 
 マージャンには、その人間の性格が表れるとよくいわれる。
 日頃温厚そうに振る舞っている紳士が、マージャンの卓を囲んだ瞬間に攻撃的性格を発揮したり、そそかっしい感じの人が、意外と慎重な打ち方を披露したりする。
 だから、マージャンに勝つためには、牌の流れを読むだけでなく、対戦相手の性格分析のようなものまで必要だ。
 
 相手が勝負してくるタイプなのか。
 勝負を避けて、チャンスが来るまで待つタイプなのか。
 それによって、こちらの打ち方も変る。
 対局中に相手が発する冗談、雑談のたぐいから、タバコに火をつけるときの仕草まで、相手の進行速度を読む判断材料となる。
 
 そういった意味で、人間を読むことに長けた人には面白いゲームなのかもしれない。
 小説家の吉行淳之介や色川武大 (阿佐田哲也) などが数多くの武勇伝を残しているというのも、彼らが人を読む仕事に携わっていたからだろう。
 
 で、昨日のマージャン。
 半荘2回で、マイナス19。
 えーい、負けてしまったわい。
 
 現在、マージャンはパソコンやゲーム機で、一人で遊ぶことができる。
 自分もさんざんパソコンでマージャンも打ったけれど、「人の心理を読む」 という面白さは、そこにはない。
 マージャンというゲームは、いろんな意味で、「昭和のゲーム」 だったなぁ … と思う。
 
 

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久しぶりの麻雀 への4件のコメント

  1. 磯部 より:

    町田さんと雀卓を何度が囲んだことがありますが、いま思えば、あの時は完全に私という人間を読まれていたな、と思います。
    だって町田さん、パイを見ないで人の顔ばっかり見ているんですからね!
    負けの磯部、あれからしたたかになりまして、いまではポーカーフェイス。でも、町田さんには読まれるだろーなー?
    怖!

  2. 町田 より:

    >磯部さん
    麻雀というのは、相手の心理ばかり読んだからといってなかなか勝てるものでもないですねぇ。
    心理を読める人が強いならば、世の心理学者たちは皆マージャンのプロであってしかるべきはず。
    実際には、「読んだつもり」になって、逆に裏をかかれたりしていることの方が多いのじゃないでしょうか。
    ま、そういう 「駆け引きっぽい」 部分がめっこう楽しめるというだけなんでしょうね。
    どうですか? 今度お時間があるときに、また卓でも囲んでみませんか?

  3. matsumoto より:

    残りあと3巡、純チャン三色を場に二枚捨てられた「北」で待ち、あえてリーチをかけてあぶり出す。勝ち負けよりもこれをやるのが好きだったなあ。学生時代。これをやると友達なくしかねないけど、私自身を理解してくれる友人にも巡り会えました。
    この状態でも「北」を振り込まず、自分の手を崩してまでも振り込まない人は信頼しておつきあいできます。

  4. 町田 より:

    >matsumotさん
    「地獄待ち」 というヤツですね。そういう時の「北」は、山に埋もれていない限り、必ず出てきますものね。
    しかし、そういう状況でも手を崩してまでも振り込まない人というのは、物事を冷静に、慎重に判断できる人なのでしょうね。信頼できる友達になれる方だと思います。
    ただ、面白いもので、マージャンというのは、あまりうまい引っ掛けに合うと、悔しいという気持ちと、天晴れ! という気持ちの両方が湧いてきますね。

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