「野良犬」 を観た

《昔の映画の現代的鑑賞法 3 「野良犬」 》
 
 黒澤明は、やはりわれわれ団塊の世代の人間が、映画を語るときに通り過ぎることのできない監督だ。
 黒澤明の作品を観たことがない人でも、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、サム・ペキンパー、フランシス・コッポラ、クリント・イーストウッドらの仕事を通じて、どこかで “黒澤の影” を見ているはずだ。
 私も 「老後」 の楽しみとして、古い映画のDVDを集めている人間なので、いつかは、この黒澤明のメイン作品をすべて揃えたいと思っているのだが、まだ、黒澤映画はひとつも持っていない。
 だって、シリーズがセットになっていて、高いのだ。
 だから、今回はレンタルショップで借りてきた 『野良犬 (のらいぬ) 』 の話。
 
 
  
 時代設定は、終戦直後。貧しかった時代の日本の風景が、ふんだんに出てくる。
 CGを駆使して 「昭和」 を再現した 『三丁目の夕日』 という映画があったが、そこで描かれた作り物の 「昭和」 と異なる、本物の 「昭和」 の手触りがある。
 なんだか、タイムスリップした気分だ。
 
 ホコリの舞い上がる、砂利だらけの道路。
 走っているのは外車だけ。
 民家は、あばら家。
 あばら家の庭には夏草が生い茂り、その先には、アジア風の茫漠たる田園風景が広がっている。
 
 そこで展開される風景は、なんだか日本ではないみたいだ。
 テレビの 『世界ウルルン滞在記』 を見ているような気分になる。
 昭和24年の日本というのは、こんなに貧しかったのか、ということが分かる。
 
 しかし、その 「貧しさ」 に、とてつもない豊かさが潜んでいる。
 たぶん、夏草が勢いよく生い茂っている情景が映し出されていたからだろう。
 人々の暮らしは貧しかったが、代わりに、自然はみずみずしい生命力を保持していたという 「情報」 を、そこから読み取ることができるからだ。
 
 刑事ドラマの走りといわれた作品らしく、犯罪捜査に関わる刑事たちの生活が生き生きと描かれている。
 しかし、どこかみな日本人でないように見える。
 一言でいうと、みな 「熱い」 。
 登場人物が、ことさら怒ったり、喜んでいるわけでもないのに、人々の何気ない日常会話が、火傷しそうに熱い。
 必死にしゃべり、必死に尋ね、必死に生きている。
 
 黒澤明の演出によるものだが、おそらく当時の日本人の 「感性」 がそうだったのだろう。
 そういう演技を、今の役者がドラマで行ったら、たぶん視聴者から 「くさい芝居」 とそっぽを向かれるか、ギャグのネタにされてしまうに違いない。
 
 しかし、この映画に出てくる役者たちの暑苦しい演技は、この時代の風景の中に違和感なく溶け込んでいる。
 比喩的にいえば、エアコンが普及した時代と、普及していない時代の差である。
 エアコンのない時代は、役者が、自分の顔の汗を拭きとるだけで、その役者の表情に 「動き」 が生じた。
 エアコンが普及した現代は、役者の表情からも、本物の 「動き」 が消えた。
 それは、人間関係をクールに処理することがスマートだと評価される現代社会の構図を、そのままなぞっている。
 
 逆に、この映画の時代を生きた人々が、もし現代のテレビドラマなどを見たら、その人間味のあまりもの希薄さ (うそ臭さ) に、鬼気迫るものを感じるかもしれない。
 それほど日本人は、遠いところまで来てしまったのだ。
 
 『野良犬』 のなかで、男たちはやたらと煙草を吸うが、空気汚染や、大気汚染、地球環境温暖化という恐ろしい問題も起こっていなかった。
 貧乏から脱出するために、人を殺してしまった悪人はいるが、泣き声がうるさいために、自分の子供を殺す親はいなかった。
 
 犯罪者を生む背景には、社会の貧富の差や貧困があるというのが、この映画のテーマ。
 しかし、社会は貧しくても、そこで生きている日本人が、より良い生活を求めてひたむきに暮らしていたという空気は伝わってくる。
 日本という国は、「幸せな時代」 を持ったといえる。
 主役を演じた三船敏郎も、名脇役の志村喬も、もうこの世にはいない。もちろん、監督の黒澤自身がいない。
 
<追記> 
 
 なお、かつての読売ジャイアンツの名選手、長嶋茂雄のエピソードをひとつ。
 立教大学の野球部に在籍していた長嶋は、後輩たちをねぎらうために、当時公開中から大評判だった 『野良犬』 を見せてやることを思いついた。
 後輩たちは大喜び。
 
 そのうちの1人が、「先輩、何の映画ですか?」
 と尋ねると、 長嶋茂雄は、平然と、元気よく
 「ノヨシケンだぁ!」
 と叫んだらしい。
  
 

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「野良犬」 を観た への2件のコメント

  1. スパンキー より:

    上の町田さんの話で気がついたのですが、そういえば最近、野良犬っていませんよね? ムカシはよくうろうろしていましたから。
    日本の社会も文明国の仲間入りをして、随分キレイになりました。街では、やたらに煙草も吸えない訳で、お陰で道端も綺麗になりました。
    でも、何故かみんな殺伐としているように見えるのは、私だけでしょうか?
    私は、街が汚くても、野良犬がうろうろしていても、人の気持ちが豊かな国のほうが素敵だと思うのですが?
    皆さん、「管理」というとても窮屈な空気に汚染されていませんか?

  2. 町田 より:

    >スパンキーさん
    確かに、野良犬というのが日本から消えましたね。
    代わりにペットは大ブーム。
    野良犬 (自由) → ペット (管理社会)という図式が、日本に浸透したということなのかもしれませんね。
    それは、ちょうど煙草を吸う人間が、どこに行っても、「喫煙ルーム」 などという狭苦しい管理された空間に押し込められるようになった空気と呼応しているようにも感じられます。
    私は煙草を吸う人間ですから、かなり自分でも、人がけむたがらないように、吸う場所を自分で調整するとか、吸殻をむやみに地面に捨てないなどと努力しているわけですが、そういう個人の自主管理の努力を認めずに、強引に安易な管理方法で統一しようという世の中の風潮には、嘆かわしい気分になります。
    人の自主性に期待するモラルとかマナーを確立していこうとするよりも、「禁止条例」などのようにして、機械的に管理してしまう方が、管理する側のコストは安くてすみます。
    世の中すべてコスト優先でモノを考える風潮になったわけですね。だから、「損・得」が唯一の判断基準になるような社会が生まれてきたのかもしれませんね。
      

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