明るい未来!( 『フューチャリスト宣言』 感想 )

 
 梅田望夫さんと茂木健一郎さんの対談集 『フューチャリスト宣言』 は戦闘的な本だ。
 私は、良い意味で言っている。
 
 
 
 「フューチャリスト」… 未来を考える未来学者という意味の言葉だと思うのだが、こんなふうに、あっけらかんと肯定的な未来を宣言する本というのは、よくありそうで、実はなかなかない。

 地球の温暖化、エネルギー資源の枯渇、格差社会の到来、企業倫理の低下など、今、私たちを取り巻く問題を眺める視点は、みな未来をネガティブに捉える方向に統一されている。
 しかし、この2人が語る “未来” は、おそろしく楽天的だ。
 日頃、ネガティブに未来を捉える人たちから見ると、この対談集に貫かれている明るさは、「虚無的な明るさ」 に見えるかもしれない。
 
 だが、前書きで、茂木さんは言い切る。
 「楽天的であることは、ひとつの意志である」
 それは、ネガティブに未来を語ることより、さらに強靭な意志の力を必要とする。
 
 もともと、未来など、楽観的に捉えられるものではない。
 未来は、「予定調和」 の彼岸にある。
 
 「不安」 とは、この先何が起こるか分からないために落ち着かない状態のことを言うのであれば、未来は基本的に 「不安」 に満ち満ちている。
 しかし、「不安」 は 「可能性」 の別名でもある。 
 この本は、インターネットという、人類が初めて手にしたテクノロジーに対し、その人間の想像力すら超える無限大の 「可能性」 を論じた本である。

 2人とも数々の書籍を持ち、出版物というリアル社会での地位も名誉も確立している方々だ。
 しかし、彼らは一様に、「ネットの側に賭ける」 と言い切る。
 ネットが誕生する前のテクノロジーは、すべて経済的・社会的に収益構造を確立したエスタブリッシュメントの地位を保全するためのものでしかなかった。

 だが、ネットは、人類がはじめて手にした、エスタブリッシュメントによるコントロールから逸脱していくテクノロジーなのだという。
  
 ネットの一番の本質は、アナーキーであることだ。
 「著作権」 という既得権益に守られた既存のビジネス構造をいとも簡単に乗り越えて、「YOU TUBE (ユーチューブ) 」 は画像配信サービスのトップに踊り出る。
 出版社のアカデミズムを象徴するような 「百科事典」 という権威に冷笑を浴びせるかのように、ウィキペディアは市民権を得る。

 それらが何を意味するのか。
 市場原理主義が生み出す「強者」 と 「弱者」 という枠組みそのものが崩壊する世界を提示することにほかならない。

 梅田さんは言う。
 「今ネットで起こっている現象を、過去の思想家の語っていることや、過去のアナロジーで語ってはいけない」

 茂木さんは言う。
 「ネット世界では、幼虫からさなぎに変り、それが蝶に変っていくように、同じ生命体でありながら、過去の細胞組織がすべて死んでいくドラマが演じられている」
 
 彼らのふてぶてしいまでの、ネットの未来を肯定する力は、一体何によってもたらされたものなのだろうか。

 2人とも共通していえることは、ネットのアナーキーな暴力性がもたらす負のパワーの恐ろしさも見ていることだ。

 ネットは、弱者の社会参加をサポートする力にもなるが、世界同時多発テロに見られるように、負のパワーを連結して、巨大な暴力装置を実現する力も秘めている。
 さらに、ネットを通じた非合法商品の売買や、精神的なダメージを強いる誹謗中傷コメントに至るまで、アナーキーな存在であるがゆえのネットの負の側面も、彼らは十分に知り尽くしている。
 
 2人とも、精力的にブログを通じて、自分の研究成果を絶えず発信続けている人たちだが、そこでは、普通の人間には耐えられないくらいの罵詈雑言に満ちた匿名コメントが必ず寄せられるのだとか。

 だが、それでも 「ネットの秘める無限の可能性に賭ける」 と2人は言う。
 そういうネガティブな評価も含め、そこに集積される言説の総体が、情報発信者の 「個性」 として認知されるからだという。

 「自分のブログに対し、どこからどんな書き込みが来るか、コントロールなどできることじゃない」
 と、茂木さんはいう。
 しかし、それこそ、ブログが従来のメディアとは明確に一線を画する新しいメディアであることの証 (あかし) とも。
 
 出版社の厳重なガードによって書き手が保護されていた従来のメディアとは違い、ブロガーは、情報を発信したその場において、即座に大海の荒波にさらされる。

 しかし、その未知なる海に漕ぎ出すときの不安と喜びは、誰もが平等に手に入れることができる。
 ブログにおいては、数々の著作を世に出している有名ライターの記事も、文化的辺境に暮らす無名の若者の記事も、内容次第によって、グーグルなどの検索エンジンの上位に上がってくる。

 すべての人間が、こういうチャンスを獲得できる時代など、かつてなかったことだ。
 ひるんでなど、いられようか。
 彼らの 「楽天性」 というのは、こういう覚悟から導き出された戦闘的な楽天性であることが分かる。
 
 今の世の中は、未来についてネガティブに語る言説の方が、人々の共感を得やすい時代。マスコミにおいても、
近未来をネガティブに語るコメンテーターの方が、お利巧さんに見える。
 
 そんな風潮に逆らうように、この2人は風の中で屹立している。
 ネット社会に関わることで、自分がどう変っていくのか。
 興味ある方は、ぜひ一読を。
 
  
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明るい未来!( 『フューチャリスト宣言』 感想 ) への2件のコメント

  1. スパンキー より:

    未来は、「予定調和」 の彼岸にある。うーん、名言ですね。
    予言者なら別ですがね。
    まあ、既得権益で生きているテレビ局や新聞社などのメディアにとって、ネットは目の上のたんこぶでしょうな。
    社会の公器たらんとする彼らの流す情報が、ことごとく偏っているのをみれば、先行き彼らの存在は屁のようなものかも知れませんね。
    そして、町田さんのいわれるようにいつの時代にも、終末論やネガティブな未来観というのは皆一致するし、人気がでますよね?(出版社もこのテーマで大儲け)
    しかし、ことネットに関して、私は、半々より少しポジティブといったところがポジションか?
    あれこれバランスを考えてのポジションですが、やはり誰にもチャンスの世界というのは、当り前のことなのにアバンギャルドに映るから不思議です。
    自分のメデイアをもつ大切さは、お偉い誰かに飼い慣らされないということ。
    私は、そこに強く魅力を感じる訳ですが。  

  2. 町田 より:

    スパンキーさん、素敵なコメントいただいて、真面目に返信したいんですけど、今少し酔ってます。
    最近ラム・コークに凝っていて、今MYERS’Sのラムにノーカロリーというコカコーラーを混ぜたヤツを飲みながら、このコメント欄を開いたところです。
    え~と、なんだっけ…
    あ、そうそう。
    この梅田さんと茂木さんの対談集を読んでいて、へぇー…と思ったところは、もう「名刺」 なんか要らない世界がすぐそこまで来ているという話なんですね。
    つまり、これからは、「その人間が何を考え、どのような意見を持っているか」 ということは、名刺よりもブログを見たほうが確実、と考える人間や企業が増えてきているとか。
    会社の新人採用の試験なども、ブログがあれば、それを重視するような風潮が出てきているともいいます。
    面接の20~30分の試験よりも、その人が1年の間にブログでどのような自分を築いてきたのか。そのトータルを見るほうが確実なんだとか。
    おっかない世の中になってきたのかもしれませんね。
    でも、若くてチャレンジ精神が旺盛な人には、良い世の中になってきたのかもしれません。
    私のようなオジサンは、付いていくだけで精一杯です。

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