便利さの中の貧困

 
 便利さが浮き上がらせた 「貧困」 というものがある。
 『週刊文春』 7月5日号では、ネットカフェ難民の生活を、自ら体験してみたレポーターの手記が掲載されていた。
 
 そのレポーターは、昼は日雇いの派遣業務をこなし、夜はネットカフェで泊まる生活を10日間続けてみたという。
 「ネットカフェのナイトパック料金は、8時間で1,500円。店内は完全個室で、ネットにテレビ、漫画や雑誌は使い放題読み放題。飲み物も無料。一泊の料金としては格安だ」
 と、その記事は伝える。

 この宿泊料の時間単価が格安かどうかは別として、現在ネットカフェが、簡易的な宿泊施設として利用される率は、日増しに高まっているという。
 確かに、この施設は、仮眠を取るには実に便利だ。
 私も、酔っ払って、駅の階段から転げ落ち、終電を逃して、ネットカフェで泊まったことがある。
 その施設は、まだ新設されたばかりだったのか、隅々まで清潔で、居心地は良かった。
 飲み物も無料だったし、シャワーもあった。

 しかし、受付に誰もいないような、静まり返った雰囲気。
 コンパートメントが、獄舎のように等間隔で並んでいる情景など、どこか薄ら寒い気分にさせられたことも事実だった。
 長期間、こういうところに滞在すると、とてつもない孤立感を味わいそうな気がした。
 
 現在、テレビなどを見ていても、このネットカフェを宿泊場所とするフリーターが激増しているという報道番組が流れない日がない。
 アパートなどを借りると、月々の家賃を払う前に、敷金・礼金などのまとまった資金が必要となる。
 そのような資金的な余裕のない、その日暮らしのフリーターにとっては、まずネットカフェは、緊急用の施設として、最低限の宿泊スペースを保証してくれる。
 
 問題は、一度そういう生活に入ってしまうと、なかなか抜け出すことが難しいところにあるらしい。
 週刊文春のレポーターはいう。
 「 1 日働けば、少なくとも 『松屋』 で豚めしが食べられ、銭湯にも入れて、ネットカフェで夜も過ごせる。
 ベルトコンベアに乗って移動するモノのように、毎日毎日、それはそれで不便なく生きていける。
 この生活が一生回り続けられるはずはないのだが、永遠に続くような錯覚すら受ける」
 
 このようなレポートがなされるたびに、
 「彼らは根性がないだけだ」
 「やる気のない本人が招いた自業自得だ」
 と、非難する論説が登場する。
 その多くは、すでに安定した生活収入を確保した中高年から発せられるものだが、同じ年くらいの若者からも、こういう声があがる。
 格差の広がりは、世代と関係なく、広く蔓延してきたような印象を受ける。
 
 ネットカフェに依存しなければならないフリーターの急増には、様々な要因が考えられるだろうが、その最大のものは、やはり雇用関係の変化だ。
 バブル崩壊後、各企業は、その生き残りをかけてコスト削減に励んだ。
 コスト削減を実現するときに、いちばん手っ取り早く思いつく方法は、人件費の圧縮である。
 正社員の数を減らし、いつでも契約を切ることのできる派遣社員を増やすことによって、各企業はその負担を軽くするように務めた。
 
 あおりをくらったのは若者だ。
 フリーターを 「根性なし!」 と排撃する人たちは多いが、そういう意見を展開する人たちが見てきた経済構造と、今の経済構造は決定的に違っていることを知るべきだろう。
 徹底したコスト削減は、不況を乗り切るために採用された市場原理主義の方針とも見合う。
 おりしも、IT長者たちが時代の脚光を浴び、
 「会社が儲けて何が悪い?」
 と、声高に訴える経営者たちが“カッコいい”ともてはやされる風潮が生まれ、それによって、儲けることに励むすべての行為に、足かせがなくなった。
 
 こうして、「コスト意識」 というものの捉え方が変わった。
 コスト意識は、経済活動に携わる人間においては、すべての者が持たなければならない宿命である。
 「儲ける (インカムの増大) だけでなく、ムダなものは減らす」
 という気持ちを高めていくことが、コスト意識なのだが、そのムダなものの中に、本来コストとして考えてはならないものまで含まれるようになってしまったのだ。
 マナーやモラルである。
 
 マナーやモラルはお金にならない。それどころか、そんなものに関わりあっていたら、体力も、気力も、時間もムダになる。
 こうして、人間を人間たらしめる最低限の秩序も風化していく。
 このいびつな 「コスト意識」 が、企業のみならず、家庭の主婦に至るまで浸透してきたのが、今の時代だという気がする。
 
 昨日今日のニュースで、ニセ牛肉コロッケを販売していた会社が、水道代を節約するために、肉の解凍に雨水を使っていたという報道がなされた。
 別にそれが身体に影響を与えるのでなければ良いではないか、と思う人もいるかもしれないが、どこか暗澹たる気持ちになる。
  
 

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便利さの中の貧困 への10件のコメント

  1. TJ より:

     今の日本経済は貧富の差が開いているだけですね、富裕層は税金を払うなら使ったほうが・・・とお金を使うので経済効果はありますが、その反面ネットカフェに住む人もいるのですから。
     ネットカフェ難民と呼ばれる人達は町田さんの先日『200字で終わる世界』 にも似ている部分もあるようにも思います。結果としてのコストと生活は出来ることに安心感を持ち過ぎているようにも感じます。雇用の変化でのあおりもありますが、若者たちも自分の気に入らない仕事や嫌なことがあればすぐに辞めて次の仕事をさがすというような考えもあるかもしれません。
     何事も一足飛びはないのですから、その先の何かや生活に向上心を求めるなら若者は自分改革とマナーとモラルを持って諦めずに世の中に挑んでもらいたいですね。

  2. 町田 より:

    TJさん いつも適切なるコメントありがとうございます。
    おっしゃるとおり、今の日本経済は、新しく誕生した富裕層によってけん引されているところがかなりあります。
    その経済効果は無視できないでしょう。
    しかし、その新・富裕層の誕生と同時に、格差に苦しむ人たちも増えていけば、それは社会不安をもたらすことになるかもしれないし、結果的には、全体的な経済成長をも阻害するかもしれませんね。
    とても難しい問題です。
    どうすればいいのか、などと提言する力は、私個人などには全くないのですけれど、>「何事も一足飛びにはいかない」というTJさんの言葉を信じ、まずは、身の回りのことで出来る小さなことを、少しずつ積み上げていくか…なんて思っている次第です。

  3. 軽コロ より:

    ゲームでもテレビでも、或いはインターネットであっても、与えられた情報のみを受け流しているうちに想像力が欠如してしまっているのかもしれません。
    平たく言えば夢が無い。
    一昔前なら夢も希望もないと言ったら、否定的な意味で、夢を持つことすらできないくらい苦しいとか、そういう意味だったのに、夢がなくても今幸せなら良い=その日暮らしでも十分満足できるということではないでしょうか?
    どうしてこうなっちゃったんでしょうかね。

  4. ネアンデルタール より:

    どうして、そんなふうに人を上から見下ろすような言い方ばかりするのかなあ。
    大人であることが、そんなにえらいのか。
    ネット・カフェ・クルージングの醍醐味を体験した感受性から、新しい文化が生まれてくるかもしれないんだよ。
    新しい思想や哲学が生まれてくるかもしれないんだぜ。
    この社会にそういう「けもの」のような暮らしがあるかぎり、頭の薄っぺらな文化人がどんなにけちつけようと、エコロジーの思想はそうかんたんに滅びない、ということかもしれないんだよ。彼らは、新しい人間の歴史として、「けもの」のような暮らしの醍醐味を実験しているのかもしれないんだよ。石油も、もうそろそろなくなるころだし。
    それは、新しい何かが生まれつつある胎動であるのかもしれないんだよ。
    そうやって嘆きたかったから、他人や社会を嘆いていることばかりしていないで、自分を嘆けよ。薄汚い大人である自分を嘆けよ。自分が自分であることの恥ずかしさというものはあるでしょう、実存の問題として。
    ネット・カフェ・クルージングは、彼らの実存=身体感覚の問題なんだと思うよ。
    そのレポーターにしても、10日で嫌になったなんて半端なことをしてないで、ハマるまでやってみろよ、ちゅうの。どうしてもハマらないとしたら、おめえがすでに実存=身体感覚の問題を喪失した薄汚い大人になっちまっている、ということだ。
    他人や社会は、すべて肯定して受け入れ、反応してゆくしかない対象だと僕は思っている。それが、「俗物め」という反応だとしても。
    えらそげにああだこうだと言えるのは、「反応」を喪失しているからだ。反応は、分析じゃない。反応を喪失しているぶん、人は分析したがるのだ。そして、分析=弁証法=近代合理主義が行き詰まっている裂け目から、ホリエモンなるヒーローが現れたのだ。
    しかし、人間の暮らしは家の中のふかふかのベッドで寝ることだけじゃない、というのは、キャンピングカーの思想でもあるはずですよ。

  5. 町田 より:

    軽コロさん 自作アンテナ、なんとかうまくいきそうですね。いろいろ苦労されている様子が分かりますので、応援しています。
    >「与えられる情報のみを受け流しているうちに、想像力を失ってしまう」…ということは、おっしゃるように、確かにあるかもしれませんね。
    情報量が多すぎるということは、結局「何もない」ということと同じなんですよね。
    むしろ、得られる情報量など少ないほうが、かえって人間の想像力というのは、活発に働くような気もします。
    テレビやラジオのない時代だって、人間は豊かに生きていたわけですから。
    軽コロさんが気づかれているように、案外、情報量と「夢」は反比例の関係にあるのかもしれませんね。

  6. 町田 より:

    ネアンデルタールさん 「ネットカフェクルージング」という言葉からは、ちょっと面白いニュアンスを感じました。案外イケるかもしれません。
    そして、そこから、もし新しい「哲学」や「思想」が生まれてくるならば、私もまた期待したいと思います。
    ただ、実際にその萌芽はあるのでしょうか。
    私は、一度ネアンデルタールさんが、実際に10日でも2週間でもネットカフェクルージングを体験されて、その可能性を模索されることを期待します(皮肉でもなんでもなくて…)。
    そして、そこでもしネットカフェ難民といわれるような若者がいるようでしたら、ぜひ取材してみてください。
    そして、取材されたレポートを、ぜひまたここでご報告ください。
    >「人間の暮らしはふかふかのベッドで寝ることだけじゃない」という発言は、私もまさにそのように思います。
    同感です。
    ただ、>「薄汚れた大人である自分を嘆けよ」というご提案にはちょっと…。
    別に開き直るつもりもないんですが、「薄汚れた大人」であることがいけないとも思いません。人間は、どっちみち生きていることで薄汚れてしまうんだし。
    自分が「薄汚れた大人」であっても、「純潔な若者」に戻りたいとも思いません。

  7. 予備軍 より:

     豊かさの空間・・・
     コンビ二・個室喫茶・ハプバー・コインランドリー・ネットカフェなど等、時代を反映する空間が続々と誕生して盛況だ。それぞれ目的を持って作られ利用されているが最近の状況は唯一その趣を異にし始めてるのがネットカフェだ。つまり目的外使用が頻繁になり社会問題化されつつある。
     
     利用する側からすれば安くてそれなりに必要な物は揃っており一宿の宿(定宿にしている者もいる)としては申し分ない。携帯電話・コンビ二・テレビ等、およそ縁の無い時代に生まれ育ち東京の山谷や大阪の西成のドヤ街に宿泊してた頃を思い出すと天と地の差を感じる。
    某日、テレビにネットカフェの映像が流されている・・・。鬼の首を取った如きカメラに向かってレポートするアナウンサー(その現状をマジで理解してるのかな?)

    私:(にやり)
    妻:何よ気持ち悪い・・・
    私:(そうだこの手があったんだ!あと2年で定年だ、そうすれば時間が余るな・家に居ても家内に疎まれ・夫婦喧嘩をしても家内は実家に帰れるが俺には帰る所も無い、飲み食いはコンビニに行けば事は足りるし・・・最悪熟年離婚でもすれば益々必要になってくるぞー)
      (待てよ、何か足りないー・・・そうだ!!キャンピングカーだ!あれが有れば鬼に金棒だ!  日本全国何所に行っても生活出来るし、遊牧民生活も良いかも知れん・・・)
    妻:あなた!私の話は聞いているの!!!
    私:ああ~聞いているよ。

     今は若い人達が利用しているが団塊の世代~高齢者・少子者社会と変遷していくなか、金と時間を持て余した中高・熟年のオジサン、オバサン達が占拠するようになるかも知れません。つまりさまよう若者ではなく、さまよう高齢者の出現です。
     貧困の時代にやっとこさ生きながらえ現在の生活を享受している者にとっては、豊かな社会の副産物であるこの空間を大切にしたい。
     少なくとも犯罪やその他、それらに類する温床にはなってほしくない。 
     
     

  8. 町田 より:

    予備軍さん 奥様と予備軍さんのやりとりがとても楽しいコメントありがとうございました。
    ネットカフェに関しては、すでに中高年の利用者も多いという話はありますね。
    本来の目的を追求する意味で、パソコンが自由に使える空間が街の中で広がっていくことは、とても助かることだと思います。
    ネットカフェで、その日暮らしを余儀なくされる人々にとっても、パソコンを通じて人とつながるという実感を持てることは、とても大きな意味を持ちますよね。
    私も、見知らぬ地のネットカフェで朝を迎えたとき、少し途方にくれていたのですが、パソコンを立ち上げ、とりあえず自分のブログを開けて、その朝寄せられた読者のコメントなどを読んでいるうちに、なんだかとても落ち着いた気分になったことを思い出します。
    あと2年で定年を迎えられるわけですか。
    私と多分同年代のようにお察しいたします。
    ほんと、テレビも、コンビニも、ランドリーも、携帯も、もちろんネットカフェもない子供時代でしたね。
    これらの豊かな時代の副産物を、大切に使っていきたいという気持ちは同じです。

  9. 月兎 より:

    ネアンディルタールさんのコメント、大変面白く拝読しました。
    疑問点としては。

    1.あなた御自身がネット難民?
    2.多くのネット難民と同世代の御自信?ゴチャゴチャのたまう世代は、うるせー!!?
    3.年齢、年代に関わらず、自分の解釈にそぐわない意見には噛み付いてみよーう!?

    御コメント、本当に心から微笑を誘われました。
    御心うち、何となく、しかも痛いほど共感を覚えました。
    私にも同じ思いを抱いてものごとにブチアッタ年頃があります。
    あの頃はもう、メチャクチャ何かに向かってつっ走っり、吼えていました。

    ところで、このブログは心のうちを吐露でき、取り上げて貰えるブログです。
    しかも真摯に対応してもらえる嬉しいブログです。
    実に今、貴方と私のように言いたいコメントを扱ってくださるこのブログ、
    コメンターのストレス解消をもしてくれます。
    各ブログ内容、そして各コメンターに対して嫌味の無い対応が貰えます。
    これはプロの物書き、町田氏の妙技と彼の度量の頼もしさです。

    貴君が擁護にまわったネットカフェー。
    別に特別刷新的なものではありません。
    ネットカフェーというのは、有史以来名称を変えて人類の歴史に共存してきたものだと解釈して下さい。
    昭和の時代では、深夜喫茶?
    大正では 木賃宿?Etc.
    さて、江戸時代はなんだったのでしょうか?
    その名称の違うネットカファエー様のところ。
    そこでたまたま「生」を授かた者、「死」を迎えた者、そこでしか生きられなかった者。
    そこに生きてきた人々は、時の勢力、政治、抑圧に対して、
    けなげに、或は投げやりに生き抜いてきた個々の歴史があったのでしょう。

    貴君からのコメント、忌憚の無いものと読みました。
    熱くなり、自分を真っ向からさらけ出す者の声に、何かと懐古させられました。
    そして御文章には少なからずの「憤り」を読み取りました。
    ものごとにはいつも viceversa があります。
    それが判ってくると人生の対処が又違ってくるのかも知れませんね。

    • 町田 より:

      >月兎さん、ようこそ
      コメントいただいたエントリーは2007年にアップしているもので、もう6年前のものなんですね。古いものを探してお読みいただく読者はめったにいらっしゃらないので、たいへんありがたく思っております。
       
      エントリー記事を自分で読み直してみて、今日のニュースに出てくる状況や言葉は変わってきましたが、問題の本質は何事も変わっていないと痛感いたしました。
      ただ、記述のスタイルが、“上から目線” というか、自分を安全地帯に置いたままの分析的視点に終始していることは確かですね。
      そこが、ネアンデルタールさんの不興を買った理由のひとつになっているとは思いました。

      それに対する私の返信も、今読むと、かなり挑発的ですね。
      「そんなふうに上から見下ろすような言い方ばかりするのかなあ」
      と切りだされて、少し感情的になっていたからでしょう。

      でも、冷静に読むと、ネアンデルタールさんの指摘は、この問題の本質をズバリ突いている発言のように思えます。
      「ネット・カフェ・クルージングから新しい文化が生まれてくるかもしれない」 という予測を抱くことは、きわめて知的な態度で、それを見逃すべきではないとも感じます。

      月兎さんも、そこのところを理解されたから、ネアンデルタールさんのコメントに共感を抱かれたわけですよね。
      >>「ネットカフェ的なものは、時の勢力、政治、抑圧をやり過ごす場所として、時代を超えて、いつの世にも存在していた」 という月兎さんの観察には、目を開かされました。

      こういう古いエントリーは、コメントなどをいただく機会がない限り読み返すこともありませんので、自分の書いたものまたそれに対する感想・反論などを介して、再び考えるきっかけを与えていただいたと思っております。
      ありがとうございました。
       

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