預言者ホリエモン

 
 2007年 6月現在、ホリエモンこと、堀江貴文氏の報道がマスコミから途切れて久しい。
 しかし、最近のニュース番組などを見ていると、なんだか、ホリエモンの言っていたとおりの世の中になってきたなぁ…と、つくづく思うことがある。
 
 
 
 私は、かつて堀江氏がいろいろな媒体で発言するのを見たり、聞いたりするたびに、「大変な時代が来たものだ」 と、ちょっと驚かされ、感心させられたことがたびたびあった。
 2005年の 『オフレコ』 (Vol.1) という雑誌で、堀江氏はインタビュアーの田原総一郎氏の質問に対し、
こう答えている。
 ちょっと再現。
 
【田原】 (インターネット事業など、楽天さんが進めているような仕事をそのまま継続するよりも) … 堀江さんはもっと自分のオリジナリティを出されたらいいのではないですか?
【堀江】 オリジナリティということに興味を感じていないんですよ。
【田原】 あ、そう?
【堀江】 だって、仕事になぜオリジナリティが必要なんですか? 仕事は儲かればいいのではないんですか?
 
【田原】 インターネットを通じて儲けようとするならば、ほかの業者よりも優れたものを追求して、それをアピールするのは当然のことだと思いますが…
【堀江】 それはオリジナリティではないでしょう。みんなそういうことを 「オリジナリティ」 と表現するけれど、アホだと思う。
 オリジナリティに訴えなくても、差別化する手段などいっぱいある。資本力とか技術力で、きちっと差別化していけばいい。
 オリジナリティなんか、何一つ必要ないですよ。良いものをそのままパクればいいだけだから。
 
【田原】 堀江さんが、そういうことをいうとガッカリする人もいるだろう。
【堀江】 ガッカリすること自体がおかしいですよ。みんな、なんでそんなにオリジナリティが好きなんですか? 他人より10秒早く思いついただけで、それを 「オリジナリティ」 などと評価すること自体に意味がないですよ。
 誰かが 「すごいアイデアを思いついた!」 というとき、世の中では、少なくとも3人が同じことを同時に思いついていると、昔から言われているでしょ。
 今の情報社会は、アイデアのもとになる原料みたいなものが、インターネットで、一瞬にして手に入る。だから、いいアイデアは同時に100万人が思いついているかもしれない。オリジナリティそれ自体には、僕は価値がないと思っている。
 
 少し長い引用になったけれど、私はこの対談の記事を読んで衝撃を受け、それをノートに書き写した。
 なんか、大変な時代になってきたもんだ、という気がしたからだ。
 
 長いこと出版に携わっていると、「オリジナリティ」 というものが、一番大切だという意識に、骨の髄まで染まってしまう。戦後教育そのものが、「個性が大事」 と教え続けてきた。
 その “大切な” オリジナリティというものを、あっけらかんと否定する人が出てきたということが、脅威でもあり、新鮮でもあった。
 
 たぶんに挑発的な発言をすることは、堀江氏のクセで、その表現スタイルに腹を立てる人は多い。
 しかし、その言い方がシャクに触っても、それに反論できるかというと、なかなかそれができない。
 もう少し、先ほどの対談を続けてみよう。
 
【田原】 堀江さんが考える 「良い会社」 とはどんなものなんですか?
【堀江】 会社は儲けるための組織なのだから、設ける会社が良い会社に決まっているじゃないですか。だから、社員の能力は、すべて 「数字」 で判定しています。
【田原】 人間的に良いヤツとか、忠誠心なんてあんまり関係ない?
【堀江】 そんなの、だってゴマすっていれば誰だって良く見えるじゃないですか。
 しかし、数字はウソをつかないので、経営者は数字だけ管理していれば、それ以外のものに気をつかわなくてすむ。
 
 こういう堀江氏の発言の根底には 「新自由主義」(市場原理主義) の思想そのものが反映されていると見てよいだろう。
 「儲けてなぜ悪い?」
 これに面と向かって反論するのが、たいへん難しい世の中になってきたと思う。
 
 そして、現に、世の中は、この堀江氏が2005年の対談で発言したような色合いをますます強めている。
 オリジナリティがなぜ必要なのか? 良いものがあればパクればよいではないか、という発言を示すような例は、たとえば中国のニセディズニー・キャラクターやニセブランド品の例を挙げるまでもなく、世界中に蔓延しそうな勢いを示している。
 
 「儲かる会社が良い会社だ」 という発言は、ニセ牛肉コロッケなどの事件を例に採るまでもなく、日本のあちらこちらで、その悪例を生み出してきている。
 それに対して、「企業倫理」 とか 「社会のモラル」 などという概念を持ち出しても、もうどこまで実効性がある分からない状態になってきている。
 
 2006年の週刊新潮では、故池田晶子さんが、その連載コラムで、
 「人間がいよいよ壊れてきた」
 と書き出してから、
 「金を儲けるために人を押しのけるのも当たり前なのか?
  人生は金がすべてなのか? 
  そういう根本的な疑問そのものが、人々から失せてしまったのではないかと感じる」
 と述べている。
 
 しかし、私は、「金がすべて」 という思想は、資本主義が基本的に人間に強いる一般的な思考様式で、それは、今に始まったものではないと考えている。
 
 ただ、今までは各地域ごと、あるいは職場ごとに、強固な地縁共同体や職能共同体が存在し、それが資本主義運動の 「抵抗体」 として機能していたため、 「金がすべて」 という考え方に、歯止めがかかっていたに過ぎないと思っている。
 そのような地縁・職能共同体が、20世紀後半から世界を席巻した経済のグローバル化にともなって消滅し、資本主義の地金が出てきただけなのだ。
 
 資本の運動は、地縁社会を均質に均 (なら) し、国境を越え、世界に広がろうとする。
 現政権の目指す 「美しい国」 というようなこぢんまりした概念を、資本の運動は軽々と超えていく。
 現に堀江氏は、日本にいることに何も未練がないことを、2004年9月10日号の「週刊朝日」 の座談会のなかで表明している。
 
【堀江】 日本の政治家は、地域 (国や地方) にからめ取られる存在なので、自分の理想を追求するのは無理ではないかと思っている。
 (僕たち) 商売人は、日本がダメになったら、もっと元気な国に行けばいいと思って仕事をしている。(中略) 僕は面倒くさがりなので、(政治のような) ステップ・バイ・ステップではなく、ジャンプ・アップを目指している。人間には、がんばって全精力を費やせる時間など限られている。
 
 結果的に、堀江氏は、世界にジャンプ・アップすることができなかった。
 しかし、ホリエモンの開けたパンドラの箱は、まだ、誰もそれを閉めようとする人間がいない。
  
 

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預言者ホリエモン への6件のコメント

  1. 磯部 より:

    既製の社会に負けた、または乗り遅れてしまった若者たちにとって、ホリエモンの登場は夢の再来だったと思います。
    旧体然とした社会は息苦しく、強固に形成されたピラミッド型社会は、多くの人たちを失望させていたのですから。
    だから彼は若者のあこがれだった。だから彼はピエロに徹したのでしょう。
    でも、彼は何かを吐き違えていたように思う。
    オリジナリティの否定も数字のみを信用する考え方も、妙に合理的に過ぎた思考だったのではないでしょうか?
    人というものは、彼が想像する以上に複雑に出来ていることを、いま彼自身が痛感しているのでないか、と思います。
    みんなに夢と失望をばらまいたホリエモン。
    町田さんのいわれるように、彼の開けたパンドラの箱はいま、誰も閉じることが出来ないでいる。
    またその思考は、ネット上の情報起業家たちに脈々と受け継がれているのも事実だ。
    ホリエモンは、「自民党をぶっ壊してやる」と言った誰かのようにパフォーマンスだけで終わらせずに、今度は正攻法で再チャレンジしていただきたいと、真にそう思う次第です。

  2. 町田 より:

    磯部さんのコメントに、全面的に賛同します。
    おっしゃるとおり、ホリエモンという人は、閉塞状況に陥っていた当時の日本に、風通しの良い穴をこじ開ける人間として、登場したという気がします。
     
    堀江氏という人は、基本的に当時の小泉政権が進めようとしていた市場原理主義的な方針を、自分の主義として、またライフスタイルとして体現していたような人ですよね。
    彼以上に、そういう考え方を押し進めていた経営者はもっと多かったろうし、彼よりも早くそれを実行していた人はさらに多かったと思いますが、堀江氏は、それを独特なパフォーマンスを含め、誰にも分かりやすい形でアピールしたわけですね。
     
    そういった意味で、彼は当時の日本経済が進むべき道を身体ごと演じた広告塔でもあったわけです。
    しかし、粉飾決済などの不正が明るみに出て、ものの見事に失墜してしまいました。
    それと同時に、市場原理主義的な世界がもたらす「格差」や「企業倫理の低下」などの問題も露呈するようになり、今それの揺り戻しが起こっている最中です。
    堀江氏に代表される市場原理主義をあの時代の日本が選んだことは、企業の復興、経済の活性化を促進させる意味では、大正解だったのでしょう。
     
    しかし、それに伴なう「格差」の拡大やモラル低下の問題は、あの時代の為政者やメディアは見ようとしなかった。…というか、見てもそれに気づかないフリをしていた。そのツケが、今蔓延しているのかもしれませんね。
    堀江氏が、オリジナリティを否定したり、人間性よりも数字を信用したというのは、たぶんにメディアを挑発しようという戦略的な発言だという気はしますが、でも、心の中においても、やはりそのように考えていたのでしょうね。
    >「人間は(ホリエモン氏が)想像する以上に複雑に出来ている」
    磯部さんのおっしゃる通りだと思います。
     

  3. 予備軍 より:

     「時代の変革期を痛感した」「時代の寵児」なんてパフォーマンス総理大臣やマスコミが持ち上げていたのが遠い昔のように思われます。
     市場原理主義は何もいま始まった訳ではありません。その昔の昔の商売人から引き継がれて今日(こんにち)に至っております。その間、利益を追求をしつつも働く人を大切に扱いその見返りとして世界に類を見ない成長と発展を遂げたが現在の日本だと思います。そのどちらが欠けていても今の繁栄は無かったと思います。
     人は金や物・機械で作られていません。しかし、それらを欲しているのも人でしょう。”人間的に良い奴とか忠誠心なんてあまり関係ない、数字は嘘をつかない、経営者は数字だけ管理していればいい”と豪語しておりましたがそうでしょうか?
     最近、介護・教育・食品関係等の企業や会社での各種事件は”会社は儲けるための組織・儲ける会社が良い会社に決まってる”と言った「時代の寵児」のコピーのように思えてなりません。
     人間には学習能力があります。このままで良いのか遠からず気がつき行動し始めると信じております。「人は石垣・人は城、情けは味方、仇は敵」とも言います。時代錯誤かも知れませんが人の琴線に触れるような接し方もこの時代必要では?
     古今東西、働く人を大切にしている企業や会社はその大小は問わず成長し安定した社会に寄与しております。
    これまた現実です。
     「パンドラは慌ててその箱を閉めた・・・・・こうして人類は様々な災厄に見舞われながらも希望だけは失わず(あるいは絶望することなく)生きていくことになった」と書いてあります。まだ世の中捨てたもんじゃないと思っております。
     

  4. ネアンデルタール より:

    あなたは、僕が「薄汚い俗物根性」というのが大いに不愉快らしいが、あなたと違って僕は自分の中にそういうものをたくさん抱えて毎日うぎゃあと叫びだしたい思いで生きているから、それをまるで自分の優秀さの証であるかのように言われると、うんざりしてしまう。僕は、そうやってののしらずにいられないくらい下品な人間のくずで、学者たちは、世のまっとうな人間の代表選手です。僕は、人間を均質化して考えたくない。僕は人間のくずで、あの人たちは立派な人間だ。そういう違いは、はっきりさせておきたい。僕は、この世の人間のくずといわれる人たちと連帯したい。
    ホリエモンの言うことだって、そりゃあ、全部正解ですよ。潜在的なこの社会の正義ですよ。
    そんなもの、間違っている、なんて誰が言えるものか。
    ただ、俺はあんな無国籍的な俗物根性は嫌いだ、と心底うんざりして言えるかどうか、ということがわれわれに試されていることではないのですか。
    間違っている、なんてことは、誰にもいえない。
    そういう、「やめてくれよ、うんざりなんだよ」という、ニートや引きこもりの若者たちの、あるいはロック少年たちの、そういう「反応」とどうしたら俺は連帯できるだろう、それが今僕が今考えていることです。
    ぐだぐだプロセスをいじくった果てのアイデアなんていらないんだよ、そんなものはどこかからパクってくりゃいいのさ、とホリエモンだって言っているじゃないですか。それは、正解です。
    しかし僕は、世界なんてわからないことだらけだ、という一部の若者たちの「反応」のほうが、世界の本質をとらえていると思います。
    世界なんてこんなものだよ、とえらそげにいえるのは、そういう純潔な「反応」というものを喪失した人間の、ただの俗物根性だと思います。
    プロセスからアイデアが生まれてくるなんて、そうやってアイデアとやらに執着するのは、結局はホリエモンと同じ俗物根性なのだ。
    アイデアもプロセスもいらない、社会なんて関係ない、今ここのこの世界に全身で反応して生きていきたい、と願っている若者と僕は連帯したい。
    僕はあなたたちよりはるかに俗物であるがゆえに、あなたたちよりはるかに俗物根性が嫌いです。 
    僕だって、アイデアもプロセスもいらない、今ここの世界に全身で反応して生きていけたら、と願っています。

  5. 町田 より:

    予備軍さん コメントありがとうございます。
    最近、何かの報道で知ったのですが、「創業○○年」といった老舗企業が残っているのは、アジアでは日本が一番多いんだそうですね。
    そういう会社は、常に最新の技術動向をフォローしながらも、決して伝統の製法を変えず、社員の和を尊重しながら、業務に励んでいるのだとか。
    まさに、予備軍さんのご指摘のとおり、「人は石垣、人は城」の精神で、時代を乗り切ってきた企業なのだと思います。
    >「まだ世の中捨てたもんじゃない」っていう気持を忘れずに、生きていきたいですね。

  6. 町田 より:

    ネアンデルタールさんのメッセージの熱さは十分に感じました。要するに、これはネアンデルタールさんの決意表明なわけですね。それはしっかりと受け止めさせていただきました。
    ただ、おっしゃることがあまりにも遠大で奥行きがあるため、にわかにどう返信を返せばいいのか、思いつきません。今一度考える時間をお与えください。

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