200字で終わる世界

 
 ある本を読んでいたら、最近の編集者は、著者に原稿を頼むとき、「ひとつのテーマは200字以内でお願いします」というリクエストが多いという話が出てきた。
 200字を超えると、読者から
 「読みにくい」
 「何を言っているのか、分からない」
 というクレームが殺到するからだという。
 
 その本の著者はいう。
 「200字だと、物事を説明するときの理由や背景などに言及できない。ただ結果を述べる“標語”のような文章になってしまう」
 
 しかし、編集者がいうには、それでいいのだとか。
 「むずかしいことなど、誰も考えたくないし、興味もない。ただ、結論が分かりやすく書いてあればいい」
 本づくりの現場は、今そうなってきているらしい。
 
 理由、背景、構造、原理。
 そういうものがくどく述べられているより、とりあえず、今何をすればいいのか、その答が明確に表示されているものが売れる。
 そういう社会ができつつある …のだそうだ。
 
 それは、本の世界だけではないらしい。
 ゲームの世界でもしかり。
 ゲームといえば、かつては 「ドラゴンクエスト」 や 「ファイナルファンタジー」 のようなロールプレイングゲームが人気を誇っていた。
 しかし、最近急激に売上を伸ばしているのは、「脳トレ」に代表されるような実用ゲーム。
 ゲームの中でトレーニングすることで、 「脳年齢が若返る」 というようなものが主流。
 RPGのような、時間をかけて、ゲームの中の主人公を少しずつ成長させながら、冒険をしていくというゲームは、今や 「まどろっこしい」 と思われるようになってきたのだそうだ。
 
 あるゲーム開発者は、
 「とにかく、これから開発するゲームは、分かりやすくて、すぐに結果が出て、その結果に対して過剰にほめられるという要素がないとダメ」
 と語っている…という話が、その本で紹介されていた。
 本やゲームの市場がそういう色に染め上げられてきたというのは、本当のことなのだろうか。
 もし、そうだとしたら、なぜそのようになってきたのだろうか。

 むずかしい話は、私には分からない。
 ただ、なんとなく、変な世の中になってきたなぁ…という思いは強い。 
  
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

200字で終わる世界 への10件のコメント

  1. TJ より:

    最終的な結果は同じでも、そこまでの道筋(プロセス)があって完結すると考えるのは旧いんですね。。変な世の中になってきましたね。
    一足飛びは若者には良い影響ないと思うのですが!!

  2. 町田 より:

    TJさん そうなんです! 
    「なんか変な世の中…」というしかないんですよね。
    「世の中が間違っている!」ともいえないような気がするし、じゃ「いい方に向かっている!」という実感も持てませんし。
    ただ、>「結果は同じでも、そこまでの道筋(プロセス)があって完結する」…という考え方は、決して古いわけではなく、むしろそれが普通だと思うのですが、最近は、「考えるプロセスは他人まかせ。考えた結果だけちょうだい!」という風潮があちこちで出てきているような感じもします。
    自分もそうなんで、人のことみたいに言えないんですけど。

  3. スパンキー より:

    いまどき、若い人から相談を持ち掛けられて、禅問答のような事を答えたら、いわゆるキレるでしょうね。
    こんなのはどうでしょう?
    「答えは風のなかにある」
    やはりキレるでしょうね。

  4. 町田 より:

    おお、ボブ・ディランですね!
    「The answer My friend blowin’ in the wind」
    名曲「風に吹かれて」のリフの部分ですね。
    「答は風の中にある」って言って、キレる人はもうオシマイですね。
    「答はない」
    あるいは、答は「自分で探せ」
    とでも取れる言葉で、これは理屈っぽい説教などより、はるかに説得力のある表現だとは思うのですが、それで
    も、やっぱりみんなキレちゃうんですかねぇ…。

  5. 軽コロ より:

    本を売る側の編集者からすればやむを得ないのでしょうけど、理由や背景のない文章を読んでも、ちっとも面白くない人だっているわけですし、やはり出版物やマスメディアに影響されて世の中が変わってきているような感じがします。
    しかし、ゲームの話は驚きました。そこまで人間は単純化してしまっているのですね。
    時間をかけて成長させ・・・それがまどろっこしいとなると、最近目にするニュースなどを見ると例えば子育てとかにもそういう兆しが現れているようで、恐ろしくなりますね。

  6. 町田 より:

    軽コロさん テレビが映るようになるといいですね。
    ええと…、>「理由や背景のない文章など読んでも、ちっとも面白くない人だっている…」という発言は、味方
    を得た思いでした。実は、私もまたそうなので。
    何か、時間をかけてコツコツやるということが軽視されるような時代になってきた感じはしますね。
    私なんぞ、牡牛座で、同じことをノロノロやることだけが取り得の人間ですが、そういう人間には、生きにくい
    世の中になってきたように思います。

  7. ネアンデルタール より:

    僕は、世の学者たちに対して、お前たちはプロセスだけ差し出せばいい。答えは俺が出してやる。という思いが、ないではありません。
    プロセスを考えていると、答えが見つからなくなってくるときがある。あれこれプロセスをたどって、結局、そんなことはわかってるんだよ、当たり前の前提なんだよ、という元の木阿弥のような答えを偉そうに吹聴してくる学者は、いっぱいいる。そういう「あほな大人たち」に若者がうんざりし始めている、ということもありそうな気がします。
    最初の直感で、いっぺんに本質を捕まえてしまう。プロセスなんて、それから後のことだ。プロセスで勿体つけることばかりに執着している大人たたちがいかに多いか。若者は、そういうことに気づき始めている。
    直感で本質を捕まえてしまう。これは、「愛」の問題であり、人間としての「こころざし」の問題です。えらそうな顔をして威張る前に、きゅっと抱きしめてやれよ。おめえの生きてきたプロセスなんてどうでもいいんだよ。
    今ここの「愛」や「こころざし」見せてみろよ。なんにもないくせに…。僕から見てもそう思える大人はいっぱいいるのだから、敏感な若者からしたら、なおそうでしょう。
    今の世の中、そういうものを持たない大人がいかに多いか。プロセスで権威付けようなんて、薄汚い俗物根性だと思います。
    これはまあ、弁証法がどうたらこうたらという近代合理主義ともかかわってくる問題で、そんなこといってたら話はきりがなくなっちゃいますけどね。

  8. 町田 より:

    プロセスを抜きにして、結果だけを得ようとする風潮があるとしたら、それは「若者」とか「大人」、「一般人」と「学者」というような区別の問題ではないような気がしますが、いかがでしょう。

  9. ネアンデルタール より:

    どうしてそうやっていい子ぶるのですか。
    これは社会の構造=時代の問題でしょう。社会の構造=制度性により深く浸されたものたちと、そこから離れたところに自分の居場所(世界)を作ろうとするものとの間に断絶は生まれてくるし、その間にグラデーションができているのが「社会の構造」というものでしょう。
    区別をなくしてみんなまとめてひとくくりにできるほど社会も人間も単純じゃない。
    僕は、プロセスなんて抜きでいいんだ、人間が生きているのは「結果」なんだ、明日も生きてあるつもりでプロセスばかりいじくっている暇は俺にはない、といっているのですよ。べつにそんな風潮を嘆く趣味はないです。
    だから、近代合理主義と弁証法の問題だ、といっているじゃないですか。そして、結果だけを得ようとする若者より、プロセスばかりをいじくり回したがる大人ほうがずっとたちが悪いんだ、といっているのです。
    こんなブログにこんな場違いなことはコメントするべきではないのかもしれないが、僕だって愛する町田編集長に鼻の先であしらうような回答をされて、深く傷ついているのです。
    一応聞いておく、といわれたほうが、まだ納得できる。
    この社会は、絶えず「外部」との関係で動いているのであるし、内なる外部も抱えている。とりあえずそういう内部と外部の対比の関係をそういう言葉に象徴させていってみただけじゃないですか。時代はこうだ、なんてそんなひといろでくくれる手品みたいな論理はないのだ。常に内部と外部の関係として動いているんだ。内部のものだけで動かしているわけではないし、内部のものだけを正当化するような論理など、僕の趣味じゃない。
    たぶんこのページの管理人は僕のコメントなど鼻であしらうコメントを書く権利を持っているのだろうが、僕の中の町田編集長に対する愛着は、そんなことで消すことはできない。めちゃくちゃむかつくけど。

  10. 町田 より:

    ネアンデルタールさん >「鼻であしらうコメント」などを書いたつもりはないのです。ただ、あまり「薄汚い俗物根性」などという言葉がいっぱい出てくる発言は、ちょっと嫌だなぁ…という思いがありまして、長い議論にならないように、なるべく短く返信しようと思っただけのことです。
    ただ、ネアンデルタールさんのご意見をまったく無視したつもりはありません。
    コメントを頂いてから、私は自分の意見として「ホリエモン」氏をテーマにした原稿を、ネアンデルタールさんへの返信のつもりで書きました。
    まず、最初に頂いたコメントに関してですが、
    >「あほな大人」が、「もったいぶったプロセス」を若者に押し付けているというご指摘ですが、こういう状況は大人同士の間でも起こっていることです。
    私自身は、プロセスを熟考することなく、直感的にいいアイデアが浮かぶなどということは有り得ないと思っています。それは「大人」とか「若者」を超えた、人間一般に関わる問題ではないのでしょうか。
    2回目に頂いたコメントに関してですが、>「社会=制度性に深く侵された者と、そこから離れたところに自分の居場所(世界)をつくろうと思った者の断絶が生まれる…」というご指摘ですが、「社会」の動きと「資本」の動きは必ずしも連動しているわけではないと思います。
    多くの人は資本の運動と社会構造を同じものとして捉えがちですよね。
    しかし、「社会」と「資本」の運動はねじれ現象を起こします。
    現に、堀江氏の考えに代表される市場原理主義は、ものの見事に、古い伝統にあぐらをかいていた大人の「社会」を打ち砕きましたよね。日本の資本主義が世界に伍して生産性を高めていた家族愛的な会社組織は、それによって崩壊することになります。
    しかし、そのような資本の運動は、家族愛的(欺瞞的?)な会社共同体を壊し、家族愛的な会社組織が持っていた相互扶助的な助け合いの精神をも壊したわけですね。「格差社会」の問題やフリーター、ニートの問題も、このような雇用関係の変化とまったく無関係に進んできたとは思えないのです。
    どうか「深く傷ついた」などとお考えにならないでください。
    私も、このブログ内でお答えすることが適切かどうかは判断に迷うところですが、ご意見、ご感想があれば、私も考えられる範囲において、精いっぱいお答えしていこうと思います。

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