トロイ

《 昔の映画の現代的鑑賞法 歴史編2 》
「トロイ」

 
 2004年に公開された 『トロイ』 は、CGによって一大スペクタクルシーンを実現するという、最近のハリウッド史劇の動向を反映する映画だ。
 興行的にも成功した 『グラディエイター』 の流れをくんだ作品といえよう。
 
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 確かに、エーゲ海を東進するギリシャ船隊が、水平線まで埋め尽くしている映像は、さすがにCGでなければ描けない世界だと驚嘆する。
 しかし、今から50年ぐらい前につくられた 『トロイのヘレン』 という同テーマの映画と比べて進歩があったのか、というと微妙。
 むしろ 『トロイのヘレン』 の方が、映像的緊張感では勝っていたという気がする。
 軍隊が隊伍を整えて行進するシーン。
 攻城車がゆるゆると城壁に迫るシーン。
 巨大な木馬が、城内に迎え入れられるシーンなど、あきらかに 『トロイのヘレン』 の方が、スペクタクル映画のツボを押さえた映像になっていた。
 
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 例えば 『トロイのヘレン』 では、木馬が城門に入ってくるときなどは、思いっきり仰角で捉える。
 それによって、木馬の巨大さを強調しようというカメラワークである。
 ギリシャ軍の行進を横から捉える映像でも、下からあおるカットを多用する。俯瞰で押さえれば、エキストラの数が乏しいときは、それがバレてしまう。
 しかし、仰角で写せば、それをカバーできる。
 CGに頼ることに慣れた現代の監督がおろそかにしがちな、小さなことの積み重ねによって迫力を演出するという、昔の映画の凄さをあらためて感じた。
 
《ブラピはアキレスになれなかった》
 
 今回の『トロイ』 においては、何よりも致命的なのはキャスティングだ。
 まず、アキレス役のブラッド・ピットが、アキレスになりきれていない。
 アキレスというキャラクターは、闘争本能とプライドだけで動いている戦闘マシーンのような存在で、いわば暴力の神。
 頭脳は単純なのだが、その無垢さが神の世界に通じるという、ちょっと現代人にはいないタイプの人間だ。
 
ブラピのアキレス
 
 ところが、身体的構造も精神構造も、現代人以外の何ものでもないブラッド・ピットが、このアキレスをやってしまったのが間違い。
 彼は、この映画のために筋トレに励んで5㎏体重を増やしたというが、甲冑を身につけようが、麻布を体に巻きつけようが、ぜんぜん古代人の匂いが漂ってこない。
 ロックスターになることを夢見つつ、いたずらに齢 (よわい) を重ねてしまったニューヨークの裏町に住むクリーニング屋の店員という印象なのだ。
 
 一方、トロイ側の雄であるヘクトル (エリック・バナ) も魅力に乏しい。
 まず眉がタレているのがいただけない。
 ヒゲの密度も薄いので、「ヒゲを蓄えている」 という容貌ではなく、「剃り忘れている」 という印象。
 これも古代の英雄像からはほど遠く、東欧あたりの地方都市で、細々とした生活を営む、独身の電気工事の主任という感じだ。
 
 この2人が、トロイの城壁を背にして決闘する場面は、全編のハイライトになるはずなのだが、クリーニング屋と電気工事の主任のケンカじゃなぁ…。
 私がこの2人のキャストを与えられた監督なら、彼らには現代人の衣装を着せ、ネバダ州あたりを古びたアメ車でさまよいながら、時に争い、時に友情で結ばれる、若者同士のロードムービーにシナリオを書き換えるだろう。
 
 で、トロイとギリシャを代表する両英雄が戦うとしたら、やっぱりここは、かつての 「ジョー・フレーザーVS マイク・タイソン」 的なマッチョ同士がにらみ合うシーンにならなければいけない。
 
《やっぱスタローンでしょう!》
 
 そういった意味で 『ロッキー1』 あたりを演じていた頃のシルベスター・スタローンと、『ターミネーター1』 あたりのシュワルツネッガーが対決していたら、見応えがあったと思う。
 
 実際、古代ギリシャの壷絵に描かれるアキレスは、スタローン的な風貌と肉体を持っている。
 脳細胞が足りない (バカだ!)けれど、闘争本能のおもむくままに、身体が機械的に動いてく(それゆえに神々しい!) という役柄では、スタローンの右に出る者はいない。
 
アキレス像
 
 なんとか及第点の演技をしていたのは、オーランド・ブルーム演じるパリスだが、黒髪は×。
 パリスが美しい金髪の若者であったことは、古典文学の常識である。
 良かったのは、トロイの老王プリアモスを演じたピーター・オトゥール。
 
 少々、歌舞伎風の様式美を感じさせる演技だったが、気品と風格があって、一番の出来だった。
 ではヘレンは?
 まず美女でない。
 王妃という役に必要な気品もない。妖艶さもない。
 こういう役は、かつてのシルビーノ・バンガーノ、あるいはフランソワ・アルヌールといったラテン系美女じゃないとこなせないのかもしれない。
 
 『トロイのヘレン』 でヘレンを演じていたのは、ロッサナ・ボデスタ。
 まぁ、ラテン美女の典型でした。(ドイツ系女優じゃ無理だろうな)。
 
《粗雑な脚本でも、面白い映画になった理由》
 
 ギリシャ連合軍の総大将アガメムノンと、その弟のメネラオスというギリシャ軍の首脳陣たちも魅力薄。
 権力と財宝と女にしか欲望を感じない、下世話な男たちというだけで、将としての高貴さが皆無。
 もっとも、これは脚本にも問題がある。
 だいたい 「全ギリシャを手に入れるのが、俺の夢だ!」
 なんて、粗雑なセリフを、アガメムノンに語らせる脚本なんてありか?
 
 逆にいうと、ひどい脚本にもかかわらず、話をドラマチックに盛り上げたのは、原作の凄さだという言い方もできる。
 アガメムノンがトロイ陥落と同時に殺されたり、アキレスの恋人がトロイの王女だったりと、かなり原作の改編が目立つ箇所もあったが、おおむねは、原作に忠実に描かれている。
 
 だから、話は無類に面白い。
 やっぱり、3000年以上も人類に読み継がれてきた古典の力は偉大だ。
 復讐に燃えるアキレス。
 家族愛を貫くヘクトル。
 権勢欲におぼれるアガメムノン。
 盲目の恋におちたパリス。
 罪の意識に怯えるヘレン。
 子を失う悲しみに耐えるプリアモス。
 そして、狡知によってサクセスを手に入れるオデッセウス。
 
 愛、不倫、戦い、復讐、死別、謀略。
 人類がドラマのテーマとして思いつきそうなものは、この 『イリアス』 1作の中に、すべて盛り込まれて
いる。
 
《ギリシャ版 「平家物語」》
 
 栄養栄華を誇ったひとつの王族が滅びる様 (さま) を描いたという意味で、『イリアス』 は日本の 『平家物語』 にも似ている。
 貴族文化のきらびやかさを身につけ、肉親同士のこまやかな愛情で結ばれていた平家を滅ぼしたのは、粗暴なパワーと権勢欲を体の髄まで沁みこませた、野蛮な東国武者たちだった。

 美しい化粧を施した平家の公達 (きんだち) たちが、荒々しい源氏武者の手にかかって、次々と首を取られていく様子を眺めるのは、哀れを催す。
 だからこそ、ドラマとして盛り上る。
 
 『イリアス』 も、温かい家族愛で結ばれていたトロイ王族を、残忍なギリシャ人が攻め滅ぼすという平家物語スタイル。
 滅びゆくものへの挽歌というのは、洋の東西を問わず、感動ドラマを成功させるための必勝パターンなのかもしれない。
 
 

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