硫黄島からの手紙

  
 遅ればせながら、この春に話題になった 『硫黄島からの手紙』 をようやくDVDで見ることができた。
 
 クリント・イーストウッド監督、なかなかやるもんだ。
 あっという間の2時間半だった。

硫黄島DVD
 
 日本の旧帝国軍人には、偏狭な思想にとらわれた残忍な将校が多かったという話はいろいろなところで聞くし、映画やドラマにもさんざん出てくる。
 
 持ち場を離れた部下を見つけると、即座に 「卑怯者!」 と叫び、日本刀を抜いて斬り殺すような軍人たちだ(この映画では、中村獅童がそれを上手に演じていた)。
 
 このような常軌を逸した日本軍を描くとき、多くの映画監督は、必要以上にグロテスクな演出に傾く。
 真珠湾攻撃をテーマにした 『パールハーバー』 という映画は、その典型であった。
 
 あの映画においては、日本軍の作戦会議が、なぜか小学生たちがタコ揚げをしている野原で行われていた。
 将官たちが居並ぶ軍議の席は、陣幕で囲まれ、「皇国」 「大和魂」 などと書かれた幟 (のぼり) が、戦国時代の旗指物のようにはためいている。
 真珠湾攻撃の前夜。
 出撃前の日本人パイロットは、みな艦内のベッドに正座して、中国の道教の神像のようなものに向かって、狂信的な祈りをささげている。
 旗艦の司令室では、いかにも東洋人らしい細い目をした副官が、艦長(南雲長官?) に向かって、
 「うまくいきそうですな」
 と、ほくそ笑む。

 こういう映画と比べると、『硫黄島からの手紙』 は、まったく次元の異なる映画であることが分かる。
 反戦映画ではない。
 人道主義映画でもない。
 お涙ちょうだいに流れていない。
 なのに、これほど戦争の悲惨さが伝わってくるとは。
 
 つまり、これは渡辺兼や伊原剛志などが演じるプライドを持った軍人たちと、プライドを知らない軍人たちの対立を軸に据えて、戦争の愚劣さを描くという映画だったのだ。
 
 軍人としてのプライドとは何か?
 それは、自分を 「プロの軍人だ」と自覚することである。
 では、プロの軍人とは、どういう人間なのか。
 目的を遂行するために、おのれの英知をしぼり出す人間のことをいう。
 
 つまり、この硫黄島の戦いにおいては、いかに戦いの見せ場をつくるかではなく、いかに島を守り抜くかを、冷静に、合理的に考えられる人間のことを指す。
 渡辺兼が演じる栗林中将は、この硫黄島に赴任したときの演説の第一声として、兵士の「玉砕」を禁じる。
 「1日でも長く生きのび、最後まで責任ある戦闘を遂行せよ」
 プロとしては、当然のことを言ったまでだ。
 
 ところが、この栗林中将の発言は、一兵卒には理解できても、軍人教育を受けてきた下士官たちには、かえって理解できない。
 彼らには、「皇軍は、俘虜の辱めを浮くるよりも死を選べ」 という大本営の訓戒が、骨のずいまで沁み込んでいるからだ。
 
 死守すべき持ち場を敵に奪われたら、その責任をとって、自決することこそ軍人の美学ではないのか?
 そう思う下士官たちは、ひそかに栗林中将のことを、
 「死ぬのが怖いため、アメリカにしっぽを振る弱虫」
 とののしる。
 
 しかし、クリント・イーストウッド監督は、渡辺兼の演じる栗林中将の生き方を通じて、次のようなメッセージを伝えようとしていることが分かる。
 プロであるかぎりは、生きる望みが完全に絶たれるまでは、生きのびることに全力を費やせ。

 それは、戦争にかぎらない。何においてもだ。
 最後まであきらめるな。
 あきらめることに美学を付与して、カッコつけるな。
 アメリカ人として…ではなく、映画人のプロとして、クリント・イーストウッドはそう語っているように見える。
 
硫黄<br />
島画像

 硫黄島の戦いが、孤立無援の勝ち目のない戦いであることは、栗林中将には最初から分かっていたらしい。
 連合艦隊が壊滅したという情報をすでに得ていたからだ。
 
 しかし、この硫黄島が落ちれば、この滑走路は、アメリカ軍の本土空襲のために使われる。
 彼は、少しでも島の陥落を遅らせるために、小高い山の内部をくり抜き、堅固なトーチカを造って立てこもる。

 だが、その防衛線もズタズタに分断され、武器・弾薬も尽きる。
 大本営から 「撤退」も 「降伏」 も禁じられたこの戦場では、いつかは兵士たちは死なねばならない。
 
 「死なねばならない時を迎えたとき、せめて兵士たちに、その死に意味があったことを伝えることが上官の務め」
 栗林中将はそう思う。

 「諸君がこれまで、粘り強く戦い抜いたおかげで、国に残った家族たちも、ちょうどその分だけ、生きのびることができた」
 
 中将はそう語ったうえで、最後の最後に、兵士たちの先頭に立って、“バンザイ突撃”を敢行する。
 そこには、ヒロイックな高揚感もなければ、センチメンタルな悲壮感もない。
 栗林中将は、あっけなく敵弾に撃たれ、ぶざまに死んでいく。
 しかし、それが軍人としての責務を果たした、本人にとって悔いのない死に方であったことがしっかり伝わってくる。
 プロの監督が描いた、プロの軍人の映画であった。
  
 

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硫黄島からの手紙 への2件のコメント

  1. Taku. より:

    >町田さん
     素敵な映画評ですね。そういう見方があるのかと感心しました。普通軍人のプライドというと、お国ために命を捨てるのがプライドだと思いがちですが、逆なのですね。目的を果たすまでは命を粗末にしてはならないとい
    うのは、何においても正しいと思います。世界を騒がせている自爆テロなどはもってほかです。
     この映画では、渡辺兼の演じる栗林中将や伊原剛志も重要な役割を演じていましたが、二宮君の演じていた情けない兵士の役も重要に思えます。
     いい映画でした。町田さんの解説で、さらにその思いを深くしました。

  2. 町田 より:

    Taku.さん コメントありがとうございます。
    「硫黄島からの手紙」はメッセージ性の強い映画ですが、エンターティメントとしても一級品でしたね。
    おっしゃるとおり、二宮君の演技は良かったですね。
    彼の役割は非常に重要で、渡辺兼や伊原剛志が、硫黄島でどのような生き方をしたか、それをレポートして後世に残すという役割を演じていたようにも感じられます。
    ヘロヘロなキャラクターに見えて、しかし人間としての強さが感じられるという、いい役でした。

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