歌姫シャーデー

 昨日ザ・バンドの話を書いてから、久々に彼らの音をCDで聞いた。
 で、ふと思った。
 もう、こういう音はないんだなァ…と。
 
 洋楽シーンでは、1960年代の音楽的財産は、そのまますんなりと70年代に受け継がれていったが、80年代からは大きな断層が生まれている。
 感覚的にいえば、ホットな音からクールな音へという印象がある。
 深夜の祝祭的な狂騒から、次第に、冷気に満ちた明け方の静けさに…。
 激しいビートを刻む音楽でも、80年代のビートは、どこかひんやりしている。
 
 それまでの、60~70年代の音とは、どんな音であったのか。
 
 20世紀最大の音楽的ヒーローであったビートルズが、1970年に解散して以来、その後の音楽空間を埋めたのは、UKではパンク。アメリカではディスコミュージックだった。
 
 特に、商業的な成功という意味では、ディスコミュージックの隆盛はすさまじいものがあった。
 KC サンシャインバンドが 「ザッツ・ザ・ウェイ」 をヒットさせたのは75年。ワイルドチェリーが 「プレイ・ザ
ット・ファンキーミュージック」 を流行らせたのが76年。
 78年には、映画 「サタディナイト・フィーバー」 が大ヒット。ジョン・トラボルタのダンスとともに、ビー
ジーズの挿入曲が一斉を風靡して、ディスコ文化はその頂点に登りつめた。
 
 しかし、80年代に入ると、60~70年代の熱気は急速に退潮していく。
 70年代から続いているディスコ系ともR&B系ともいえる音づくりにおいても、「キッス・オン・マイ・リス
ト」 を歌うホール&オーツの音には、70年代の黒人系お祭りダンス音楽とは一線を画した、「白人の抑制」 がサウンド全体を支配していた。
 
 マイケル・ジャクソンが歌う 「ビート・イット」 は、激しいリズムを打ち出しながら、人間の熱気からは遠い、
機械の正確なコントロールに支配されるデジタルビートのイメージで統一されていた。
 すでに、マイケル・ジャクソンは、生身の人間が演じる 「歌手」 からも決別していた。
 彼はビデオクリップの王子様であり、生のステージよりもビデオクリップの主人公として、その存在感を強め
ていった。
 
 テクノロジーの進歩によって、バーチャルな映像がリアリティを持ち始めてくると、演奏者の汗が飛んでくる
ライブに価値を求める考え方も薄れていく。
 それよりも、お金をかけて面白く制作されたビデオクリップの方が楽しい。
 80年代になると、そう思う人たちの数が極端に増えたような気がしてならない。
 
 人の体温が急激に薄れていく80年代の洋楽シーンにおいて、その時代の音楽を象徴する歌姫がシャーデー・アデュだった。


 
 顔立ちはエキゾチックでミステリアス。
 ナイジェリア生まれのイギリス人で、アフリカの血が混じっている。ファッションデザイナーとしての実績も
ある。
 
 そのような語るべき 「物語」 をふんだんに持ちながら、シャーデーという女性からは、素顔というものが感じ
られない。
 
 それは、ある意味で、80年代のお洒落感覚というものを的確に表現していたように思う。
 身体中に金粉を張った半裸体のジャケット写真で登場し、抑制の効いたハスキーな音声を披露する彼女は、人間というより、映画 『ブレードランナー』 に登場するレプリカントであった。
 それは、リスナーに 「ある種の雰囲気」、「ある種の快感」 を与えるために、正確にプログラミングされた
「装置」 ともいえた。
 
 シャーデーの歌は、冷たい夜明けを迎えた都市の片隅で聞くと、ことさら心地よく響いた。
 当時流行ったコンクリート打ちっぱなしのカフェバーや、レトロなインテリアのダイニングバーで時間をつぶ
す人たちに、彼女の歌は、「都市の美しさ」 と 「都市のメランコリー (憂愁) 」 を教えた。
 その歌声には、孤独な都市生活者の 「さびしさ」 を、「お洒落なもの」 に変換するマジックが秘められていた。
 
 グラミー賞新人賞を獲得した 『ダイヤモンド・ライフ』 というアルバムを手に入れた頃、
 「なんて懐かしい音! しかしなんて未来的な音!」
 と困惑しながらも、とりこになって聞き込んでいた時期がある。
 
 60年代から70年代初頭の古めかしいソウル、R&B 、ジャズのエッセンスをすべて採り入れながら、彼女の音楽は、それらの音を完璧なくらい遠い未来に向けて放り投げていた。
 だから、それは懐かしい響きを持ちながら、過去に聞いた音とも、その当時の最先端の音ともまったく違って聞こえた。
 
 実現もしていない未来社会から流れてくる音だから、生きている者が発散する 「熱」 がない。
 このクールな浮遊感こそ、シャーデーの音楽の最大の魅力であり、それはまた80年代にふさわしい音だったように思う。
 それはまさに、世界の産業構造が、ホットな重工業からクールな情報産業へと移行したことを象徴するような音であったのかもしれない。
  
 
 関連記事 「ブレードランナー」
 

 関連記事 「深夜のシャーデー」
 

カテゴリー: 音楽   パーマリンク

歌姫シャーデー への4件のコメント

  1. ネアンデルタール より:

    言われてみれば、シャー・デーもまた、時代に憑依した巫女だったのかな、と思えてきました。
    シャー・デーがいなかったら、元ちとせも世に現れなかったかもしれない。
    ともあれ、女のほうが、時代に憑依する能力がある。時代の巫女じゃなければ、ビッグになれない。なんといっても、「声」こそ、もっとも憑依を表現するものですからね。
    しかしだからこそ、女はいつだって「時代の正義」を主張するだけで、「普遍的な真実」を語ってくれない。
    女にののしられると僕はもう、そうかなあ、と思いながら、ひたすら、ごめんなさい、というしかない。
    この気持ち、あなただって、まんざらわからないでもないでしょう?
    いやまあ、最近ちょっと「卑弥呼」に興味があって、僕の古代史も、いつまでたっても終わらない。早くけりをつけてしまいたいのですけどね。
    ほかに考えたいことや、やりたいことも、ないわけではないのだから。

  2. ds.unit より:

    Sade、私も好きでした。Style Council 時代のPaul Wellerとか、あの時代の音は、確かに町田さんがおっしゃるようにクールですね。それが洒落ていたという感覚ピタリです! PoliceのStingも好きでした。私にとってはあの時代が青春です。

  3. 町田 より:

    ネアンデルタールさん >「シャーデーがいなかったら元ちとせも世に現れなかった」なんていう指摘。面白く読みました。考えたこともなかったけれど、言いえて妙です!
    >「時代に憑依する女性の能力」って、確かにすごいものがありますね。
    歴史には、女海賊とか、女馬賊ってのが時々登場しますけれど、荒くれ男たちというのは、ときに、「女性に束ねられる快感」というものを感じるもののようです。
    悪に染まる男たちの方が、女性のリーダーへの真摯なオマージュを持つのかもしれません。
    「卑弥呼」の研究も面白そうですね。

  4. 町田 より:

    ds.unitさん はじめまして。
    うん、趣味似ているかもしんないです。スタイルカウンシルの『カフェ・ブリュ』とか、私もよく聞きました。
    ポール・ウェラーのジャムの時代はあまり知らないんですけど…。ポリスのスティングは70年代のデビューですけど、80年代に活躍した人でしたし、音も80年代の音という感じがしましたね。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">