60年代ロック(サイケデリック・サウンドの誕生)

  
 『レコード・コレクターズ』(株式会社ミュージック・マガジン)の2007年5月号が「60年代ロック・アルバム・ベスト100」という特集を組んでいたので、思わず衝動買いした。

 音楽雑誌でこの手の企画があると、たいてい無条件で買ってしまう。
 自分の持っているアルバムが、そのなかに何枚チャートインしているか、ついつい好奇心が働くからだ。

 「お、これも載っている。あれも収録されている !」
 と、いそいそと数えてみたが、結果は18枚。
 100枚のなかで18枚というのは、はたして多いのか、少ないのか。
 別にコレクターを自認しているわけでもないので、18枚も揃っていれば十分なのだろうけれど、持っているアルバム以外の曲で、けっこう知っているものが多いので、少し悔しい。

 ちなみに、評者たちに選ばれたベスト5は以下の通り。
 1位 ビーチボーイズ 「ペットサウンズ」
 2位 ボブ・ディラン 「追憶のハイウェイ21」
 3位 ザ・バンド 「ミュージック・フロム・ビッグピンク」
 4位 ザ・ローリングストーンズ 「レット・イット・ブリード」
 5位 キング・クリムゾン 「クリムゾン・キングの宮殿」

 上位5位のうち、自分が持っているアルバムは「ミュージック・フロム・ビッグピンク」だけだった。

▼ ザ・バンド 「ミュージック・フロム・ビッグピンク」

 
 
 60年代ロック全盛と言われた時代、自分は高校生(もしくは大学1年生)だった。
 洋楽の情報ソースは、ほとんどがラジオ。
 それを聞いて、欲しいレコードがあれば買いに行く。
 しかし、おカネがなかったから、レコード屋の店頭で悩んだ末、アルバムをあきらめて、ヒット曲だけをピックアップしたシングル盤を買って帰ることも多かった。
 持っているアルバムの枚数が少ないのは、そういうせいもある。
 
 
 一口に「60年代ロック」といっても、1965年までの洋楽ヒットチャートにおいて、私たちの場合ビートルズの占める地位は圧倒的だった。それ以外ではモータウン系のR&B。そして、PPMとかブラザース・フォーといったフォーク系が少々。
 洋楽にさほど興味を感じなかった人たちは、60年代半ばから勃興した日本のグループサウンズを聞いていたと思う。

 「ロック」という言葉が定着し、その言葉に表現されるような音楽が実際に巷に流れ始めたのは、1966年からだった。

 この年、高校2年生だった私は、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、ジェファーソン・エアプレイン、ヴァニラ・ファッジなどの音をラジオで聞き、ビートルズが変えた洋楽の世界が、さらに大きく変わったという思いを持った。
 「なんだか新しい時代が来ている」
 と感じたが、当時の私の周りには、まだそれがどういう「音」であるかを語る友はいなかった。
 
 新しい「音」の正体を教えてくれたのは、全部ラジオである。
 「サイケデリック・サウンド」
 ラジオは、当時の洋楽の特徴をそういう言葉で表現した。
 LSDやマリファナなどのドラッグ体験が、音を創造するときのアイデアになったサウンドというような意味だ。

 具体的にどういうものなのか。
 最初に耳にした曲は、ヴァニラ・ファッジの「キープ・ミー・ハンギング・オン」だった。

▼ ヴァニラ・ファッジ 「キープ・ミー・ハンギング・オン」

 

 オルガンの持続音を執拗なまで強調したヘビーなサウンドがラジオから流れてきたとき、「これがいま流行っている “サイケ” かぁ !」と一人で何度もうなづいたものである。
 まさに、一つひとつの音が「金粉」が宙を舞うように視覚化され、フワフワ モコモコ キンキン ギラギラと空中を漂っていくイメージが浮かんだ。

 ロックの黎明期にこれほど注目を集めたこのバンドが、現在さほど話題にならないのは、1970年に早々と解散してしまったからかもしれない。
 同じころデビューしたクリーム、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズなどが、その後、独自の個性を練り上げて、「60年代ロック」のレジェンドになっていったのに対し、ヴァニラ・ファッジは、あまりにも「サイケデリック・サウンド」の代名詞のような扱い方をされたばっかりに、サイケブームが去ったと同時に色あせた存在に思われてしまったのだと思う。

 ただ、この手のサウンドは、後に「プログレッシブ・ロック」というジャンルが確立されるとともに、その精神が受け継がれていった。
 
 
 
 「サイケデリック・サウンド」の音的特徴を強調しながら、よりポップス路線に向かったのがジェファーソン・エアプレイン(写真下)だった。

▼ ジェーファーソン・エアプレイ 「サムバディ・トゥ・ラブ」

 このバンドの代表曲が、上に紹介する「サムバディ・トゥ・ラブ:Somebody To Love(あなただけを)」(1967年)。
 フワフワ ギラギラの “サイケサウンズ” のなかに印象に残りやすいメロディアスな旋律を流し込んだことが大ヒットの要因となった。

▼ 当時の “サイケ” デザインをふんだんに取り入れたジャケット

 けっきょく、この音が1960年代から始まった “ウエストコースト” サウンドの典型となった。ドラッグカルチャーの影響をずぶずぶと受けながら、どこか「カリフォルニアの青い空だぜ~ !」といった、スコンと抜けた爽やかさがある。
 この路線は紆余曲折を経て、最後はイーグルスまでたどりつく。 
 
 
 
 ロックの黎明期を代表する人気バンドに「ザ・ドアーズ」がある。ヴァニラ・ファッジ同様、分厚いオルガンサウンドが、このバンドの “サイケ” ムードを演出するキーとなった。
 このバンドにはベーシストがいなかった。オルガン奏者のレイ・マンザレクがキーボードでベースパートを担当した。それがために、ベースという弦楽器のドライブ感とは別のグルーブが生まれている。それが、このバンドの個性となっている。

▼ ドアーズ 「ストレンジデイズ」

 

 このドアーズの看板となったリードヴォーカルのジム・モリソン(写真上)は、1971年に謎の死を遂げている。その死因はヘロインの過剰摂取によるものだといわれている。
 
 この時代、ロックスターたちがみなドラッグの過度の摂取が原因と思われる死を一斉に迎えた。
 ストーンズのブライアン・ジョーンズ(1969年没)、ジャニス・ジョプリン(1970年没)、ジミ・ヘンドリックス(1970年没)。
 こういう不幸がたび重なるにつれて、ドラッグ文化を肯定的にとらえる風潮にも陰りが見えてきて、音楽上の「サイケデリック・サウンド」も下火になっていく。

 もちろん、ミュージシャンたちのドラッグ吸引に即座にストップがかかったわけではなかった。しかし、「ドラッグに頼ればクリエイティブなアイデアが生まれる」という思い込みは消滅していった。

 しかし、いま振り返ってみると、ロックの黎明期にドラッグ文化を背景にした「サイケデリック・サウンド」が台頭することによって、60年代ロックというものが生まれてきたことは、まぎれもない事実。
 だから、ジャニス・ジョプリンも、ジミ・ヘンドリックスも、ジム・モリソンも、いまだに “殉教者” としての光彩を放っている。
 
 

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60年代ロック(サイケデリック・サウンドの誕生) への2件のコメント

  1. 磯部 より:

    僕の音楽の原点は、最近までグループサウンズだと思っていたんですが、いや待てよと思いましたね。
    というのは、ビートルズのインパクトをも押しのけて、舟木和夫の「絶唱」や小松みどりの「松の木小唄」がアタマの中でグルグル回っているのですから。町田さんより、さらにオジサン化しているのは、私なのかも知れません。ガッカリ!

  2. 町田 より:

    懐かしいですネェ! 「松ノ木ばかりが“待つ”じゃない」の松ノ木小唄。
    そして「絶唱」。
    このあたりの曲は、当時の国民的音楽の原点なんでしょうね。
    そういう国民的音楽の原点と、自分の音楽の原点がたまたま重なっているなんて、とても素敵なことだと思います。
    ちなみに、私が温泉などに浸かっているときに、ついつい口ずさんでしまう鼻歌ベスト5は、次のとおりです。
    1)宗右衛門町ブルース
    2)達者でナ
    3)夫婦春秋
    4)夕焼けトンビ
    5)王将
    やっぱ手ぬぐい頭に乗せて、ビートルズはないでしょ!

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