子供の時間はゆっくり流れ、大人の時間は早く過ぎる

 
 1日40時間ぐらい欲しい。そう思うくらい、時間の流れを早く感じる。
 この前正月だと思っていたら、もう節分だ。
 
 皆さんはどう思われているだろうか。
 最近、時間の進み方が、とみに早まっているような気がしませんか?
 
 そのうち、どこかの学者が、
 「地球の自転が早まってきたため、今の24時間は100年前の18時間に相当します。100年後には、さらに 9時間ぐらいに短縮されて、世が明けたら、4時間後に日没が訪れるようになります」
 なんて、言い始めたりしないだろうか。
 
 「時間の進み方が早くなった」
 と感じるとき、人は、いったいそれを何と比較しているのだろう。
 おそらく、仕事や学校を経験する前の、幼少期の記憶と比較したのではなかろうか。
 
 幼年の時間は、無限大に引き延ばされている。
 夏の太陽が、中天に居座ったまま動かない時を経験することがある。
 
 子供が時間のなかに 「永遠」 を見つけるのは (…ランボーみてぇだな!)、子供が大人のような記憶の蓄積を持たないからだという。
 
 そもそも時間というのは、記憶の蓄積によって体感できるものらしい。蓄積された記憶が多くなれば多くなるほど、時間の流れを早く感じるものだとか。
 
 しかし、大人のような記憶の蓄積を持たない子供には、常に 「現在」 しか存在しない。だから、1分 1秒が永遠のように感じられてくる。
 
 それに比べると、年々記憶のファイルが増えていく大人の時間は短い。
 特に、仕事に追われ、覚えなければならないものをいっぱい抱えていると、あっという間に日が暮れて、すぐ朝が来る。
 
 年をとると、「時間」 はさらに早まっていくのだろうか。
 8年前に90歳で亡くなったお袋は、死ぬ前から、
 「もう私は、あと10年ぐらいしか生きられない」
 とよく言っていた。
 
 そして、確かに、そうつぶやくようになってから、10年ぐらいで逝った。
 自分の生が、「あと10年…」 と計算できるようになったとき、時の早さを感じることは、その人間の心に、どのような変化をもたらすのだろう。
 私は、まだお袋のような年齢になっていないから、分からない。
 
 ただ、「あと10年…」
 とつぶやいていたお袋は、別に焦っている様子もなければ、悲しんでいる様子もなかった。
 「あと10年も生きなければならない」
 と、言っているようにすら思えた。
 
 晩年のお袋は、鉢植えの植物のように、淡々と生きていた。
 窓の外を眺め、陽のうつろいをじっと見守り、好きなテレビを見て、昼夜の区別なく、寝たい時間に寝て、起きたい時間に起きていた。
 そのきままさは、まるで幼児のようだった。
 
 老年を迎えるということは、幼少期に戻っていくことだ、とよく言われる。
 脳の記憶容量が乏しくなり、昨日のことも 3日前のことも区別がつかなくなる。
 逆に、昔のことほど鮮明によみがえる。
 
 老年期を迎えた人間には、再び 「記憶」 の重みを知らない、幼児期が訪れる。
 晩年のお袋は、あの無限に引き延ばされた 「子供の時」 を生きていたのかもしれない。
 そうならば、「10年」 という時間は驚くほど長い。
 
 未来を考える力を失うということは、永遠の現在を生きることにほかならないが、今の私には、まだその感覚はつかめない。
 
 このままどんどん時が早くなっていくだけで、まばたきする間に 1日が終わってしまう日が、刻々と近づいてきているように思えてならない。
 やっぱり、地球の回転が早まっているという考え方の方に、納得してしまう。
 

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子供の時間はゆっくり流れ、大人の時間は早く過ぎる への4件のコメント

  1. 軽コロ より:

    町田編集長さんは、ものすごく忙しいか毎日が楽しいのでしょうね。
    何か集中できるものがあると、時間はとても早く感じます。
    私は現場作業をしているとすぐに昼がきて夕方になります。
    デスクワークをしていると昼だと思ったのにまだ10時。
    安全講習を受けていると1時間経ったかなと思ったらまだ30分(コラ)
    営業会議に出ると1時間が3日に感じたり(コラコラ)
    時間を忘れると言いますが、深寝入りしてるとき(レム睡眠?)と同じく、脳の中の時計が無視されると早く感じるのではないでしょうか。

  2. 磯部 より:

    町田さんと同じく、全く時間が足りない私としては、ひょっとして、人生の積み残しに焦っているのかも知れない。「あれもやろう、これもやろう」。こういう時期は、時間の観念もピークを迎えるのではないのでしょうか?
    いわば、先が見えてきた年頃、仕事などの総まとめに入るようなイメージ。そういうものが、まだ活発な脳に迫ってくる年代なのかな、などと思います。
    想えば、小学生の時の夏休みはとっても楽しくもあり、来る日も来る日も退屈だったようにも記憶しています。
    やがて老齢を迎えると、私も幼年期に退行してゆくのかな?ちょっと怖い気もしますが、時の観念というのは恐ろしくいい加減なものだ、などと開き直ったりする私であります。

  3. 町田 より:

    軽コロさん もしかして昨日20:00前に、一度コメントいただきましたか? そうだとしたら、書き直しの作業中でハネてしまったかもしれません。申し訳ございませんでした。
    で、>「集中できるものがあると時間はとても早く感じる」というのはおっしゃる通りですね。軽コロさんのblogを読ませて頂いても、やっぱり現場のお仕事がお好きなんだという感じが伝わってきます。だからトレーラーのDIYの記事も、楽しそうな雰囲気が伝わってきます。
    何か熱中できるものを持っているということは、本当に幸せなことだと思います。
    おそらく、熱中できるものを手放さなければ、仮に時間が矢のように過ぎ去ったとしても、それは決して後悔しない人生になっているような気がします。
    軽コロさんのメッセージからは、そんな雰囲気が伝わってくるのですが。

  4. 町田 より:

    磯部さんと、同じようなことを感じています。「先が見えてきた」という感覚。よく分かります。
    50代も半ばに達すると、だんだん「やりたいこと」の中で、「できること」と「できないこと」の見分けがついてくるようになりました。
    なんだかそれが、かえって気分を楽にさせてくれました。
    「できないこと」はスパっとあきらめて、代わりに「できること」を失敗しないようにやりとげる。…なんか、そんな開き直りも出てきたように思います。
    ブログを書くようになって、こうやっていろいろな方々のコメントを頂くうちに、「できること」というものの意味が少しずつ分かって来た感じもあるのです。
    なんか、すごく勉強させてもらっているという気分です。

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