馬に乗る文化

 
 自動車の発明と、乗馬の “発明” とでは、どちらが人類の文明発展に貢献したか。
 おそらく、乗馬という “発明” の方が、自動車よりも、はるかに人間の文明を発展させたであろうことは、間違いないことのように思えます。
 

 
 馬に乗ることを 「発明」 なんて表現するのは奇妙な感じがするでしょうけれど、人間が馬に乗るなんて、最初にそれを行った人物が出るまでは、人類は考えたこともなかったんですね。
 あれは、人なんか乗せない動物だと信じ込まれていましたから。
 
 最初に馬に乗った人間が誰なのか。
 そういう文献が残っているわけでもないので、名前も分かりませんし、時代も場所も特定できません。 
 でも、おそらく今から6千年ぐらい前、黒海北岸あたりに暮らしていたスキタイ民族のうちの誰かだろう…ぐらいまでは推測できます。
 
 それまで、馬というのは役立たずの家畜でした。
 肉だって、牛や羊に比べるとおいしくないし、せいぜい皮を利用するぐらい。
 つかまえようとしても、足が速いからすぐ逃げちゃうし、警戒心が強いから人間を信じない。
 首根っこなんかつかまえようと思ったって、暴れる、暴れる。
 場合によっては、人を蹴っぽってケガまでさせてしまう。
 そいつに乗ろうなんて、誰も考えなかったでしょうね。
 
 でも、なかにはヒマな人間がいたんでしょうね。
 あるいは情熱を持った人間が。
 
 きっと何度も振り落とされ、ひづめに蹴られ、さんざん生傷を負ったあげく、ついに馬にまたがった最初の人間が現れたわけです。
 
 その瞬間に、人間の歴史は大きく変わりました。
 乗馬の発明は、スピードの獲得でもありました。
 それまでは、労働でも軍事でも、人類は歩行の時間感覚でしか 「世界」 というものをとらえられませんでした。
 
 そこに 「馬のスピード」 で 「世界」 を把握する思想が生まれたのです。
 それがどんなに人間の考え方を変えるにいたったか。
 もし乗馬という文化が成立していなければ、私たちは、いま存在している世界とは違った世界に住んでいたことでしょう。
 
 世界史的にみれば、ユーラシア全土を統一したモンゴルの大帝国も生まれなかったでしょうし、日本史に限定しても、義経は平家を倒すことができなかったでしょうから、源氏の政権も生まれていなかったかもしれません。
 
 19世紀まで人類の主要な交通機関であった乗馬や馬車という移動手段は、自動車の普及によって終焉を迎えました。
 しかし、人間の心の奥底には、馬がもたらせてくれた文化への郷愁がいまだに根強く残っています。
 競馬はそれの最たるものかもしれません。
 私たちが、走る馬の姿を美しいと感じるのは、人類6千年の記憶が凝縮しているからなのでしょう。
  
 
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