団塊ひとりぼっち

 
 団塊の世代をテーマにした本はたくさん出回っているが、山口文憲さんが書かれた 『団塊ひとりぼっち』 は、団塊世代で、しかもシングルライフを送っている著者自身の体験談を交えた面白い本だ。
 
 
 
 団塊世代は、定年後には巨大なマーケットを形成するという予測から、各企業から商品戦略のターゲットとして賛美されてきた。
 しかし同時に、下の世代からは過剰なほどの誹謗中傷にもさらされている。
 
 著者は、そのような評価や非難からしたたかな “距離” を取り、著者自身が属しているこの世代を、醒めていながらも温かい視線で見つめている。
 
 ときに、ドキッとする逆説も登場する。
 「団塊の世代はもっと感傷 (センチメンタリズム) を大事にしろ」 と、彼はいう。
 感傷やセンチという言葉は、甘ったれや自己陶酔をイメージする言葉として、あまりいい意味では使われない。
 しかし、将来さしたる仕事もせずに生きていく団塊世代にとって、
 「このユルくて、甘くて、生温かい感情は、心のセーフティネットになり、精神のシェルターになる」
 と山口文憲さんは説く。
 
 「だからジーンと涙が出ちゃうんですよ、これは …」
 というセンチな気分になれる対象物を、いかにたくさん手元に抱えるか。
 それが豊かな人生を保証する秘訣になるとか。
 
 一方、こんな指摘も出てくる。
 「団塊の世代とは、どうやって年をとったらいいのか分からない人々の集まりだ」
 
 山口さんに言わせると、この世代というのは、自分の老後をイメージできない最初の世代なんだそうだ。
 そのように、団塊世代はいろいろな意味で、時代の節目を担っている。
 たとえば、
 「自分の親を介護しなければならない最後の世代であり、子供からの介護を期待できない最初の世代である」
など。
 
 生活設計のうえで、考えねばならない様々な問題への言及もあるが、音楽、映画、文学などのサブカルチャーに対する批評もいっぱい出てくる。
 
 たとえば、
 「小津安二郎の映画が、団塊世代に受けているのは、そこに描かれている風景が団塊世代の原風景であると同時に、あのローアングルで撮っていくカメラワークが、団塊世代が子供だったときの目線と重なるからだ」 とも。
 ふむふむ。なんとなく、なるほどと思う。
 
 話は変わるが、(このブログは、うちのカミさんが見ないことが分かっているので思い切って書くけれど)、私は、昔エロ写真集のモデルを務めたことがある。
 30年以上も前の話だ。
 当時は、自動販売機のエロ写真本 (ビニ本) が全盛だった時代で、大小さまざまな出版社がその分野に進出していた。
 
 私の友人に、その業界で有名なカリスマ編集者がいた。
 「町田、男のモデルやってみない?」
 その編集者から、電話がかかってきた。
 女性モデルと絡むはずの男性モデルが、体調を崩したという理由でキャンセルの申し入れをしてきたという。
撮影日に穴が空いてしまったわけだ。
 ギャランティの魅力と、スケベ心と、好奇心がむくむく頭を持ち上げてきて、私はその代役を務めることに応じた。
 
 当日、撮影現場に指定されたマンションを訪れると、
 「今日の進行を務めるディレクターだ」
 という男を紹介された。
 
 不良っぽい皮ジャンを羽織った “反体制っぽい” 人だった。
 彼もまた、私のようにスポットで召集された人材らしい。
 「よろしく!」
 と、そのディレクター氏は屈託のない笑顔で迎えてくれたが、人生を捨てたような軽さと、何でもオチョクッてやろうという旺盛な批評精神が、その表情に浮かんでいた。
 
 私は、部屋の隅に置かれたストゥールに腰かけて、ディレクターと編集者とのやりとりを聞いた。
 
 「今回の作品は、このジャンルでは珍しいストーリーを重視するものでいこうよ」
 「いいねぇ。絡みのカット数は少な目にしても、そこに至るまでのディテールをつくり込んで、テンションを高めた方がいいね」
 2人はそんなふうな話に熱中している。
 
 まるで、いたずら小僧たちが、次々と悪巧みを思いつくときの快感を楽しんでいるようだ。
 どうやら私の役は、「実家に里帰りしたときに、お手伝いさんとして働きにきていた人妻と過ちを犯してしまう青年」 というものらしい。
 
 「お手伝いさんの留守にさぁ、男がベランダに干してある彼女のパンティを手にとって、切なそうな表情になるというカットはどうだろう?」
 「あ、それいいねぇ! それいこう」
 
 …おいおい、それをやるのは俺かよぉ…と思いながら、私は2人の打ち合わせを聞いていた。
 
 撮影は無事に終了して、私はディレクターからお褒めの言葉をいただいた。
 「すごくいい演技! これは絶対売れると思う。サイコー」
 エロ本のモデルになることは親には内緒だったから、あまり売れても困るなぁ…と困惑した。
 
 もっとも当時のポルノ雑誌というのは、女性も男性も裸の上半身はさらしながらも、下半身は着衣のままというのが多かった。
 今のものと比べると、はるかに穏やかなものなのだが、さすがに親には見せられないという意識は働いた。
 
 結局、その本が売れたかどうかは定かではない。
 もちろん、送ってもらった掲載誌も、今はどこに隠したかも忘れてしまった。
 
 しかしその日、私に演技指導したディレクターは、後に名エッセイストと呼ばれるようになった。
 今回このブログで紹介した 『団塊ひとりぼっち』 を書かれた山口文憲さんその人である。
 
 

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団塊ひとりぼっち への3件のコメント

  1. ネアンデルタール より:

    小津映画と団塊世代が・・・といわれるとねえ。ファンとしては、ちょっと複雑なんですよ。
    原節子、きれいだもん。そのことのほうがずっと大切。
    たとえば、原節子は、父親の前で絶対正座しないんです。ちょいと足を横に崩して座る。懸命に父親の面倒を見ているくせに、時々父親に女王様のような口の利き方をする。
    いかにも古きよき日本を描いているようで、実はとてもラディカルでアクロバティックな「関係」が潜んでいる。
    そしてそれが、さらに原節子を美しく見せている。
    まあこういうことは、町田氏の記事にもこのページの読者にも関係ないことだけど、町田氏には理解してもらえるような気がして・・・。
    小津映画は、今の日本映画に飽き足りない敏感な若い娘に見てもらいたい、と思う。
    ごめんなさい、いつも無駄口ばかりたたいて。

  2. ネアンデルタール より:

    やっぱりあの作者の言うとおりなんでしょうね。
    でも、ちょっとショックでした。あんなふうに小津映画を料理されてしまうのは。
    ごめんなさい。

  3. 町田 より:

    ネアンデルタールさん 深夜のコメントおそれいります。小津安二郎と原節子には並々ならぬ思い入れをもたれていることはよく分かりました。不勉強なもので、せっかくのご指摘を頂いても十分なご返答ができなくて歯痒い思いです。
    ただ、紹介した引用文は小津安二郎への言及に対するごく一部を抜粋しただけで、しかも文章の流れを調整するために、引用者のアレンジも相当加わっています。従って、引用箇所だけに原作者の小津観がすべて集約されているわけではありません。
    >「あんなふうに料理されてしまう」と感じられるとしたら、それは作者の責任ではなく、多分に引用者の責任のように思えます。
    あらためて引用の怖さを教えられたように思いました。

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