非日常って何?

 キャンピングカーの旅は日常なのか、非日常なのか。
 
 今年(2006年)の6月頃、中部地方のテレビで放映されたという報道番組の録画を見る機会があって、考えさせられた。
 
 その番組では、キャンピングカーに注目し始めたシニア層の話題が取り上げられ、実際にキャンピングカーの旅を楽しんでいる熟年ユーザーのドキュメントが盛り込まれていた。
 ドキュメントで紹介されたユーザーは、定年後にキャブコンに乗って、ご夫婦で日本一周を目指されている方だった。
 外食ばかりに頼っていると予算が圧迫されるので、車内でご飯を焚き、ダイネットで食事する。
 キャンプ場ばかりめぐっていると、これまた経費がかさむので、時には道の駅などで宿泊する。
 そのような映像が随所に挿入されていた。
 
 ドキュメントが終わったあと、一連の画像を見ていた一人のコメンテーターがこう話された。
 「旅とは非日常性を追求するものなのに、こういうスタイルの旅には、非日常が感じられない」
 というのである。映像表現の世界では高名な方だ。
 
 おそらく、取材対象が決まれば、世界のどんな珍しい場所にでも旅発つことのできるその人の場合は、ご自分の旅行のほとんどが「非日常」なのだろう。
 それに対し、何の変哲もない駐車場で寝泊りし、車内で自炊するような旅は、日常生活となんら変わらない。
 その人はそう思われたのかもしれない。
 私は、その見方も充分に理解できた。
 しかし、そこで考えさせられたのは、
 旅における日常と非日常って、何だろう?
 ということだった。
 
 結論をいうと、どんな場所を旅していても、そんな区分はないのだ。
 あるのは、旅人の心の中に存在する日常と非日常でしかない。
 たとえギニア高地の上に降り立っても、マチュピチュの遺跡に立ったとしても、それを素晴らしいと感動する感性がなければ、それは非日常にはなりえない。
 逆に、海辺にさりげなくハマナス。
 渓流を敏捷に泳ぎ回るヤマメ。
 そんなものを見たときに、日ごろ意識することのなかった「生命の輝き」などを感じたりすれば、そこに非日
常が訪れている。
 
 見慣れた景色のなかに非日常を発見する力というのは、その人の感性すなわち想像力の広さと深さに関わってくる。
 今まで一度も来たことのない駐車場にクルマを止め、車内で、家庭と変わらない朝ご飯を食べる…などということは、乗用車の旅ではありえない。
 そのこと自体が、すでに非日常的なことなのだ。
 そこに気づく感性があれば、キャンピングカーの旅は非日常の連続だ。

 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

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