夏の流れ

 
 毎年、夏が来ると思い出す小説がある。丸山健二の書いた 『夏の流れ』 だ。
 田舎町の刑務所に勤務して、死刑執行を業務とする男の暮らしぶりがハードボイルドタッチで綴られているのだが、死刑台に向かう囚人の断末魔の様子を描いたシーンなどが実にリアルで、鬼気迫るものがあった。
 
 しかし、この小説はそういう緊迫した情景を盛り込みながら、実は、夏のけだるさを描いた作品として秀逸であるように思う。

 涼をとるものが扇風機しかない時代のうだるような暑さ。それが猛烈な力で読者を圧倒してくる。降り注ぐの陽射しの熱さ。海に浮かぶ積乱雲の雄大さ。運動場に立ちのぼる陽炎の鮮やかさ。どのページを繰っても夏が充満している。
 
 夏の正午には、世界が静止してしまったような時間が訪れることがある。風が凪ぎ、地上には動く影すらなく、木の葉もざわめきを忘れた午後。そういうときは、セミの声さえ「沈黙の重み」となって覆いかぶさってくる。
 
 子供の頃、夏という季節に濃密な時間を感じた。1分1秒がトロリと粘っこく流れていくように思えた。

 哲学者の池田晶子さんは、子供の夏が濃密な時間で満たされるのは、子供が大人のような記憶の蓄積を持たないからだという。
 
 そもそも時間というのは、記憶の蓄積によって体感されるものらしい。蓄積される記憶が多くなれば多くなるほど、時間の流れを早く感じるようになるのだとか。
 
 しかし、大人のような記憶の蓄積を持たない子供には 「現在」 しか存在しないので、1分1秒が永遠のように感じられる。ましてや、すべての生命活動がピークを迎える夏の濃密な時間のなかでは、子供の時間は止まってしまう。
 
 池田さんはそういう。
 私が、1年のうちで最も自分のキャンピングカーを駆って家を飛び出したくなるのは夏だ。
 
 場所はどこでもいい。
 水平線の彼方に浮かぶ雄大な積乱雲が見られるのならどんな海でもいいし、濃密なセミの鳴き声に包まれるのならどんな山でもいい。大人になって、夏休みに贅沢な旅行ができるようになっても、子供の夏休みのあの凝縮された輝きは戻ってこないことは分かっている。
 でも夏になると無性に飛び出したくなる。
 
 私にとってアウトドアとは、失われた子供の夏を取り戻すことにほかならない。
 
 

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